大人になること

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昨日は松本でアースデイ。楽しかったです。

 

野外のイベントは、天気が最も重要な要素だと思うので、そういう意味では昨日はベストだった。

 

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青い空をバックに松本城。 

少年野球チームのキャンプの時訪れて以来、34年ぶりに拝んできた。あの時も同じような天気だったんだよな。松本城と真っ青な空がセットで記憶に刻まれていたことを昨日発見した。

 

 

さて、ここ2週間に渡ってみても、ほぼ毎日快晴だったと思う。

うちの界隈は米作地域。おかげ様で稲刈りは滞りなく進み上機嫌が漂うが、僕にしてみれば、野菜と発芽を留まっている野菜の種を思うと正直この間2回ぐらいは雨が欲しかった。

明日は雨の予報もあるが、さてどうか。まあ、でも、なるようになるな・・・。結局のところ降ろうが降るまいが全然平気だよな。

明日も楽しめるだろう。

 

 

イイ歳したおっさんが言うことではないが、今年を通じて、僕は随分大人になったんじゃないか、と思う。

稀にみる旱魃、ぎっくり腰や腰痛の頻発、結果作物の不調、夫婦関係やその他人間関係、いろいろ修羅場にぶつかった気がする。

それらを通して、我慢が出来るようになった。 

・・・というのは少し違うかな。

 

僕は昔から我慢強かったから。

別のいいかたをすれば意地っ張りともいえる。それはある意味では子供っぽさでもあるわけで、我慢強いことは大人であることとイコールではないだろう。 

 

では何か、といえば、発想の転換力ではないかと、僕はそんな気がする。

その向上のための訓練に今年は事欠かなかったので、最近感じているのは、これが結構スムーズにできているかなぁ、ということ。 

 

人の発想の仕方は、多分それぞれの癖になっていることが多いのではないかと思うのだが、なにかとネガティブに考えがちな人は、きっと大人になれない人。

 

何か事が起きたとき、子どもや弱者に対して、安心感を与えられる、励ませる、勇気付けられる、ような人間がきっと本当の大人・・・ そんな大人でいられたら、と思う。

  

アースデイ信州

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来たる9月28,29日(今度の土日)、アースデイ信州”国宝”松本城にて、開催されます。

初開催ですが、出展される方々は蒼々たるメンバーのようで、とても楽しいイベントになりそうです。

当農園は、29日のみ出展の予定です。

 

ご興味のある方、ふらっと足をお運びください。

季節も場所も申し分なし!

お天気も今のところ、良さそうです。 

 

秋の圃場と僕の声

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またまた秋晴れ。

今日発送のセットは、大分「旬のセット」らしく秋っぽい。

 

栗、棗、葉物野菜、あと間引いた大根ももう結構大きい。

 

秋の”旬”から感じるのは、コントラストだ。

枯れ草の色の中に、収穫物が浮かび上がってみえる様は、なんとも美しい。

 

とはいえ、ただ枯れているようにみえる草だって、ちゃんと結実して一生を全うした姿であって、収穫の秋といったら嬉しいものだが、なんだか卒業式のような感傷も圃場全体に充満してきている。

ただ枯れているだけなのは僕の声だけ・・・[E:bearing]。

 

でもよかった。この季節、カーラジオで懐かしい曲がかかったりすると、胸がキュン(胸キュン)となってしまうのだが、今日は大丈夫だったから。

昨日発散したからかな。

心が安定した状態で、多忙な秋を乗り切りたいものです。

 

Natsume924

 

秋の空と僕の心

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今日も澄んだ空気、青い空、ただ風は強い、冷たい風。

この条件が影響を及ぼしたのかどうだかわからぬが、な、な、なんと、昼休みはカラオケボックスだった。

畑の近くにあるのは知っていたけど、気に留めたこともなかったのに、突発的に行ってしまった。

歌は大好きな僕だけど、何故急に思いついたか・・・ほんと不思議。

 

カラオケボックスなんて30歳以降行ったことない。ましてや1人で入るなんて勿論初めて。

もんぺ履いた無精ひげのオジサン、緊張したな~ 

勿論高かったら入店するつもりはなかったが、弁当持ち込みでもオッケーだし、ワンドリンク頼めば、良いだけだった。

入会金込みで5百円ちょっとで済んだ。

 

楽しかったです。

 

 Karaoke923

秋晴れ

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ほとんど雲のない、4日連続の快晴。

先日の台風がたっぷりと地面を潤してくれたので、この秋晴れは心から喜べる。

草原のような畑の中で、いい感じで葉物野菜が育ってきた。

どんな草も、春~夏のように作物にとっての脅威にはならず、ある程度放任されている。

「自然農」の畑、といわれるが、一番その名にふさわしく感じられるのが、これからの季節だろう。

怒涛のごとく忙しい1日でも、明るい気持ちで過ごせたのは、柔らかく穏やかな雰囲気が圃場に漂っているからだと思う。

絵空事じゃないんですよ。

今日も楽しかったです。

 

Akibare920

うれしかったです

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手を差し出すと、蛙ちゃんが葉っぱから飛び移り、手のひらの上で佇んでいる。

なんか、とっても、警戒しない癒し系。このまま連れてかえるかな~~なんて、へっへっへ。

うれしかったです。

 

Kaeru918

 

 

そして戯言を。

 

うれしかったです。たのしかったです。

学校に持っていく子供の日記をたまに見ると、大体こんな終わり方なので、「またかい」「それはよそうよ」「うそっぺ~な~」「思ってないだろ」なんていつも言ってきたが、べつにいいや~、いいんじゃないか~、と思うようになった。 

というより、学びたい。

で、昨日今日と真似てみました。

 

喜怒哀楽の喜や楽ばかりでなく、色々な感情を表すことが一般に「子供らしい」ということのようだが、日々の暮らしについて、そんな大人好みの言葉より、いつもいつもポジティブな決め言葉で締めくくるパターンを確立しているなんて、なかなかすごいではないか。

”言霊”というものか、自分が発した言葉の影響が自分の内側に残ってしまうと感じることはよくあるもの。

どちらかといえば、ネガティブな言葉はリアルなもの、人間だもの、と受け止められがちだが、ネガティブをポジティブに転化した言葉だって充分リアルであり、そこにこそ、しっかり生きていける力が宿るのではないかと思う。

・・・

よって、これからもなるべくそうしたい。

 

台風一過

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台風から一夜明け快晴の朝、畑には予想通り栗が大量に落ちていた。驚くほど空気は澄んでいて冷たかったから、この地道な作業にとても集中できた。 

たのしかったです。 

 

生育中

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今年の稀にみる旱魃を経験して、夏からの作付けは、迷わず100パーセント「不耕起栽培」に拠っている。

「不耕起」でどう効率よく栽培するかを毎日考え工夫している。

作物が、沢山の他生物の中で、たくましく育っていく姿を見ることが好きだ。

勿論、嬉しさは、たくましく育っている姿から感じるので、他生物は適宜間引かなくてはいけない。でも減らし過ぎないようにバランスを気をつけている。

 

そうですね~・・・お手入れのしすぎで、潤いを失わせてしまうってことないですか?

あるとすれば、それと同じです。

雨が降った降らない以上に、あらゆる有機的なつながりの中で潤いが保たれるのです。

たくましく、美しい野菜を育てたいと、思います。

 

分読み

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植木の親方についていた頃、よく「お前の分読みはあてにならねえ」と言われた。

「あっちが30分、それも1時間はかからないから、昼までにはあがりますよ」とか言うとそう返された。

 

今もそのままである。大抵想定よりも時間がかかってしまう。

と、そういう想定をすればいいのにそれがなかなか・・・・・

 

その悪癖の影響がいろんなところに出る。

今日の発送荷物にも反映してしまったと思う。

悪癖というより、仕事の出来なさというべきか・・・。

 

これまでで最も厳しい作業だった。

迫りくる闇夜、そして発送終了時刻との戦いはもう懲り懲り。

出荷作業はやはり何より優先しようと思う。

 

明日荷もつ到着の皆様は、それに懲りずにいていただければ幸いです。

絶対に取り返します。

旋肥

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レタスを植えているとき、白猫が来て、こっちジーっと見てから、穴をがーっと掘って、ウンコして、埋め戻して枯れ草で覆って、こっちをまたジーっと見てそして歩き去った。 

 

Nekounchi1

Nekounchi2

Nekounchi3

 

肥やしが足りていないようだから入れておいたよ、と喋ったとしても自然に感じるぐらいスムーズな、旋肥作業だった。

1株ねっこ掘り返しちゃったのだけど、まあご愛嬌[E:cat]

 

もしかして、時々入れてくれてるのかなぁ。

たっぷりありがとう。写真なんか撮っちゃってごめんね。

 

脱ストイック

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思いっきり楽しんで、生き抜いた巨星にお別れの挨拶をしてきました。

 

楽しいから・・・。

楽しいから、あれだけの人があそこに集い、そして愛されていたんだな。

実はやっていることは誰よりもストイックだったんだけど・・・。

 

我慢しよう、ストイックに生きよう、と言われたって、はいわかりました、なんて誰が言うものか。

10日程前に最後に交わした会話が鮮明に蘇る・・・。

 

「いやあ、暑い暑いって、あっちもこっちもクーラーばかりつけているから余計暑くなる。少しは我慢しろって思うんですよね」

これは僕がよく言っていたこと。以前ブログにも書いたが、そんな思いをぶつけてみた。

 

「我慢我慢っていったって、東京辺り住んでみぃ、クーラーなしでなんて無理だぜ」

返事が予想外で僕はやや戸惑った。

 

「でも出来るだけ我慢することも大事じゃないかと思うんですよ」

「我慢はよくねえなぁ」

「・・・」(動揺する僕)

「問題は別のところだぜ」

 

・・・・

確かにそうなんだ。

そして、僕もだし、誰もが感じていても直視することを避けてしまうその「別のところ」に、どれほど潔く立ち向かっていたかを改めて思うと胸が熱くなる。

 

長い間、田舎の片隅で、ここには、これには、こっちにはこんな心地よさがあると、新たな発想を与える取り組みを、文字通り身を粉にして、でも楽しんで、楽しさのオーラでもって大勢の人を引き込んで、それをライフワークとされていたことが、今になって実感として身に染みてくる。

 

俺は我慢する、お前だって我慢しろ、なんて言われたほうは不愉快に違いない。

お前だけ我慢してろ!といわれそうだ。

人間だけでなく、どんな生物だって心地よさに向うのは当然のこと。

そこは追うところではないのかもしれない。

 

さて・・・これから僕は変われるかな?どうだろう?

きっと、自分の性格を変えることは難しいものだけど、他者や社会に対する考え方のスタンスは、考え直さなきゃいけない部分がありそうだと感じた、あの猛暑の日、炎天下での会話は貴重な時間だった。

心からご冥福を祈ります。