たっぷりの命の水
カラカラだった畑に、先週の梅雨明け宣言の頃から雨が降るようになり、今や”お湿り”は充分過ぎるほどです。
生育の滞っていた作物も息を吹き返し、特にモロヘイヤや空心菜等葉物類の躍進には目覚ましいものがあります。
ただし周りの草はさらに躍進しちゃうのでそれを抑える作業(戦う作業)に追われまくっています。
まあいいでしょう!カラカラの畑にいるより高揚しますねぇ。
畑にそそぐ命の水は、僕の中のエネルギー源にも変換してくれるのです。
カラカラだった畑に、先週の梅雨明け宣言の頃から雨が降るようになり、今や”お湿り”は充分過ぎるほどです。
生育の滞っていた作物も息を吹き返し、特にモロヘイヤや空心菜等葉物類の躍進には目覚ましいものがあります。
ただし周りの草はさらに躍進しちゃうのでそれを抑える作業(戦う作業)に追われまくっています。
まあいいでしょう!カラカラの畑にいるより高揚しますねぇ。
畑にそそぐ命の水は、僕の中のエネルギー源にも変換してくれるのです。
蜂刺され一気に3連発。
だいぶ危険な時期になってきた。
だけどいまは自分が「次刺されたら死ぬかも」というような気はまったくしなくなった。
健康的な日常を保ち人並みに怖れ注意深く行動し刺されたらそれなりの対処をする・・・。
傍らにはいつもポイズンリムーバー
しっかり毒だししたから、じんましんも出なかった。
まだ大丈夫。
僕は死にましぇん
ミラクル(奇跡の)スイートコーン圃場、いったい誰のための、何のための圃場か。
ネット張りが遅れた。オレが悪い。
でもここまで一気に食べるなんて・・・やはりよほど美味しいのか。
食べたことは怒らない。誰だか知らないが知らなくてもいい。
畑は人間だけのものではないんだしな。
だけどうちの鶏にもあげたいから、
総採りは禁止。
ネット張っといた。
農業体験を小学生にしてもらうという地域の企画。
ほとんどの家が田畑を持っているような地域で農業体験って??とも思いながらも楽しみにしていた。
ジャガイモ堀りをしてもらうことにしたが、1人はジャガイモ農家の子だという。
それだからこそ逆に草だらけの感じとか、蚊の多さチビ芋の多さ、やたら現れる蟻の大群に驚いていた。
漠然と”伝わってほしい”と思ったのは、多様なものへの肯定感。
田舎では集団で物事に当たることが多く、足並みをそろえることを求められる。 実際それはそれで大事であるからこそ、それぞれの意識の中で多様性がより明確に尊重されるように、と思う。
あまいあまいスイートコーンの収穫期が到来、特産地であるこの辺りは盛り上がる季節。
昼夜の温度差や晴天率、低湿度など当地の好条件が甘さの秘訣のようだ。
記録的な少雨となっているこの夏、すくすくと生育が進むわけではない分、より甘くそして虫害も少ないのでは・・・。
うちの”奇跡のコーン”を見てそう思う。
うちのは”特産品”に仲間入りしているスイートコーンではない。
あり得ない、邪道、道楽・・・農産物の名産地において無農薬栽培に貼られるのは大抵そんなレッテル。
経年の研究による適切な肥料設計、防除方法(農薬使用量や回数等)・・・農家のすべきことは農協が示してくれる。
・・・
もうこういう世の中の常をひっくり返そうと考えてはいない。
あるのは自分がなんとなく「得している」という感じだろうか。
視野が広がる。深く洞察し学習できる。深い満足が得られる。健康が得られる。
生命に深く広く向き合える。農業はそんな仕事・・・。
逆説のようだが・・・僕は狭く小さな農業に向かったのだろう。
子供のころからずっと「協調性がない」といわれてきた。
だから簡単にいえば、これが性に合っている。
これだけの干ばつでも雑草だけはしっかり育つ。だから毎日が草との格闘だ。
昼の一番日差しの強い時間、太陽と草の海の自然エネルギーを猛烈に感じながらの草取りが厳しいけど楽しい。
取った草がたちまち枯れていくのは爽快。
草を生かす農法といっても誤解しないでください。この時期は取るとき取らないと野菜はあっという間に壊滅状態になってしまうのです・・・。
11時から14時ぐらいはゴールデンタイム、15時以降の草取りはその後夕立があればかなり無駄になってしまう。
もちろん休みます、小刻みに。
木陰に入れば10度は下がる天然オアシス。これはもう多分都会の人にはわからない、驚きです。(信州だから?)
腰を下ろし氷入りの酢水を飲んで小休止。
そしてまた草の海を泳ぎに行く。
その繰り返しはサウナと水風呂の交互浴のよう。
・・・
おっと、ここは異次元。無耕起無肥料栽培”奇跡の白菜”圃場。
1月前猛り狂ったように旺盛だった草ふじが枯れて、作付け準備が自然に整っている・・・自然のサイクルを生かした栽培、今年も奇跡を起こしますよ。
朝、自宅脇の鶏小屋付近にマムシが這っているのを見てぞっとした。
うわぁーあいつら噛みつかれないか、オレもいつか踏んづけたりして噛まれそうだ・・・なんだか気が重い1日の始まり。田舎の暮らしは危険が身近なものだと感じることが多い。
さて今日も仕事の予定が山のよう。
そのうちの半日は植木の仕事。
1人暮らしの年配のご婦人から依頼され随分とお待たせしていた。
このご婦人、癌の治療中で身体はかなり辛いそうだが、親しみやすいにこやかな表情が印象的だった。
お茶の用意とかいいですからゆっくり休んでいてくださいね、と言ったのにもかかわらず、3時になると暑い中やってくださってるんだから、と冷たい飲み物と手作りのお茶請けの用意をしてくださった。
そして話しは思いのほか弾む。普段1人過ごしているから人が来ると話したいという気持ちになるのかもしれない。
・・・ほんとに、あしたはどうなるかわからないと思って暮らしているよ
まあこのトシまで生きたんだからどうなってもいいんだけどね・・・
無論この先も元気に生きていきたいという希望のもとに大変な治療にも耐えておられるのだが、死ぬときは死ぬ・・・という諦念のようなものがきっとこの方の明るさの根底にあるんだな、と感じる。
さて仕事再開。
その矢先である。
剪定中のモミジ付近に巣があったらしい。
ジバチ(黒スズメバチ)だ!次々襲ってきたがとっさに逃げて、幸い刺されたのは1箇所だった。
ただし心臓のところだったので思わず 逝ったぁ!と声が出た。
そして座り込んで運命試しの時間・・・まあ前回全く反応が出なかったので多分大丈夫ではないかという予測、余裕はあった・・・。
まあしかし、いつどうなるかわからない、という言葉はだれにでも当てはまるのだろう。
生きているものはいつか死ぬ。それが間もなく訪れるとは普通考えないがそうかもしれない。
鶏にだって・・・今日はまた緊張度高く帰宅した。
無事だったかい・・・
イチニサンシゴーロク!
[E:#x1F44C][E:#x1F44C][E:#x1F44C][E:#x1F44C][E:#x1F44C][E:#x1F44C]!
またあした。
真夏の戦いは1分を超えて続いた。
炎天下の腕相撲、焚火の前、体感40度超え、身も心も燃えた・・・。
5月にも来てくださったお客様ご一家が再びのご来訪、2度目のBBQ堪能中に切り出した。
腕相撲やりませんか
前回も言った。でも後でと言っているうちに忘れてしまった。
なので、今やりましょう・・・
いや、僕はさほど強くはない。
だけど勘でわかる。
いい感じになる相手だということが。
勝ち負けはどうでもいいです
その一瞬、触れ合った肉体が力を出し尽くした末に得られる境地、それが好きなのです
(ボクシングの試合で1ラウンド目にダウンさせた相手が千鳥足で自分のコーナーに戻っていくのを見ていて2ラウンド目は相手の回復を待とうと考える男です)
・・・
さて、そして話しは畑のこと。
マルチをすればいいのかなぁ、と考えることもあります
春の地温は上がり草は抑えられる、作物の生育は間違いなくよくなるでしょう
この暑い夏が始まったとき、夏野菜の多くがまだできていない、なんていう情けないことはなくなるんじゃないかとおもいます・・・。
思えば不耕起栽培の野菜作りを始めたはもう15年前。
それから10年経って耕起をはじめた。
作付け時の負担がぐっと減った。
その後の草管理は予想どおり大変だが、もう今から不耕起には戻れないだろう。
さてそこで・・・
草が芽を出すそばから削り取ってしまう、または耕してしまう、のが常套(上農)手段である。
除草剤はホームセンターや100円ショップの店頭に並んでいて、ごく一般的なものらしい。
化学肥料を使えば生育スピードは格段で草に追いつかれないのかもしれない。
不自然な生育スピードは虫害を増殖させるのかもしれないが、良い農薬も開発されてきたようだ。
そしてマルチ。とりあえずこれは今や野菜栽培の必須アイテム。無農薬なら猶更かもしれない・・・。
この15年を振り返ると、ずぶの素人が原始の農業からその後の農耕の歴史を身をもって学習しているようでもある。
ただ、僕の中の消えないもの・・・なんだろう、競合、共有、尊重・・・その類のロマンというか・・・
野菜の一人勝ちに対する違和感、競い合う相手のない野菜に感じる寂寥感、市場の立派な野菜の”意義”への不信感、そんな様々なものが僕に”草を生やす”よう仕向けている。
僕のもつ強さへの憧れは、強い野菜を育てたい願望でもある。
強い野菜というのは抽象的で個人的な感覚だけど、それを食べて栽培夫の僕には明らかでない感覚まで伝えてくださる方々の存在が、ずるずると現代の”一般的なもの”を踏襲せずに踏みとどまっている最も大きな理由かもしれない。
個人と個人の触れ合う深い感覚があるのに、それを無にしてまで農業をしたいと思わない。
・・・だから踏みとどまる。
頑張れる。
ありがとうございます。
しばらくぶりに書き始めました。
でももう11時。
ちゃちゃっと書きます。
半ば衝動的にパソコンを中古で買いました。
使いたいときに使えるようになればブログの更新ももう少し頻繁にできるようになると思います。
ブログは僕の中では結構重要なツールだと思います。ただ農作業の忙しい時期、15時間明るい今の季節に優先順位が下がるのは間違いないです。ご理解のほど。
暑さ厳しく草の勢いが恐ろしいこの頃です。
そして空梅雨です、今年も。
いつものことですが、この時期には頑張ります。無理します。
車のクーラーは使わないし家にはクーラーはないしトラクターはないし除草剤は使わないし農薬は使わないし化学肥料は使わないし炎天下は草取りに最適だから昼休みは長くとらないし睡眠不足は気にしないし、いろいろありますが乗り越えられると思っています。
他人に褒めてもらいたいとか自慢するとかいうつもりではないです。そしてストイックを強要したいとは全く思いません。
ただ自分にどこまで根性があるか、それを試しているのだと思います。
大きく言えば、人という生命体力の限界はそんなに低くないだろう、そこまで便利さを追求しなくてはいけないものか、その先に幸せがあるのか・・・そんな感覚が漠然とですが根底にあり、要するに突っ張りたいのです。
作物に対する思い、農業への思いもそこに深くつながっていて、そのことを書きたいと思って始めましたが時間がかなりかかりそうなので今日はやめます。似たようなことを何度か書いているような気もしますが・・・。
弁当食べたら昼寝 なんかせず闇トレ
・・・公開
小麦とライ麦を収穫しました。
収穫している最中にどんどん気持ちが固まっていきました。
今年はすべて鶏用にすると。
麦がほんとうに大好きなんだもん。
ハサミでチョキチョキ籾だけを切り出して米袋いっぱいになったっところで帰宅。
さああいつら待ってるぞ~!喜ぶぞ~!
おいで~おいで~
当分山ほど食べられるぞ~。