百姓ではないけれど
まだ十姓がいいとこでしょう。
このところ雪掻きに明け暮れ、昨日味噌作り、今日は木の伐採、庭木の剪定の仕事を時々こなし、大工仕事が楽しみの1つ。
会得したいのは、何1つ、スペシャリストでなくとも、暮らしに役立つあれこれが自分でそこそこに出来る、というところ。
百姓を親に持ち、ここで生まれ育った僕の同年代辺りは、都市に移り住んだかほとんどこの地を去っているようなのだが、逆パターンの僕は、東京から移住15年目、ここでの暮らしは学びに満ちている。
まだ十姓がいいとこでしょう。
このところ雪掻きに明け暮れ、昨日味噌作り、今日は木の伐採、庭木の剪定の仕事を時々こなし、大工仕事が楽しみの1つ。
会得したいのは、何1つ、スペシャリストでなくとも、暮らしに役立つあれこれが自分でそこそこに出来る、というところ。
百姓を親に持ち、ここで生まれ育った僕の同年代辺りは、都市に移り住んだかほとんどこの地を去っているようなのだが、逆パターンの僕は、東京から移住15年目、ここでの暮らしは学びに満ちている。
「うえだ平和映画祭」に行ってきた。
5時半に薪ストーブ点けるため、新聞丸めようとしたら紹介が載っていた。
少し前に載っていた記事を「行くか」と、取っておいてすっかり忘れていたのだ。
6時から目当ての映画のようだ。ちょうどいい。
有難い。道は良くなり隣町上田まで、また30分弱で行けるようになった。
「カンタ!ティモール」
隣国インドネシアからの殺戮地獄に晒され続けやがて独立を果たすまで、その間決して憎しみをぶつけることをしなかった東ティモールの人々の姿や言葉を通し、命の意味を深く考えさせられる映画、だった。
感銘と影響を受け、考える。
昨日考えたこととはまた方向が違う。
何が経済成長だ!発展だ! と思う。
ここの人々を絶望の淵に貶め続けたインドネシア軍の武器製造費は、日本が先頭に立って工面していたという話、大量の石油を必要とする日本とすれば、インドネシア様々ということで。
遠くの悲鳴は聞かぬふりして、自分たちの贅沢な暮らしを謳歌していたとは。自分もその1部だったとは。
なんか、ちょうど時期良く以前見た映画も思い出したけど、”夢の舞台”オリンピック施設を作るのに相応しい場所だとかいって、原住民が暮らす美しい山間部を切り開くため、迫害を加えようとした悪魔のようなIOCもまた・・・。オリンピックなんか見るかボケ!と思ってそうしているが・・・。
どうも昨日のブログに書いたことは少し偏ったところもあったかと思う。
で、また今日もそうかもしれない。
刹那の感受性から生じた極端な発想は、いずれにしても避けた方がよいかとも思う。
実際は僕自身が進もうとする方向はずっと前から変わっていない。
明確ではないが、どこか自信もある。
正しいとも思うし、望む社会の形もある。
でもそれが観念的と感じているから、昨日のように書く。
なるべく現実を、体験を通した物事だけを言いたい。
イメージとそれを元に構築した考えだけで「こうあるべき」・・・「こうでなくてはいけない」とは言いたくない。また、人のそういう言葉をあまり聞きたくない。
・・・・・
さあさあ、明日は年に1度の味噌作り。
考え事はほどほどで。
大事な薪が底をつき、ご近所からお借りした分も残り僅かとなって、いよいよ意を決して畑の薪置き場へ向う。
市道に車を止めるしかなく、そこから先の農道は腰までの雪が積もっている。
目的地は遠くに見える。気合が足りなければたどり着けそうもない。雪の農道をラッセルする。
まだ緊迫していた3日程前のこと、近くに住む80歳の女性が、通行可能な道まで約50メートルある雪の庭を、独力で掘り進んでいる姿を見た。それを思い起こして励みとした。
到着!
有難いもので、機械出してやろうか、と途中声をかけてくださる人がいたが丁重にお断りして、自分の肉体を使いこのライフラインを開通させることにこだわってみた。清清しさ、のようなものを味わう為。
しばらく続けているジョギングと縄跳びをこの1週間はできずにいるが、体調体重は変化なし。身体のコンディションは良い。
・・・・・
今度の災害でコンビニ弁当やコンビニおにぎりカップラーメンスナック菓子が大活躍だったことを伝える新聞記事を読んだ。今後これらを悪く言うつもりはないし、そんなこと出来るわけがない。
また、うちの辺りで、人力では途方もない苦労と思った道明けが、重機のおかげで数時間で開通するのを目の当たりにした・・・。
機械のおかげで、石油のおかげで、そしてカップラーメンのおかげで、コンビニのおかげで・・・電気のおかげで、化学調味料、防腐剤等添加物のおかげで、人の命が救われる実際を体験し見聞きする。
ただ、だからといって、機械がなきゃどうにもならない、とは言いたくない。
カップラーメンやコンビニ弁当がなければ生きていけない、とは言えないことと近いようにも思うが、これは感性の問題だろうか。
ほとんど機械を使わず僕のする農業は、大規模にはなりようがなく、何か社会のためになり得るという手応えもない。
鍬を振るい、腰をかがめ手で草を取り、蛭に噛まれて、かつて農村では米や野菜を作っていた。大変な苦労だったと思う。
そこにトラクターが登場し農薬、化学肥料を使ってする農業が主流となった。これらの誕生は農家を歓喜させたはず。
更に今や食品原料全般、輸入が主流となり、その上に則ってこの社会の歯車は回っている。
僕は昔を知らないが、今にして思えば、苦労ばかりではなかったんじゃないかと、そんな気がする。今では味わえない良さがあったんじゃないかと。
でもそれは懐古趣味といわれるかもしれない。僕のイノセンスなイメージかもしれない。
今はとにかく何に対しても、否定は出来る限りしないつもりでいる。
むしろ有難いものばかり・・・。
良い悪いじゃない。単純に僕は好きなことをやって好きなように生きたいと思っているんだな。
我がままの許される範囲で、頑張ろう!
まだ3分の1ほど手付かずだった我が家周辺の山道が、本日晴れて開通!
さすがのバックホー様、そして業者及び作業員様、手配してくださった区長副区長様・・・住民一同感謝感謝。
晴れて、といえば、雪予報がなくなって、この先1週間なんと全部晴れマークに!オーイエーース
よく溶けてけてくれることでしょう。
心も晴れ晴れ!でも気は緩めずに。
ご心配くださりありがとうございました。
雪はようやく上がったが、この大雪に閉ざされた山の上の数戸の中の1軒がうち。
眼下に古い集落があるが、そこから奥の細道は寸断されている。
ということで1日中必死に雪掻き。
胸の辺りまで積もった雪を掻き分け掻き分け、目指すのは50センチ程の幅の道を何とか通すこと。
人が歩ける連絡通路があれば何とか助け合える。
薪と食料は足りているか、が合言葉となった。
ただ、生きる為に働いている。
汗が噴出してくる。
感じたのは
なぜだか
疲れよりも、爽やかさだった。
雪深い森に居て木を運んでいる。
体力を使った単純作業で暮らしのベースを築くために働く。
働きながら、
まだ東京で暮らしていた頃、15年程前に描いたイメージが、凡そ実現しているのだとふと気がついた。
今の現実の姿は、それと比べればかなり中途半端な絵、とはいえ。
時々立ち止まって、確認すべし。
いつか憧れたイメージが目の前にあったりする。
その時、幸せを自覚しよう。