大事な薪が底をつき、ご近所からお借りした分も残り僅かとなって、いよいよ意を決して畑の薪置き場へ向う。
市道に車を止めるしかなく、そこから先の農道は腰までの雪が積もっている。
目的地は遠くに見える。気合が足りなければたどり着けそうもない。雪の農道をラッセルする。
まだ緊迫していた3日程前のこと、近くに住む80歳の女性が、通行可能な道まで約50メートルある雪の庭を、独力で掘り進んでいる姿を見た。それを思い起こして励みとした。
到着!
有難いもので、機械出してやろうか、と途中声をかけてくださる人がいたが丁重にお断りして、自分の肉体を使いこのライフラインを開通させることにこだわってみた。清清しさ、のようなものを味わう為。
しばらく続けているジョギングと縄跳びをこの1週間はできずにいるが、体調体重は変化なし。身体のコンディションは良い。
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今度の災害でコンビニ弁当やコンビニおにぎりカップラーメンスナック菓子が大活躍だったことを伝える新聞記事を読んだ。今後これらを悪く言うつもりはないし、そんなこと出来るわけがない。
また、うちの辺りで、人力では途方もない苦労と思った道明けが、重機のおかげで数時間で開通するのを目の当たりにした・・・。
機械のおかげで、石油のおかげで、そしてカップラーメンのおかげで、コンビニのおかげで・・・電気のおかげで、化学調味料、防腐剤等添加物のおかげで、人の命が救われる実際を体験し見聞きする。
ただ、だからといって、機械がなきゃどうにもならない、とは言いたくない。
カップラーメンやコンビニ弁当がなければ生きていけない、とは言えないことと近いようにも思うが、これは感性の問題だろうか。
ほとんど機械を使わず僕のする農業は、大規模にはなりようがなく、何か社会のためになり得るという手応えもない。
鍬を振るい、腰をかがめ手で草を取り、蛭に噛まれて、かつて農村では米や野菜を作っていた。大変な苦労だったと思う。
そこにトラクターが登場し農薬、化学肥料を使ってする農業が主流となった。これらの誕生は農家を歓喜させたはず。
更に今や食品原料全般、輸入が主流となり、その上に則ってこの社会の歯車は回っている。
僕は昔を知らないが、今にして思えば、苦労ばかりではなかったんじゃないかと、そんな気がする。今では味わえない良さがあったんじゃないかと。
でもそれは懐古趣味といわれるかもしれない。僕のイノセンスなイメージかもしれない。
今はとにかく何に対しても、否定は出来る限りしないつもりでいる。
むしろ有難いものばかり・・・。
良い悪いじゃない。単純に僕は好きなことをやって好きなように生きたいと思っているんだな。
我がままの許される範囲で、頑張ろう!