天命

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春のお彼岸は
18時まで明るく
秋は18時に暗くなる
やらなきゃいけない仕事量が春と秋で全然違い、いつもこの時期恐怖に襲われる。迫りくる闇夜の恐怖、不安焦り、動悸が止まらない。こんな感じ、農業してる人には分かるだろうな。
最近、自分の健康を損ねてまでしなきゃいけない仕事なんてない、うんそうだ、と聞いたふうな会話をしたばかりだが、ここから健康を損ねるというラインがあるのではなく、結局は、すべて天命に任せるだけ。

趣味の仕事

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猛暑の夏!

信州でも朝から茹だるような暑さ。毎日ギラギラと太陽が照り付ける。

これは僕の理想のイメージどおりの夏だ。汗をだらだら流しながら、ぼーっとなりながら炎天下の畑で草の海を泳ぐ。

40年近く前の部活の夏合宿で炎天下にグランド30週とかやってたな、あの日も35度だったぞ、なんて思いだしたりしながら。

そして、お楽しみの良く冷やした酒、ビール、、食欲は全く落ちないどころか寧ろ増してくる、オレは典型的な夏男!、、という感じで過ごしていたら胃に激痛がきて、、、。

 

胃薬だけでももらっておくか、なんて考えて医者に行ったのはまさに飛んで火にいる夏の虫だった。

以前の血液検査で高い腫瘍マーカー値がでてますね、うん、これは調べてみましょう

いや、いいですよ、それ見たくないです知りたくないです、ただ胃薬をいただけたら、、

いや調べた方がいいです

結局血を取って調べることになり、また腫瘍マーカー値の更なる上昇を知り、すこしビビってしまい胃カメラだとか大腸検査だとか。

胃も腸も癌はありませんね、、、とするとなんだろう??、、、そこを明確にしていきましょう(マーカー値上昇の原因を)

いやいやもういいですよ、充分です、ありがとうございました 過信して調子に乗り過ぎて胃を壊した

っていうことでしょう、これからは食生活もその他のことも節度をもって生活しなきゃと思います、、、、、

 

ということで、良い戒めをもらった夏となった。

って半年前にも戒めをもらったはずだが、ほんとに喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんだよな。

過信、ほんとに気を付けよう。

 

「お盆前に庭を綺麗にしてほしいの お父さんの新盆だから」と急に依頼がきたのが数日前。

農業を始めた頃にお世話になった直売所の親方だったTさんの奥方から。

不調は続いていたが、Tさんの顔が頭に浮かび「なんとか行くようにします」と答えた。

暗いうちから働いて農作業を済まし、三脚を積み道具を持ってTさん宅へ。

無理したくないと思っていても無理しなくちゃいけない状況なんて、これからもいくらでもあることだろう。身体の声に耳を澄ませてばかりで生きていけるものではないなと思う。まだ戒めた矢先なのだが。

 

この日も猛暑日となったが、身体はよく動いてくれた。汗をだらだら流しな、そして気分はぐんぐん良くなってくる。仕事は思いのほかスムーズに終わった。Tさんに思いを馳せる。

 

なんか自分で言うのもあれですけど、目をかけてくれていたというか、、なんとなくいつも気にかけて

いただいた気がするんです

わかった? そうなのよ、息子みたいに思っていたみたいよ

 

じわーっと目頭が熱くなった。

仏壇の写真が僕を労ってくれていた。

90過ぎても趣味のように仕事を続けていたTさん。僕はいつかわかりわかりませんが、それまで趣味の仕事頑張ります。過信せず、健康をちゃんと意識して、できるだけ長く頑張ります!

 

食べたいものを食べたいだけ食べるということ

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精密検査では胆嚢にコレステロールポリープ(良性)が多数あり、それが集まっているところが巨大なポリープ(隆起)に見えたのかもしれないが、特に問題ないです、という診断結果だった。とりあえず一件落着。

多数のポリープに関しては、なんとなく思い当たる節がある。

1つ例を挙げると、、、

昔から豚骨ラーメンが大好きだった。2000年に長野県に移住してきたら全然なくて、そのことが1番辛いと思ったほどだった。

今や長野にもすっかりラーメン文化が根付き、豚骨ラーメン屋もいたるところで目にするようになったのだが、ここ数年は食べたいという気持ちがまったく起きなくなっている。

それでも”俺は豚骨ラーメンが大好き”と頭にインプットした情報の元、たまには食べてみてまあ美味しいとは感じるのだが、胃がもたれたり気持ち悪くなったりでげんなりしてしまう。

だったら、もう食べなければいい。

結局、体の声を聞くだけでいいのだ。体が食べたいものを食べたいだけ食べよう。

 

若い時は誰でも無駄なことを沢山する。それは必然であり、それを無駄とも思っていない。

無駄の尺度は年齢により変わる。無駄と思うなら、そのときやめればいいだけだ。

無理が利かなくなってくる。無理と思うことにチャレンジしようという気力は必要なものかもしれないが、潔く割り切ることもより必要になってくる。

大ベテランだった衣笠さんが、若手(確かヨシヒコ)に弄られて「無理がしたいんだよ、オレは!」というCMがあったのを覚えている。少年だった僕からすれば相当なおっさんと思ったが、あの頃30代半ばだろう。まだぴっちぴちだった。

 

自然の摂理、年齢を重ねることへの肯定感が増している。楽しいことだと思う。

無駄がそぎ落とされていき、感覚が研ぎ澄まされていく。

これから、より自然体で心身健やかに生きていけるのではないかと思っている。

 

後悔などあろうはずがない

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元野球選手イチロー氏の引退会見時の言葉だったと思うが、何度も何度も、それが自然に口をついて出た。

いよいよ死線が見えた日、未知のことゆえ多少の不安はあるものの、怖くは感じなかった。あとは少しの寂しさと家族への申し訳なさが浮かんできたが、それも割り切るしかなかった。

実際思い残すことは何もなく、その瞬間がきたら渡っていくだけだと覚悟を決めた。

スズやコロやヒメ、ピヨ、プク、チビ、、まろ(友人の愛犬)にも会えるかな、、、そんなことを考えていた。

こういうと身近で首をかしげる人もいるかもしれないが、、僕は自分なりに本当に精一杯生きた、現実の結果がどうあれ最大限できることをしたつもり、ベストは尽くした、まったく後悔など、、、心底そう思えた。

この日は眼が冴えたまま朝を迎えるまで一睡もしなかったが心持としてはとても落ち着いていた。

 

ことの発端はずっと昔、右肋骨下あたりの違和感があり病院に行ったとき、胆嚢にポリープがあるといわれたこと。

但しその時点では何か症状が出るようなものではないはずで、1年に1度経過観察(エコー検査)していればいいでしょう、とのことだったので、そのうちそのことはほとんど頭から消えてしまった。

 

それから20数年の時を経て作年末、右上腹部辺りに鈍い痛みが続き大晦日、正月三が日とさんざん飲み食いしたら痛みがさらに増した、、、そこでずっと忘れていたことを思い出した。”胆嚢ポリープ”。

急に閃いたからこれは何かのお告げではと予感がして病院へ。年に1度の検査を進められてから20数年1度も行ってなかったではないか。

 

以下はドクターとのやりとり。

痛みがあるの?

はい

(小型エコーで覗いて)う~ん分厚いな、ポリープというより凸凹に変形して盛り上がっている

・・・そうですか、悪性の可能性もけっこうあるんですかね?

良性なら大きくならないからね

・・・たしか、昔言われた気がするんですが、1センチ以上にまでなったら悪性の可能性が高まるんでしたっけ?

これ2センチはあるよ、、早く切り取るべきだと思う

・・・

そして血液検査の腫瘍マーカー値は基準値をかなりオーバー。

 

帰宅してネットを漁る。胆嚢癌の項目に当てはまることばかりと感じる。痛みが出始めたら既に進行している状態だと知る。

その後数日で痛みは増し食欲は減退、もう疑う余地はないと感じた。

 

 

ところが、

その後別の病院を紹介されて、、、

覚悟はすっかりできてます!

ドクター

いや、これポリープが悪さしてるとは思えないですね

はっきりしたことはまだ言えないけど胆嚢癌という可能性は低いと思います 痛みは他の原因じゃないでしょうか

え??、、、そうですか

ドクター

腫瘍マーカーやポリープの大きさ等心配なところもありますのでもう少し精密な検査をしましょう

日取りは、、、(だいぶ先)

 

というわけでまだグレーゾーンではあるものの、急に楽観的な感じが漂うようになった。不思議なもので食欲が一気にでてきた。その時は一瞬拍子抜けというかぽっかりと穴が開いたような気分にもなったのだが、今はもうすっかり前向きな気持ちを取り戻している。

仮に何があっても大丈夫、どんなことも受け入れられる、そういう自分であるとわかったことが大きな自信として残った。力が湧いてくる。

 

この間に癌に関する様々な本を読んだ。

癌を呼び込む食事や生活全般、情報は山ほどあるが、現代は2人に1人が癌になる時代という。いや100人に100人の体に毎日癌細胞は生まれているのだというから、免疫がうまく働かなければ自分の中の癌細胞が育つわけだし、、なにも特別なことではなくすべて自然の営みに基づいているのだとわかる。そしてそれがそれぞれの運命なのだと。

健康に良い、生命力に溢れた野菜作りに励んでいて、毎日の夕食では健康度100点満点と自賛するメニューを用意する僕も、昼食は仕事の移動の合間に牛丼屋に駆け込み入店から5分後には御馳走さまと店を出ることや、片手ハンドルで運転しながら菓子パンかじって昼食、なんていうこともあった。あとラーメンスープをどんなにギトギトであっても苦しくても最後の一滴まで飲み干すなんていう自分なりの決め事もあった。

さすがにそんなことはやめようと決意しているが、癌を育てる土壌というのは、加齢とともに培われる面もあるだろうし、日常の1つ1つ、ストレスを中心とした複合的なものだろう。

 

よく動き、よく休み、よく温めて、深く呼吸し、よく笑い、糖分塩分脂分控えめに、無理はせず、と紙に書いて壁に貼り付けた。

だけどわかっている。守れない時があること。気持ちが先走り、無理を承知で動くこともあるだろう、こと。それが生きているということだから、、と思う。

 

 

右上腹部が痛くて動けない日が続く。

癌では、と思い込んだ頃からボクシングジムに通い始めた。気分と体温を上げて癌細胞を弱らせよう、その他の細胞を活性化させよう、と考えたことが大きな理由だったが、それが束の間の憩いの時間となっていた。試合が近い選手のスパーリングパートナーとなって役立ちたい、また上達したい、体調は芳しくないながらもそんな風に気持ちを奮い立たせて通うことが楽しみになってきた。くたくたになったが、癌だとしても死滅するのでは?いや疲れすぎて免疫低下かな?そんなことを考えたりして、、、農閑期の趣味として高揚感が芽生えてきた、がその矢先どうやら無理がたたったようで動けないほどの激痛がきた。

今これは胆嚢ではないよなぁ、脇腹の筋肉の肉離れ?肋間神経痛?と思っているが。(肋骨折れてた)

 

 

人生をフルコースで深く味わうための

いくつものスパイスが誰もに用意されていて

 

とミスチルの歌詞にあることを思い出し、

いやぁほんとに、と思いながら口ずさむ。

 

自然栽培

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心という、

宇宙よりも大きな自然を栽培してる。

人生すべてかけている。

時間と空間を飛び超えて、

遠くの友人旧友ご先祖沢山の人、人だけでなく物事も、

すべてさじ加減よくとはいかないが、

ストレスも濃密な味をうみだす素だから、

かかわってくれるすべてに感謝。

 

限界点

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数年来の痛み、苦しさ、これはもう限界じゃないかと何度思っただろう。

死ぬ時ってもっと痛いのだろうか?これ以上に苦しむということなのか?

そんなことを考えながら耐えていた。苦痛の極限の先に死があるとイメージしてた。

でも最近、なんとなく気づいたことは、限界点は限界点なのだということ。

限界の上はなく、それ以上の痛みや苦しさが死、ということではきっとない。

耐えられないから死ぬわけでもなく、限界の前に死ぬことだってある。

向こうへ行くのかこっちに残るか、、、生死の境は神のみぞ知る領域だから、ただ運命に身を委ねるだけなのだ。

隣り合う生死

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数日前家のベランダの頭上でスズメ蜂の巣発見。既に30センチ近くまで肥大した豪邸。
子育てに追われる蜂達が盛んに飛び交っている。洗濯物を干したりちょっとした作業をするその真上だから、何故気付かなかったかなぁ、そしてよく今まで無事だったものだと思ったが、見ていると蜂は一心不乱というか、こちらのことなど気にしていない。人の住みかにこんなにも隣接して巣を作り、安心した様子で子育てしている。可愛い!
可愛いから悩んだ。注意深く行動すれば共存できるような気もする。ただ場所が場所だけに刺激を与えかねない。生き物の本能が咄嗟に発動することはわかっている。家族の誰かが刺されるかもしれないし、昔1度に20発以上刺され、次刺されたらヤバいと診断されてからも3回刺され、その度に死を覚悟する自分の命も大事にしたい。
なので決断し昨夜決行した。寝静まったところで蜂用の殺虫スプレーで一網打尽。
ここにさえ作らなければ、と思うが感傷は挟まず終わりとしよう。命のやり取りの中を誰もが生きている。タフな心身、精神が必要だとあらためて思う。

根気

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日照り続きでいよいよからっからになってきた畑。
野菜たちは木陰に逃げ込むこともできないから、植えられた場所で、苦しみながら、身を潜めたりして、生き延びる努力をそれぞれがしている。
僅かな水分を辿り、必死に吸い上げている根のことを想像していたら、そうか、それが根気か!と今さらながら理解した。根気、、生きるために最重要なものだ。

根気を失なえば屍になる。

作物に刺激をもらいながら、今日も炎天下の地道な作業を、根気強く。

太陽みたいな人

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1番日の長い頃の飲み会。窓の外がまだ明るい。

メンバーはいつもの80代後半女性、60代後半女性、そして僕。

世界中周り、沢山の男と遊び、好きなだけ酒を飲み、好きなものを食べ、好きに生きてきた全く悔いのない人生だ、人生は楽しい!と80代女性が言う。絵描きとして毎年パリを旅する自由人を絵にかいたような元教師、現保育士の60代女性が大きくうなずいている。経験の乏しい僕は、強いて言えば”型にはまらずに”生きようとしているところが共通点だろうか。

お二人の圧倒的なオーラがテーブル周りも明るく照らす。僕は主に聞き役。ここでは楽しい話しかでない。愚痴、他人の噂話、悪口、議論、そういうものはまるでなし。

太陽みたいな人たちだ、と思う。独自で強い光を放っている。自分の熱量光量を高めることに専念している。太陽の明るさは親分肌のリーダータイプや仲間思いのクラスの人気者タイプとは少し違う気がする。皆に光を届けてあげよう、という親切心が先ずあるわけでもない。

今の時代に、あんなもの持ちたくないわ、と携帯電話も持たない彼女たちの発する光量でずっと眩しかった。

蘇生

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夜中呼吸困難になり、ダメかも、どのくらいで意識を失うのか、死に至るのか…なんていう気持ちが久しぶりに頭をもたげた。悪戦苦闘の最後の力を振り絞り、真夜中家中に…山中に響き渡ったかもしれない唸り声とともに息を吐き、、そしたら痰が抜けた。鼻から抜けた。しばらく放心状態。その中で味わったことのないほどの爽快感が沸き上がり、続き、感極まった。

通ってる。生きていける。よかった、手術してよかった。

・・・・・

気持ちがまた何歩か前に進んだ。

まだまだ痛く苦しくぎこちないが、この先伸びしろしかない。

 

幸せかもしれない。

相対で感じる。

他人は関係なく、対象にするのは過去の自分。

3年前を考えたらずっとまし。

1年前より相当良い。

1ミリずつ進む。
地道に1歩目のホップを踏み続けよう。

 

ついに・・・

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スマホを買った
ずっと嫌悪してきて最近まで一生持たないと決めていた。自慢の意志の強さ、最後意地になって粘ったが、、粘るのやめた。決意は状況で覆ってしまうなぁ。

思えば、絶対耕さない(不耕起栽培)とか、薬は一生飲まないとか、一生愛することを誓いますとか言って、、、前言撤回の繰り返し。これからだってきっと何度もするだろう。

そしてその度にすこしずつ寛容になる。他人にも自分にも、すべての生物、生物以外のあらゆるものに、、、そんな気がする。いいことだ。

スマホ持ったらなんか視界が急にくっきりと広がった気がするなぁ。

 

カモン コロナ

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壁を取っ払って受け入れたいと思っているよ

思いっきり尖ってる稀有な個性のヤンキー転入生、コロナはそんな感じだな

本当に痛めつけようなんて思ってないから、そんなに怖がらないでいいんだ

皆の中に受け入れられたいのが本心だよね

自分一人では生きられない
自分の居場所が必要なんだ

だから次第に角が取れ毒気が抜けてきたね

変異して、そして広く溶け込もうと努力してるよね

怖がり続けてる人が多くてもどかしい限りだよ

俺はもし免疫のプレゼントいただけるなら
ありがたいことだから感謝するよ

 

梱包袋

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昨日発送の「旬のセット」の梱包は、ほとんどを中古袋でさせていただきました。
他商品の梱包袋など、ストックして溜まってしまったものを使いました。
汚れの酷いものや匂い移りのするものは避けますが、今後も中古袋をどんどん活用します。
その際は、箱を開けた時の視覚からの感動はきれいな透明袋とでは違いがあるかもしれません。そして、言ってしまえばうちのプラごみを引き取っていただく形ではありますが、鮮度保持のためにはやはりビニール系の袋は必須、と今のところは思っていますので、ご理解ください。
環境保全型の農業、、”できるだけ”の強度を上げる努力をしていかなくてはと思っています。
よろしくお願いします。

生き物

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「環境保全型農業」という行政の取り組みに加盟しているのだが、

書類の中に畑の生き物を挙げる項目があったので、僕は草の名前ばかり列挙した。

意表を突いたわけではない。

紛れもなく草も生き物であり、極力草を生かすようにして共存することで、他生物の住処にもなるのだし、多様性のある活力に満ちた畑になると思っているからだ。

活力のある畑で作物にはたくましく育ってほしい。

自分にとって環境保全農業のベースとなるのは、まず多種多様の草が畑にあることだと思っている。そして環境保全という言葉は広義だが、まず生きるために口に入れるものが健康であり力を持っていること、人の食生活がそういう環境であることが、実はかなり重要ではないかと思っている。

栽培として、草との戦いはもちろんあり、殺めねばならない命もたくさんある。だが、病原菌が寄生する温床としての人体を絶滅させてしまわぬように、生物は他生物によって生かされているのだから、殺生は必要最小限にしたい。篤農家の目指す草一本もないきれいな畑には恐怖を感じるし、そこで育っている作物が、見た目は立派でも貧相に見えてしまう。偏見ではないと思う。

そこを、うまくコントロールできればと思って、なかなかそうもいかないのだが、、、

とにかく共存、共生という考え方が大事。

ちょうど知人が体調を崩したと聞いたこともあって、僕はとにかく活力のある健康な野菜を育てたい、それがミッションだと、またあらためて思っている。

 

 

夢幻Ⅱ

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雨の中で割れることもなく

真っ赤に、美味しそうに、

トマトが生っていた

 

告別式が執り行われた雨の日に立ち寄った

あの畑の光景が思い浮かぶ

そして今ここで、あのときに似ていると感じた…

 

トマトを大切に持ち帰った

そして引き継いで命名した

トマトも栽培していた方も

スペシャルでありナチュラルであったから

合わせて”スペラルトマト”

そうしたら、スペラルが乗り越えるという意味を持つ言葉とわかった

この偶然はすごかった

 

先日大雨が続いたときの裂果が壊滅的と思ったのは浅はかだった

それからも毎日のように雨は降るが、今は立て直してきている

耐性ができたかのように、しっかりと乗り越えようとしている
実は、引き継いだ種は2年前になぜか発芽せず、残念ながら絶やしてしまったのだが、

魂が残っていると感じる

ちゃんとここに息づいている…

 

8月末が近づくとトマトを通じて必ず思い出す

亡くなられて8年、時を経て一層尊敬と親しみが増している

 

真っ赤に熟し

たくさん種を宿し

命を持っていたトマトの実が

死をもって僕に活力をくれる

いや僕の中に生きているのか^

生死の境は曖昧に、ぼやけて見えてくる

 

随分前のこの時期に”夢幻”という記事を書いたことがあったので

夢幻Ⅱというタイトル

 

考察

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気温ぐっと上昇

カラカラの畑

グッタリなスペラルトマト

 

さてこのトマトは何と言ってるか?・・・

答え、何も言ってない。

彼らはどんな状況でも前向きに、生きるため、命のために当たり前にベストを尽くす。

弱音を吐くのは人間だけ。メンタル弱く自滅するのは人間だけ。

 

栽培夫にできることは、そんな過酷な状況を改善してあげること。・・・なのだけど、投じた一手が改善につながるのか、もしかすると改悪になってしまうのか、それが非常に難しい。

強いて言うなら、このトマトから感じるのは、何もするな!のオーラ。

だから、僕は余計な手出しはしなかった。・・・いや、何もするなは内なるコロの声かもしれない。

 

コロを死に追いやってしまった日、リハビリ準備に張り切る僕を見るコロの目が、明らかに怯えているのを知っていた。

抱え上げた時の叫び声、命潰えた瞬間の呻き声、今もくっきりと耳に残る・・・。

 

基本的に自然、そして生命に対し何もしないほうがいいのだと、その認識が今はより強まっている。ついついあれこれと手出しするのは、それが人間の、、自分の愚かさの、弱さの証なんだろう、と思う。難しいけど気を付けていたい。

 

覚醒

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これだけぐしゃぐしゃですと、大掛かりな手術になりますのので、入院は10日間必要でしょう

10日ですか!?

はい、肋軟骨を移植しますし、そうすると身体のほうに多少ダメージも残ります…いずれにしてもひと月ぐらいは仕事もセーブする必要がありますよ

??… (なるほど、東京じゃなきゃできないっていうぐらいだからなかなかの手術っていうわけか)

どうしますか?

……

決断できましたら承諾書にサインしてください、手術ですからそれなりにリスクはあります、肋軟骨採取の際には、肺を傷つけたりして、気胸を発症する可能性も稀にですがあります、そのかわりこの手術で生活の質が劇的に改善される可能性もあります…

そうですか、やめておきます

 

この時頭に浮かんでいたのはコロのことだ。

2年前の年末に大腿骨を粉砕骨折して、やはり遠方の名医のところへ足を運び大手術していただいた。手術は成功、粉々の骨をまとめてワイヤーでぐるぐる巻きにしてある画像をみた。いずれその足に神経が宿り、元のように歩き回れる日を目標にリハビリを始めた。年が明けて春、農業が忙しくなるまで3か月の間になんとかある程度のところまで持っていきたいと願いつつ、とにかくずっと付き添い励まし続けた。3月になり、焦りからリハビリの強度を上げて無理を強いた結果、コロは一瞬で死んでしまった。その遺体を捌くときに見つけた…新しい足!!!コロは、自然は、大手術施した足のことは諦めていた。その根元に足が育ち始めていた。自分なりに生きる術を準備していたのだ。あれを見た時のことは一生忘れないだろう。

そのイメージが、ふっと浮かんでいた。

僕の中に住むコロが発動した。

手術は悪、自然任せは良し、というつもりではないが、気づいたら、やめます!と、大きな声を出していた。

 

思いっきり呼吸ができる生活への渇望は、とりあえず封印。

昔のイケメンに戻ること、それはもともとどうでもいい…

 

さて長野に帰り日常に戻った。ここではすでに育苗が始まっていて、蒔いた種は芽を出し、成長の第一歩を歩みはじめている。この命を当然見捨てるわけにはいかない。いやいや、みんなのこと忘れっこないじゃありませんか!!今年は地温の高まりも早そうだ…やることは山ほどある。そもそもが、手術など受けている時ではなかった! dream is over

 

マス苦

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睡眠中に窒息死がチラつくほどの苦しみを味わうことが増えてきて、ついに鼻を少しは通るように直したい…と思うようになった。

ボクサーの時にへし折れて崩壊した鼻、思った以上にひどいそうで、できれば農閑期の間にと思っていたが、いろいろたらい回しにされた後、長野ではできないから東京の大病院でということになり・・・

畑も忙しくなり始めた今頃になってようやく東京へ、手術日を決めに。

東京は桜満開、すでに葉桜になりかけていたりする。

ニュースでは見たが、ほんとに全員マスクだ100パーセント。

まあもっとも長野でも変わらないのだが。

オレは勘弁願いたい…みんながしてるからするというのは苦手、人に言われてするのは苦手、そして何より苦しい。

ドクターいわく、普通の人が鼻から吸い込める空気を10としたら、これだと1か2かもしれないね・・・ガーン、それでかぁ、マスクなんかしてたらほんとに死んでしまうわ。

とはいえ病院内では注意されてしまったので、してた。他は新幹線でも街中でも勘弁願った。

他の人はガラガラの車両でも、人通りの少ない路地裏でもマスクマスク…

中学生のころに部活でマスクをしてランニングさせられてた。
心肺機能を高めようという、先進的(?)な顧問のアイディアだった。マスクをするといつもあれを思い出す。

さぞかしみんなのスタミナは・・・

さて、手術の話は、また。(続く)

 

 

 

 

 

人体実験

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三寒四温、今年ははっきりしていて、春の足音は大きくなったり小さくなったり。

そんな感じもまたいいですね…ぁぁ自然だなぁ、と思います。

畑の凍みは緩み、ようやく昨年の作付けで使った支柱を片付けました。

柿や栗やその他の果樹の剪定をして、敷地内の林で伐採して薪づくりをして、新たに少し畑にするスペースを開拓して、それから作付けを練り、種の点呼をして…焦らず一歩づつ、春を迎える準備はだいぶ整ってきました。

コロナ騒ぎがなければ、もっと浮き浮きとした気分になるのは間違いないところです。

畑がすっきりしたら、モズやヤマガラなど野鳥たちがやってきて遊ぶ様子が目に付くようになりました。木の枝にとまっているモズが、時々地面に何かを見つけ飛び降りてつついてます。虫がうごめきはじめていているのかと思います。

コロナと関係ない、そういう生態を眺めていると、気持ちが洗われるし落ち着きます。

 

ワクチン接種、国内でも始まりました。

我先にと接種を望む人多数のようですね。高齢の方などはやはり安心するようですね。

急ぎ完成させた検証不十分なものだから、世界中で人体実験している、なんて揶揄する声も一部出ているようですが、それもいいんじゃないでしょうか。

人間が他の動物を使って実験を繰り返す事実からは不快感しか湧きませんし。

僕はもちろん100パーセント射ちませんが。