不耕起連続栽培
去年茄子を栽培した場所にソラマメを定植する。
茄子の収穫を終えてから全く何にもしていない場所。
ただ植え穴をあけ、そこにポットで育苗した苗を当て嵌める。
支柱もそのまま使う究極の省力栽培。
僕にとっては当たり前でも、ビックリされることも多いやりかた。
問題なのは結果だ、とは心得ていますよ。 ふっふっふ・・
去年茄子を栽培した場所にソラマメを定植する。
茄子の収穫を終えてから全く何にもしていない場所。
ただ植え穴をあけ、そこにポットで育苗した苗を当て嵌める。
支柱もそのまま使う究極の省力栽培。
僕にとっては当たり前でも、ビックリされることも多いやりかた。
問題なのは結果だ、とは心得ていますよ。 ふっふっふ・・
今日の天気は本当につかみどころがなかった。この時期の特徴だ。
昨日から今日にかけて夜の間にぐんぐん気温が上昇し、雨の暖かい朝を迎えた。
午前中は育苗ハウスの中ででレタス、青じその播種などをしていた。
昼頃になって突然寒くなりみぞれに変わった。
2時頃、気温は3度と低いものの陽が射し始めた。
手ぐすね引いて待っていた。雨上がりには種降ろし。前倒し播種。まだまだ適期には程遠い。
水菜、小松菜、こかぶを蒔く。そして、風が強く冷たくて今日はできなかったが、明日の朝保温資材(不織布)で(躊躇しなくなった)べたがけ。
それで大分発芽→生育がかなり違う。
自然農の野菜を気に入って取ってくださる人も冬の間必要な野菜はスーパーでハウスのものを買って食べるかもしれない。うちだって(滅多にはないが)野菜を買うこともある。
端境期を少しでも短くするために努力してみようと考えるようになった。
求められるもの、経済的事情、主義、感性、いろんなことを天秤にかけ決断し行動する。
昨日のブログとはなんかえらく違ってきたが、要するに(人生は)試行錯誤の連続なのさ。
今日は発送日。
毎度の貯蔵野菜中心セットだが、”目玉”に、と思っていたこの時期ならではの、砂糖をまぶしたかのようにあまいあまい”這う”ほうれん草は、いい感じで伸びてきていたのに、昨日一昨日の強烈な霜とからっ風で葉の半分ほどは枯れてしまい、食べるところが少ないので今日は除外するしかなかった。
畑から農道を挟んだ対面の窪みに、ヤブカンゾウが群生している。
この新芽は甘菜と呼ばれるほど甘いものだが、いつの間にか丁度いい感じに伸びてきていた。丁度採り頃。これはあまり大きくなってはおいしくなくなってしまう。収穫しセットに入れた。
その群生を見たとき、なんと表現したらいいのか分からないけど・・・ 感動的だった。
品目不足に陥るピンチを救ってくれたから、ということではなくて、その何ともいえない颯爽とした緑(変な表現だが)の萌芽にしばらく目を奪われ我を忘れるほどドキドキしたのだ。
強いものに憧れている。
田舎暮らしを望んだ当初、自分が仙人のように暮らしている映像が頭の中を繰り返し駆け巡っていた。
日常に埋没するうち今やそのイメージはすっかり消えてしまったが、強くなりたい、自然の厳しさと向き合って生きたい、という気持ちをいつも持っている。
便利さ、快適さを追求する人間の歴史が種を、遺伝子を軟弱化させている。人間は元々相当に強い身体をもって誕生した生物だと思う。
カンゾウの芽はおいしいものだけど「食べ過ぎに注意」といわれている。
現代人には強すぎるので・・・。
野菜は軟弱化した人間の"口に合うように”改良されたものだから軟弱で当たり前、なんてことは言いたくはない。
へたをするとお腹壊しちゃうぐらいの強い野菜がいいなぁ、と思う。
最近時々考える。人間の歴史、頭がいいばっかりに、楽に、便利に、快適に・・・ 産業革命、ユートピアはいずこ、環境汚染、環境破壊、さあどうする・・・
人間はしっかり意識を持って身に纏ったものを1枚ずつ剥ぎ取り、原始に遡っていくそんな分岐の時期かもしれない。
あれ、
なんか胡散臭くなってきてすいません。
焼酎飲みながら書いてました。
これがそのカンゾウの芽
お浸し、和え物、天婦羅、うまいです
予定では本格的に路地の種おろしをするのは3月20日ごろから、と思っていたが、どうも一気に作業が重なり、てんてこまいしてしまうことが予測されるので、前倒し、何かにつけちゃ種携えて畑に繰り出し種おろし、種おろし。
適期播種とは程遠いが、きっと適期発芽してくれるのだろう。こぼれ種で育っていく本来の自然を考えればけっして悪いことはないはずだ。
まだまだ寒い。朝は土が凍っていたりする。
2月中に播種したものでもまだ芽を出していないようだ。
土の冷たさを考えれば当然のことだと思う。
別に焦っているということもない。
時期を得た時芽を出す、というだけのこと。
季節は確実に移り変わっている。
不耕起の畑、緑の度合いが強くなった気がする。
宿根草の野草の芽が顔を現し始めたからだ。一足早く時期を得た。
ノビル、カンゾウ、ヨモギ・・・。
野菜はまだまだ、ならば野草、こっちは近く食卓に上り春を味わせてくれるのだ。
山の方の家に引っ越すと畑から遠くなる。
家に隣接している畑を新しくお借りすることができたが、今ある6枚の畑へは車で15分程かけて行くことになる。
標高、土質などの条件が異なっていてメリットがあるし、何よりそれぞれに愛着があり、続けたい。長いところはもう7年になる。
相当時間に追われる1年になるかもしれない。
今年の作業は、今までの行き当たりばったり的作業日程、タイムスケジュールではいけなくなるだろう。
植木の親方がよく言う「段取り八分」を肝に銘じて取り組もう。
新しい畑から
アルプスの眺望がとてもいいなぁ。
これは体にいいです、環境にやさしいです、なんていうと胡散くさくないですか。
キーワードは健康、環境だ、と何もかも商売がらみに思えてくる。
決め付けた表現はまず疑ってかかるべきだと思う。
自然農=草取りしない、と思ってないですか?
春先の生育初期には草取りもしなくちゃ野菜は育たないんです、と経験からここは断言しておきます。
今日はわけぎの草取りを入念にしました。
誇張した言葉がイメージを先走りさせるあまり、実際のところが不明瞭です。
これは自戒です。
目の前で何が起こり、何を感じたか、そこに目を向ける毎日を過ごしたいと思います。
バランスを欠いた真実はないように思われます。