年: 2021年
生き物
「環境保全型農業」という行政の取り組みに加盟しているのだが、
書類の中に畑の生き物を挙げる項目があったので、僕は草の名前ばかり列挙した。
意表を突いたわけではない。
紛れもなく草も生き物であり、極力草を生かすようにして共存することで、他生物の住処にもなるのだし、多様性のある活力に満ちた畑になると思っているからだ。
活力のある畑で作物にはたくましく育ってほしい。
自分にとって環境保全農業のベースとなるのは、まず多種多様の草が畑にあることだと思っている。そして環境保全という言葉は広義だが、まず生きるために口に入れるものが健康であり力を持っていること、人の食生活がそういう環境であることが、実はかなり重要ではないかと思っている。
栽培として、草との戦いはもちろんあり、殺めねばならない命もたくさんある。だが、病原菌が寄生する温床としての人体を絶滅させてしまわぬように、生物は他生物によって生かされているのだから、殺生は必要最小限にしたい。篤農家の目指す草一本もないきれいな畑には恐怖を感じるし、そこで育っている作物が、見た目は立派でも貧相に見えてしまう。偏見ではないと思う。
そこを、うまくコントロールできればと思って、なかなかそうもいかないのだが、、、
とにかく共存、共生という考え方が大事。
ちょうど知人が体調を崩したと聞いたこともあって、僕はとにかく活力のある健康な野菜を育てたい、それがミッションだと、またあらためて思っている。
夢幻Ⅱ
雨の中で割れることもなく
真っ赤に、美味しそうに、
トマトが生っていた
告別式が執り行われた雨の日に立ち寄った
あの畑の光景が思い浮かぶ
そして今ここで、あのときに似ていると感じた…
・
トマトを大切に持ち帰った
そして引き継いで命名した
トマトも栽培していた方も
スペシャルでありナチュラルであったから
合わせて”スペラルトマト”
そうしたら、スペラルが乗り越えるという意味を持つ言葉とわかった
この偶然はすごかった
先日大雨が続いたときの裂果が壊滅的と思ったのは浅はかだった
それからも毎日のように雨は降るが、今は立て直してきている
耐性ができたかのように、しっかりと乗り越えようとしている
実は、引き継いだ種は2年前になぜか発芽せず、残念ながら絶やしてしまったのだが、
魂が残っていると感じる
ちゃんとここに息づいている…
8月末が近づくとトマトを通じて必ず思い出す
亡くなられて8年、時を経て一層尊敬と親しみが増している
真っ赤に熟し
たくさん種を宿し
命を持っていたトマトの実が
死をもって僕に活力をくれる
いや僕の中に生きているのか^
生死の境は曖昧に、ぼやけて見えてくる
随分前のこの時期に”夢幻”という記事を書いたことがあったので
夢幻Ⅱというタイトル
考察
気温ぐっと上昇
カラカラの畑
グッタリなスペラルトマト
さてこのトマトは何と言ってるか?・・・
答え、何も言ってない。
彼らはどんな状況でも前向きに、生きるため、命のために当たり前にベストを尽くす。
弱音を吐くのは人間だけ。メンタル弱く自滅するのは人間だけ。
栽培夫にできることは、そんな過酷な状況を改善してあげること。・・・なのだけど、投じた一手が改善につながるのか、もしかすると改悪になってしまうのか、それが非常に難しい。
強いて言うなら、このトマトから感じるのは、何もするな!のオーラ。
だから、僕は余計な手出しはしなかった。・・・いや、何もするなは内なるコロの声かもしれない。
コロを死に追いやってしまった日、リハビリ準備に張り切る僕を見るコロの目が、明らかに怯えているのを知っていた。
抱え上げた時の叫び声、命潰えた瞬間の呻き声、今もくっきりと耳に残る・・・。
基本的に自然、そして生命に対し何もしないほうがいいのだと、その認識が今はより強まっている。ついついあれこれと手出しするのは、それが人間の、、自分の愚かさの、弱さの証なんだろう、と思う。難しいけど気を付けていたい。
覚醒
これだけぐしゃぐしゃですと、大掛かりな手術になりますのので、入院は10日間必要でしょう
10日ですか!?
はい、肋軟骨を移植しますし、そうすると身体のほうに多少ダメージも残ります…いずれにしてもひと月ぐらいは仕事もセーブする必要がありますよ
??… (なるほど、東京じゃなきゃできないっていうぐらいだからなかなかの手術っていうわけか)
どうしますか?
……
決断できましたら承諾書にサインしてください、手術ですからそれなりにリスクはあります、肋軟骨採取の際には、肺を傷つけたりして、気胸を発症する可能性も稀にですがあります、そのかわりこの手術で生活の質が劇的に改善される可能性もあります…
そうですか、やめておきます
この時頭に浮かんでいたのはコロのことだ。
2年前の年末に大腿骨を粉砕骨折して、やはり遠方の名医のところへ足を運び大手術していただいた。手術は成功、粉々の骨をまとめてワイヤーでぐるぐる巻きにしてある画像をみた。いずれその足に神経が宿り、元のように歩き回れる日を目標にリハビリを始めた。年が明けて春、農業が忙しくなるまで3か月の間になんとかある程度のところまで持っていきたいと願いつつ、とにかくずっと付き添い励まし続けた。3月になり、焦りからリハビリの強度を上げて無理を強いた結果、コロは一瞬で死んでしまった。その遺体を捌くときに見つけた…新しい足!!!コロは、自然は、大手術施した足のことは諦めていた。その根元に足が育ち始めていた。自分なりに生きる術を準備していたのだ。あれを見た時のことは一生忘れないだろう。
そのイメージが、ふっと浮かんでいた。
僕の中に住むコロが発動した。
手術は悪、自然任せは良し、というつもりではないが、気づいたら、やめます!と、大きな声を出していた。
思いっきり呼吸ができる生活への渇望は、とりあえず封印。
昔のイケメンに戻ること、それはもともとどうでもいい…
さて長野に帰り日常に戻った。ここではすでに育苗が始まっていて、蒔いた種は芽を出し、成長の第一歩を歩みはじめている。この命を当然見捨てるわけにはいかない。いやいや、みんなのこと忘れっこないじゃありませんか!!今年は地温の高まりも早そうだ…やることは山ほどある。そもそもが、手術など受けている時ではなかった! dream is over
マス苦
睡眠中に窒息死がチラつくほどの苦しみを味わうことが増えてきて、ついに鼻を少しは通るように直したい…と思うようになった。
ボクサーの時にへし折れて崩壊した鼻、思った以上にひどいそうで、できれば農閑期の間にと思っていたが、いろいろたらい回しにされた後、長野ではできないから東京の大病院でということになり・・・
畑も忙しくなり始めた今頃になってようやく東京へ、手術日を決めに。
東京は桜満開、すでに葉桜になりかけていたりする。
ニュースでは見たが、ほんとに全員マスクだ100パーセント。
まあもっとも長野でも変わらないのだが。
オレは勘弁願いたい…みんながしてるからするというのは苦手、人に言われてするのは苦手、そして何より苦しい。
ドクターいわく、普通の人が鼻から吸い込める空気を10としたら、これだと1か2かもしれないね・・・ガーン、それでかぁ、マスクなんかしてたらほんとに死んでしまうわ。
とはいえ病院内では注意されてしまったので、してた。他は新幹線でも街中でも勘弁願った。
他の人はガラガラの車両でも、人通りの少ない路地裏でもマスクマスク…
中学生のころに部活でマスクをしてランニングさせられてた。
心肺機能を高めようという、先進的(?)な顧問のアイディアだった。マスクをするといつもあれを思い出す。
さぞかしみんなのスタミナは・・・
さて、手術の話は、また。(続く)
命日
3.11
コロの命日
肉も骨も皮も内臓も食べ尽くして
コロの分身として生き始めた
コロが見据えてた未来を
僕は生きさせてもらっている
人体実験
三寒四温、今年ははっきりしていて、春の足音は大きくなったり小さくなったり。
そんな感じもまたいいですね…ぁぁ自然だなぁ、と思います。
畑の凍みは緩み、ようやく昨年の作付けで使った支柱を片付けました。
柿や栗やその他の果樹の剪定をして、敷地内の林で伐採して薪づくりをして、新たに少し畑にするスペースを開拓して、それから作付けを練り、種の点呼をして…焦らず一歩づつ、春を迎える準備はだいぶ整ってきました。
コロナ騒ぎがなければ、もっと浮き浮きとした気分になるのは間違いないところです。
畑がすっきりしたら、モズやヤマガラなど野鳥たちがやってきて遊ぶ様子が目に付くようになりました。木の枝にとまっているモズが、時々地面に何かを見つけ飛び降りてつついてます。虫がうごめきはじめていているのかと思います。
コロナと関係ない、そういう生態を眺めていると、気持ちが洗われるし落ち着きます。
ワクチン接種、国内でも始まりました。
我先にと接種を望む人多数のようですね。高齢の方などはやはり安心するようですね。
急ぎ完成させた検証不十分なものだから、世界中で人体実験している、なんて揶揄する声も一部出ているようですが、それもいいんじゃないでしょうか。
人間が他の動物を使って実験を繰り返す事実からは不快感しか湧きませんし。
僕はもちろん100パーセント射ちませんが。