感性が答えを持っている

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自分の上を通り過ぎていくいろいろなもの。

自分中に消化されていくもの。

人生の時間の中で現れては消える様々な感覚。

 

  

どれだけ言葉を操っても言い表すことって難しいな。

真実は言葉の裏側に潜り込んでしまうものかもしれない。

 

矛盾があるとかないとか、誇張があるとかないとか、こだわっているとかいないとか・・・

感性が持っている答えに、できるだけ近づこうと書き連ねても、どこか空虚な感じがしてしまう。

 

五感から「良いなぁ」と感じる野菜を作りたい。

ただそれだけのこと。

その大事なところを見失わないように。

 

そんな野菜に相対する方々にも、耕した耕さないとか、肥料やったやらないとか、自然農法かとか、自然栽培かとかより、それぞれが宿す感性に寄り添ってジャッジをしていただけたら・・・。

 

昨日書いたものの補足です。

 

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ステップアップは慎重に  ~アースデイ終えて感じたこと

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昨年、10年ほど続けた不耕起、自然農から離れて、耕し始めた。

トラクターで全面耕うんするのではなく、小さな管理機で作付けラインだけを耕起するのだが、それでも自分の中では大きな決断だった。

 

でも当然ながら、作物は耕せばよく出来るってもんではなく、実際その姿はほとんど変わってはいない。

そのことは宅配で長くお付き合いしている方々もきっと感じているに違いない。

相変わらず小さ目で不恰好な野菜の姿。

でも、それだから止めないで取ってくださる方がいるのかな、とも思う。

まあもっとも、労働面で身体の負担が軽減したことは何物にも代えがたい程重要に思え、耕すようになって良かったと今率直に感じている。

 

 

 

自然農園たかはしという屋号でもあるからか、先日のアースデイでも「自然農法ですか」と何度か質問を受けた。

そういわれると困惑し、「違いますけど・・・え~と自然農法ってどんな定義でしたっけ?よくわからないんで」みたいな答え方になってしまう。

実はそういう質問をされるのにはもう1つ理由があることに、他の農家のブースを回ってみて気が付いた。それは作物の姿が「そんな」雰囲気だから。他と比較するとはっきりそれが感じられる。

パッと見で言えば、さっき書いたように小さ目で不恰好。

 

 

 

 

今圃場は、枯れてきたとはいえ草が茂り、作物も生育旺盛ということはないから際立って目立つことなく、ああこれは・・・相変わらず”自然農の畑”だ。何ら変わりないようにも見える。

いやいや、それでよくはないのだ、とも思う。そこからのステップアップを思い描いて耕すようになったのだから。

収穫増、収入増のためには絶対的に必要という判断に基づく決断だったのだから。

施肥について少し学ぼうかと考えることがある。

ご飯くれ、と訴える作物に応えることが度々できない。

収穫増、収入増なら肥料は欠かせないと正直思う。

ただ有機物を振りまくというだけではなく・・・耕す選択を取り入れたことで、耕し方、タイミング等いろいろ学ぶことが増えるのと同じく、施肥の技術というものもきっと深いのだろう。

そして耕起と施肥の関係がおそらく密接なんだろう。

僕は未だほとんど新米農家で、ステップアップを目指している・・・。

 

 

・・・・

ただし、僕は今の自分の野菜の姿は好き。感じるものも好き。

他のブースで見た肥料の利いた野菜の姿に、違和感が生じてしまった。馴染めないと思った。ただ目が慣れない為なのか・・・それだけでない気もする。

さて、問題はどこら辺りで線引きするか、だ。それは様々な面で常に大切な観点だが、施肥に関しては殊更慎重でありたい。

「ここの野菜の持つ力強さは特別」と言って下さった方の眼差しは澄んでいて、間違いなく真実を語っていた。

 

  

 

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旬菜

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葉物野菜が本当に美味しい時期は秋から冬。言うまでもない。

これからの時期畑の旬菜たち、枯れゆく草とのコントラストを形成。目でも楽しませてくれる。 

 

 

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