雨上がりの爽やかな晴天。
気温上昇、芽吹き、開花、こんなに気持ちの良い条件はそうそうない。
今日は鶏もほとんど出しっぱなしにしていた。何しろ新鮮な食べ物はいくらでもある。小屋に閉じ込めておくのは可哀想。ただし1日見ていられるわけもない。7キロ離れた畑が僕の主な職場なのでほぼ放し飼い状態になる。狐、猛禽、車、気にならないことはないが、こんな日に悪いことのおきる気がしないという感覚は甘ちゃんかもしれないが、信じられる感覚のようでもある。
学校でいいことあった?
まあね
娘もそう言った。
やっぱり!こんな日は皆気持ちが良くて心が明るくなる。意地悪な気持ちは起こりづらいだろうから。
そう、誰もが自然の影響を受けながら日々生きているんだから。
・・・とまあわかったふうなきれいごと言っても、実は僕は厳しい1日を過ごしていた。
久々の痛風発症が5日前。
それからは痛み止め薬飲みながらの仕事となっている。
そして症状をこじらせた感じ・・・最初の激痛とは少し違った重い痛みが薬を飲んでも止むことはない。
鶏、野菜苗の世話、収穫出荷作業と合間に葉物の間引き等、今日は脂汗にまみれながら何とかそれらをこなした感じであった。
確か、始めての痛風発作は2011年5月だった。
あの時は薬を絶対飲まない主義を貫こうとしていたから、2晩まるまる寝れずに過ごし、翌日ギブアップして15年ぶりで薬の力に頼ったのだった。
あれ以来絶対否定派から中立に鞍替えし、おまけにどっちつかずのことばかり言うようになった。
そうだった・・・あの時もこじらせた、完全に治まるまで1か月以上かかったっけ。
痛み止め薬の恩恵を支えにして仕事にまい進した思い出がある。
だって忙しいのだから、と・・・。
実は身体のもつ治癒力による治療行為こそが痛風の痛みの正体であり、だからほんとは自然治療を終えるまでの間安静にしていればそれがベストに違いない。
でも痛すぎるし動かざるを得ないから、薬に頼るのは仕方がない。だが結局それで長引いてしまう。
そもそもそんな贅沢病ともいわれるような病気になるのも自然に反した生活習慣のせいだ、といわれて否定はできない。
といったって、自然の法則に基づいて生きようなんていったってそんな簡単なものじゃないし、こうしたほうが健康に良いとわかっていることさえ満足にやりきれない。
とにかく早食いだし水飲まないし相変わらず・・・
昔祖父がかっこよかった。ご飯に味噌汁ぶっかけてあっという間にかっ込んだ、その姿と
のんびり食ってる暇などないというセリフ、憧れからまねてしまった。(いや、祖父はあれでよかった、結局98まで生きた)
水飲まないは僕の時代の野球少年共通のストイックの名残。
これを終わらせる前に水飲みなんて許されるものではない!と、払いのけても消えない声が聞こえてしまう。
人の中にインプットされたものというはそうそう消えないのかもしれない。
一口に自然自然といっても、自然の生物である人間の各々の自分の中の自然はあれこれ混ぜこぜになっていて、人は結局そういう存在なのかなと思う。
せめてほんの1筋、直観の道筋だけはふさいでしまわないように、と思っている。
(さらに…)