831の日
野菜の日。
なぜかインプットされてしまっている。
昨日寝る前に思っていた。明日は野菜の日だ!
そして今朝目覚めた瞬間浮かんだ・・・よし野菜の日だ!
とにかく野菜に尽くす1日にするぞ!と1日草取りしてた。
他の草は抜いても僕は抜かずに土まで寄せてくれて
随分大事にしてくれるんだね
と、ほうれん草にそんな風に気持ちが伝わったかはわからないが、優遇されていることは感じると思う。
素直に受け取ってほしい。今日からまた一段と張り切って育ってくれたなら、嬉しい。
野菜の日。
なぜかインプットされてしまっている。
昨日寝る前に思っていた。明日は野菜の日だ!
そして今朝目覚めた瞬間浮かんだ・・・よし野菜の日だ!
とにかく野菜に尽くす1日にするぞ!と1日草取りしてた。
他の草は抜いても僕は抜かずに土まで寄せてくれて
随分大事にしてくれるんだね
と、ほうれん草にそんな風に気持ちが伝わったかはわからないが、優遇されていることは感じると思う。
素直に受け取ってほしい。今日からまた一段と張り切って育ってくれたなら、嬉しい。
ちょうど採りごろだ菜 食べごろだ菜
この時期にしては虫食いも少ない菜 美味しそうだ菜
今日の「旬のセット」の1品目
人参を蒔いたところにこぼれ種の菜っ葉が真っ先に発芽して、人参発芽のころにはもう大分大きくなり、肝心の人参が埋もれてしまうので間引いておいた。
でも邪魔な面ばかりではなく、適度な葉影で日照りから守ってくれているようにも思い、適度に残して一石二鳥を狙った。
そしてはや収穫期!!
形は様々だ菜
交雑してるか菜
なんていう菜?
なんでもいい菜
うまくいった菜
ありがたい菜
昨夕のゲリラ豪雨は今まで経験したことのない程の恐ろしさだった。
そして週明けの台風予報が怖い・・・
ここまで好調を維持してきたトマトに受難の季節がやってきた。
特にベルナーロゼ、まるで桃のような甘みが感じられるトマトだが、雨ともなればとにかく裂けまくる。
出荷には到底至らないものばかりとなるから、トマトソース作りに精を出すがとても追いつかない。
でも今年は違うんだ。今までなかったものをベルとオレは手に入れた。
待っててくれるものの存在が、どれだけ勇気と喜びを与えてくれているか・・・。
わ~今日もきたきた御馳走ごちそう♪
みんなでべるなろーぜ!と一斉に!!
美味しそうに食べてくれる姿、ああ可愛いな。
ズッキーニ収穫中。
収穫と同時、僅かな時間で手際よく草むしり、は欠かさずに!
見落として採り逃すとあっという間にデカくなるから。
デカズッキーニは鶏が喜ぶからまあいいのだが、株が弱るのでなるべく避けたい。
・・・・
ザザーン
来年の種、たっぷり採れるわい[E:sweat01]
・環境に負荷の少ない農業を目指します
・自然の則に沿った栽培を心がけます
・形や大きさの均一より食べて美味しいを大切にします
not 向上
上はないです。前だけを見て歩んでいこうと思います。
書くことが言葉足らずのことが多いのでご了承願います。
自然栽培=運任せの栽培、ダメなら肥料やればいい、と考えているのではありません。
白菜栽培について、僕自身も無施肥、不耕起で栽培することに相当こだわってきたつもりです。
1面草ふじが覆い尽くすそのスペースは年々拡張するように育ててきました。
このスペース内ではすべてが同じように地力を蓄えているとも考えられますが、実際には均一であることはないのです。自然栽培というのであればそこが醍醐味なわけですから、小さかろうが育ってくれれば良しとします。
しかしながら、もしまったく育たない作物があった時、それに対してどうするか・・・潔く(?)諦めるか、施肥するのか。
僕自身、実をいえば未だクリアな答えを見つけていないので、言えることはベクトルが現実を向いた判断でなければ、ということだけです。
さて、今日は台風の影響による雨でしたが(ここは全然大したことなかったです)白菜の植え付け作業、いよいよ開始しました。
刈り払い機でライン切り
そこに植えていく
土に菌類が多く芳香漂っている
よだれが出そう!(きのこが美味しそうなのではない、良く肥えている土を見ると百姓の習性として・・・)
もちろん収穫まで施肥せずとも、全てがそこそこの大きさ、そして艶々の白菜を思い描いて植えていました。
また経過報告したいと思います。
無農薬無肥料、自然栽培、というものを模索中という若いご夫婦が畑の見学に来てくれた。
ちょうどいいところに!とばかりに連作白菜の作付け予定地を見ながらいろいろ話した。
数十年耕作放棄地だった畑を借りて不耕起栽培を10数年続けている。
7年前から白菜連作であること。
栽培に関してはほとんど手を入れない。そして収穫後は放置する。
今から1月半前には草が全面背の高さまで生い茂っていたが、草刈り一つしないでこの状態だ、と言ったったら驚かれた。
大部分が枯れ草色
あの草ふじはすっかり地に伏せて種を宿している。
土はふかふか。
肥料分が充分に詰まっていそうだとお二人も言う。
「奇跡の白菜」の生育の様子を見に、また是非来たいと言っていただいた。
だけどこの白菜に関して、これまで一切肥料を使ったことはないが、場合によっては今年は施肥する可能性だってある、と今は思っている・・・「奇跡の白菜」なんていいながら、こんなこといったら驚かれるかもしれない。話は続く・・・
無肥料栽培って言葉、なんか変な気がするんですよ と僕。
肥料分があるから作物が育つわけですから・・・無施肥栽培というほうがピンとくる
でも無施肥を貫くのにならよほどポリシーがなくてはいけませんよね そこは問われますよね
自然の状態で、均一に肥料分があるなんてことはあり得ないし、場所によって、肥えててよかった!ラッキー とか、ああ、ここはだめかぁ、とか、そんな感じでいいですか?
だめなところは、だめかぁとか言ってないで施肥したいなぁ、僕なら
ただ、育つということに対する概念が普通の農家とは違うから、小さくていびつな作物が育ってるけど、そこは育ってくれればオッケーというのが僕の感覚です
普通の農家ですか?・・・そりゃあ、あれですね、常に均一にしっかり耕して、ゼロベースを念頭に肥料設計を立てていくのが常套手段ですから
上達すれば作物は狙い通り育つじゃないですか そして邪魔するものは農薬を使って駆除する
・・・・
人と話をしているとよくあることだ、人間社会の構図が浮かび上がってくる。
あえて農薬を好んで使う農家はいないけれど、社会の求めに応えるためには必要不可欠なものとなっているという現実。
なぜなら、世が認める商品がそういうものだから・・・。
もしこの社会の歯車から、少しでもはみ出すつもりがないのなら否定もできない。
もし疑問を抱くなら、独歩する人にならなければと思う。
但し、折り合いながら・・・農家として歩むなら、作物が出来ない、だめかぁ、ではいけない。とりあえず作物は育てて社会参加しなくては。
暑い暑いと皆が言っている中で、快適に作業できました!なんていうと、よほど天邪鬼だと思われるが・・・。
ここは、信州の標高750メートル、森の中の圃場、通称森地(もりっち)。
放棄林と化していた畑を、木々に囲まれるようにイメージして開拓した畑。
夏の炎天下や秋の台風時には特に違いをみせてくれるのだ。
ここでは晴れて暑くなるほど能率が上がる。唯一難題の蚊の大群がお休みなので。
こんな日は草取りが気持ちいい。
取ったそばからたちまち枯れていく。
さてと・・・そういうわけで、あきらめてはならぬと再挑戦だ!しょうがないなんて簡単に言っちゃいけない。
しょうがないと諦めかけられたしょうがが日の目を見たところ。
だが土に還ってゆく仲間も多数。
どんな気分かな?
謝ったけど。
まあしょうが仕方がない。暑い日が続く間、草取り頑張ることで供養になれば。
取った草も土へと還り糧となる
畑で作物が育つのも・・・数限りない死の上の繁栄なんだ