雪景色
心配した霜は降りなかった。
が、雪が降り積もった!
・・・
んなわけないだろ~~! ^^
今、そこらじゅうにニセアカシアの花が咲き誇っていて、
それがまるで雪景色のように見えるのです。
心配した霜は降りなかった。
が、雪が降り積もった!
・・・
んなわけないだろ~~! ^^
今、そこらじゅうにニセアカシアの花が咲き誇っていて、
それがまるで雪景色のように見えるのです。
はちくは正確には淡竹と書くのだが、”破竹の勢い”の破竹のほうがピンとくるかと思う。
現在竹林は、破竹の勢いにはもう少し、その前段階である。
前段階は意外と長い。細竹がちょろちょろと伸びて、極稀に太めのものが顔を出してくる状態が暫らく続く。
力を未だ蓄えながら様子を伺っている。
その段階が思いのほか長いのは、破竹に限らず接して見て自然から感じることの1つだ。
気の早い人なら目を離した頃に、それはやってくる。
僕は気が長くなった。畑の作物においてもそういうものだと思って、せっかくのハイライトを見逃さないようにじっと待ち続ける栽培夫である。
小さな茎ブロッコリーの苗を植えつける。生命力に溢れた圃場、その草の中に入って渡り合うにはあまりに貧相。だから丁寧に半径10センチほどの草は取り除いて優位性を形成してやる。根がしっかりと活着し成長へと向かうまでの段階で草の海に飲み込まれてしまわぬように。
苗1つ植えるのに手間がとてもかかる。
最近数人の見学者が訪れてくれたが、このやり方については正直言ってあまり勧められない、そう話す。
そんなこと言って・・・ではあなたは何故やってるの?と思われそうだ。Mっ気強いから?とか。
耕して草をなくしてしまえば勿論植えやすい。10倍以上のスピードで植えられるかもしれない。
その上で肥料を入れてやれば、圧倒的優位を保ったまま収穫をむかえられそうに思う。
ところが、敵対する草々は完膚なきまでに叩き潰し、悠々とゴールテープを切る、そんななかでできた野菜がきっと僕は好きになれない。
ギリギリのいい勝負をして最後に勝ってくれたら最高と思う。お互いが良いところを出しつくし、せめぎ合い・・・・・
甘ちゃんといえばそれまでかもしれないが、ボクシングをしていた時、最初にあっさりダウンを奪う、或いは深刻なダメージを与えてしまうと、いつも相手を回復させようと考えた。あ~まだダメダ もっといい勝負しようぜ ・・・
相手の目に力が蘇るのを感じることが好きだった。よおしよおし さあもっと熱くそして深くやりあおうぜぇ~
と、そんなところだ。
まあ、そんなところなのだがレフリーが割って入る(TKO負け)ゲっ!はえ~~
何度かそういうことがあった。
・・・・・
優位性を与えた我がやさいはやがて自立し、対等に戦いを挑むが敵は手ごわい。だから傍らから、本人には気づかれないように手助けする。ギリギリの手助け、ギリギリ勝たせられるように。さじ加減を間違えないように。
僕自身の感性が少し変わってると思う。小さい頃からずっとそういわれてきたし・・。だから、あまり人に勧められない。
それでもありがたいことに、中には共鳴してくれる人がいて、そうして育ったやさいを"違う!”と言ってくれる人がいて、何とか続けていられる。
これをしていることはただの独りよがりではないな、と思えることが少しだけ誇らしい。
想定外と言ったって許されないよな。
カッコ良いこと言っていても大事な生命あえなく枯らしてしまった。
朝、玄関の前に吊るしてある温度計が4℃を指しているのを見て、もしやと思った。
畑はここより標高が高いのだから・・・。
あ~あ。5月19日にここまで冷えたことがあっただろうか。予報もそうはなっていなかったから全く油断していた。
今朝新たに被害を受けたやさいたち、キュウリ、トマト、カボチャ、トウモロコシ。
事態はやや(?)深刻だ。
許されなくても仕方がないが、切り替えて前に進まなくてはいけない。
蒔き直し~ (間に合うか)
さあご飯だ、テレビを消して!
こう言って促すが、最近素直に言うことを聞かなくなった。押し問答の末激昂し泣かせた。
その時、思いが自然と言葉になった。多分初めて・・・・
おい分かるか、この魚、人間の口に入ると分かって生きていたんじゃない。ただ一生懸命生きていたんだ。生きる為に必死でもっと小さい魚を捕らえて糧にした。あ、栄養にした。
人間はこの魚から栄養をいただく為に殺して、こうやって食べるんだぞ?ちゃんと集中して食べなきゃだめだろ。人間はあまりに偉そうじゃないか。当たり前のような顔してテーブルいっぱいに食べ物はべらせて、テレビ見ながらかぁ。そんなのオレは嫌だぜ。
この人参がどれだけ頑張ってここまで育ってくれたか・・・それはオレが見ていた。知ってるぞ。そんな食べ方されたら・・・どうなんだ・・・この辺りで不意に感極まってしまう。
いや、偉そうにいえる身分ではないことは重々承知している。こんなこと農業やるまで、7、8年前まで考えたこともなかった。実際テレビ見ながら育ったようなものだったし、食べるのに必死だった覚えもない。
だが、自分が今抱いている素直な思いを言うのに、それも自分の子に対して遠慮することはないはずだ。
「いただきます」
2人の涙乾ききらず、無言だが、雰囲気が変わった。
親子の感覚の中で、何かが伝わった、と感じたことが、妙に照れくさいが嬉しかった。
畑から朝日を拝む。
朝日の昇る場所は、浅間山の7合目辺り。
日ごとの登山で、夏至には頂上近くへ。
そしてここでは、"農繁期”という祭りが頂きに向かう。
はるのさんご夫妻ご来訪。
遊びがてら、というのではなく、いでたちからしても完全に仕事モードで登場!
ありがたやありがたや、がんがん植えていただきましょう。
いつもどおり仲良しの2人、寄り添って仕事を楽しんでいる姿にとても心が和む。朝の冷え込みでやはり傷んでしまったカボチャやトウモロコシを見た際に受けたショックも、いつの間にか癒されていく。
仕事もてきぱきと進む。彼らには無心に土に触れることが最高のリフレッシュ、とのこと。
のんびりおしゃべりモードに切り替えたくなったのは僕の方からだった。 ぼちぼちお昼にしましょう。
オープン間近のお店の話しなど色々と語り、また笑い、陽だまりにて、長く楽しい昼休みとなった。
☆☆☆☆☆
ベーグル屋ハルのオープン6月1日。
楽しみです。
植えて3週間経つレタスの圃場。
植えたときより小さくなったと感じる。まあこれも見慣れた光景である。
根がしっかりと土を掴めていない。周りの草々にまだ馴染めず他人行儀である。
はっぱもかけるが、基本的にマイペースをつかめるところまで気長に待ちつつ、適切なフォローもしなければいけない。
この栽培は、時間と体力、そして根気がいる。
あとで惚れ惚れとするような姿を見せてくれることを思い浮かべながら、粘る。
イメージがはっきりできるようになったから以前と比べて気持が切れることはなくなった。
明日はかなりの確率で最後の遅霜がくる。
それを乗り越えてからようやく、我が畑の作物は躍動の兆しを見せはじめてくれるだろう。
やはり今週は夏野菜は植えず、葱を植えたり他の仕事をする。日曜日の最低気温が4℃らしい。それからは気温も上がるようだから、まあ、来週植えまくろう。
葱は、いつものように残った葱を苗にする。それを植えつけながら考えごと・・・。
残った昨年の葱は廃棄して葱の苗を購入して植える人が多いようだ。もったいない。「良い葱ができない」らしい。経験上そう感じたことはないが・・。そういえば以前ジャガイモについても「種は買ったものじゃないと良いイモにならない」と長老が話していたのを聞いた。本当にそうなのか。いや、これがどういうことかというと、我々が構築した社会の一端をあらわすものだと思う。経済が回るとか機能するとか、そんな言い方に繋がる。お金を落とすことが大事、とか。
買った方が安い、というのもよく聞く言葉だが、実際そういう風になっていることって多い。
そのシステムの中に身を置いて自らを生かし、輝かせる。人間。・・・人と人間は違う、赤嶺さんが講演されていたことをふと思い出す。
葱もイモも土さえあれば繰り返しできるがなぁ。
奥に見えるのは畑に普通に群生するトリカブトの花。結構綺麗なものだ。
前に畑に見学に来た女性でとりあえずそこらの草をかじってしまう方がいたが、これなんか目をそらした隙にパクッとやりそうだった。やっていたらやばかった。この時期じゃなくて良かった。
月曜日の軽い降霜で先週定植したズッキーニは3分の2程がダメージを受けているのを今日になって発見。僕もダメージを受ける。不繊布2重に被せたから安心していたが・・・。
ここら辺りでは、カッコウが鳴くまで〔夏野菜の苗を)植えない。と言い伝えられていることを教えてくれたが、なるほど去年も一昨年もその前も5月の14,15日辺りの朝に強烈な冷え込み、すでに植えていた苗を枯らしてしまったものだ。
そして週間予報によれば今年もやはり今度の土日の朝冷え込みが来そうだ。最低6℃の予想だからかなり微妙なところだ。
怖いからもう少し我慢しようか、と思うが、カッコウ鳴いたら豆を蒔け、なんていうのもあるから鳴くまで待ったらパニクリそうでもある。う~む、さてどうしよう・・・。
変わって少し自慢話。
昨日は気分を変えて、以前から頼まれていたスリル満点の剪定仕事。
10尺の三脚の天板と大ケヤキの枝に立ちバランスを取りながら、5Kのチェーンソーを扱うという究極芸。でも案外肝が座るものだ。
まあこんな人生のスパイスも時には必要だ。
畑でまったりかがみこんでばかりでは研ぐことのできない運動神経、反射神経。判断力。オレは大丈夫、いやなかなか、と確認するのには最適だったかも。
1つでも2つでも多く自信を持って生きることはとても大事だからネ。
心強い助っ人は、近所の別荘を毎週のように訪れるⅠさん。60歳代だが、日頃は東京でバリバリ第1線で仕事をされている。
自然農法を参考にしたいと見学にきて、畑を気に入ってくださり、作業を手伝いたいと言ってくださった。
僕はこの農法を難しいし、身体もきついし、成果も少ない、従って敢えてすすめられないものだと考える癖がついていて、手伝ってくれる人がいるとなると相当恐縮してしまうのだが、Iさんは至ってマイペース。何かおせっかいを言えば余計な心配は無用とばかり鼻歌が返ってくる。
楽しいなぁ。気持いい。平気平気。任せてよぉ。出てくるのはこんな言葉だ。明るい。メリハリのある仕事ぶり、やる時はやる、全力で取り組む姿がとにかく眩しい。
ああ、俺、これを忘れている気がする。
うん勉強になるわ。またちょこちょこくるよ。マイペースでやらせてね。そう言い残してⅠさんまた主戦場へ。
是非こちらこそ!
へなちょこ病の回復には、余りあるほどのパワーいただきました。
あー心身の疲れが激しいな。
もともと百姓になって以来5月にはあまり良い思い出がないが、今年は輪をかけて苦しい。諸々事情はあるのだが、言ってみればこの時期の劇的な圃場の変化に、我が肉体、作物、そして心が、乗り遅れてしまうのだな多分。情けないが。
こういう状態の時、徒然なるままにブログ綴ればこんな風に愚痴っぽくなりそうだ。芳しくない。
ネガティブな素因を自分の中に刻むような気がするのでなるべくそれは避けたい。
よって病気が治るまで頻繁に更新はできないかと思う。
まめに訪れてくれる人には申し訳ない。暫らく間を空けてから覗くようお願いします。