人間とは
昨日今日と上天気の畑で大根の播種。
暑くもないちょうどいい温度、そして湿度、爽やかな晴天。
こんないい日に写真を撮って載せられないのは残念。かわりに少し時間をかけて気分を入れて書いてみよう。黙々と1人種降ろしながら考えていたことを。
暫らく前、人生で多分初めて親友と言ってくれた方と電話で話していた。
その方というのは体操教室の先生なのだけれど、「震災以降教室に来る人がバタッと減った」と仰っていた。
僕は少し驚いた。自然との調和や生命の真髄に触れる内容と思われる授業に、よりこれからの生き方を求めていきたい、そんな思いをもった人たちが押し寄せるのでは、と思ったからだった。
「そういうことよりも人間同士の方に気持ちが向いているんじゃないかな」と先生。
なるほどそうかな。
同じ頃、僕の方でも遠方から野菜を定期的に取り寄せて下さっていた3名の方から宅配の停止を伝えられた。理由は皆同じく、「地元の野菜を食べようと思う」「近隣の農家を応援したい」というものだった。
そして、その頃の新聞で読んだのだが、震災以降結婚する人の数が急増しているという。
絆や繋がりという言葉が飛び交っている。
勿論その感覚はよく理解できる。僕だって繋がりを求めている。
人々が助け合って生きていかなければいけない。
人は1人では生きていけない。
いや、生きていける、のだろう。
赤子や幼児でなく健常者であれば。
生き物には生存本能が備わっている。
あの時、赤嶺さんは何を言いたかったのだろう。
「人間とは」というテーマでの話し、僅かな残り時間の中でほんのさわりだけになってしまった。
人という生物がいて、他人がいて、間が生まれ、それぞれが名を持ち社会を築く、そこに住むのは人間である・・・
人と人間は別のものであり、そのことを理解すれば見える世界が大きく変わる、ということだったが、あの話しできることならもう少し聞きたかった。
僕を同志、親友と先生が言ってくださったのは、共に”人”として生きるための本能や感覚を高めることを大事と思い、その普及を仕事としているからで(すみません。大きくでてしまいました、先生と同列なんて!)、お互い苦労しながら、といっても悲観するではなく、人間として楽しくもあり・・・。
何だかあれですね・・・ 最初からまとまるとは思わなかったけど、ここらでいっぱいいっぱいかも、睡魔が強まりもういけません、大仰に始まりましたが、僕のちゃちい脳の限界が見えました。休むことにします
~~
(続き)
人間はさまざまな問題を作り出し、抱え込む。
人間である前提として、それぞれの個々人がしっかりと”人”であること、そう自覚することが問題解決の1つの道筋になると、あの話はそう繋がるのかもしれない。
(完)
今日も黙々1人種蒔き草取り、考え事ウィーク。
・・・29日昼追記