月: 2018年4月
自然栽培・・・
吹雪の朝。
思い立ってカメラを用意すると突然やんで、太陽が現れた。
春の光は強く、瞬く間に雪は溶けていく。
それにしても、初夏のような日が続いたあとにまだこのような日がやってくる。
昨日近所の果樹農家が話していた。
今年は怖いな、ちょっとした霜で全滅、とか・・・。
こうした自然と向き合い、対応することで成果を上げることがいかに困難かを思う。
そこで考えるのは「自然栽培」というものがだいぶ世に認知されるようになってきたこと。
だが、本当にこの世の中でその本質はくみ取られているのだろうか。
無農薬、無肥料栽培をうたっている。
その魅力的なフレーズは独り歩きしているところもある。
単にブームで終わらなければいいのだが・・・。
近頃は無農薬無肥料栽培に特化した農産物を手掛けるという会社やお店が増えてきたようだ。
そのことは実際その方法で生産できている農家が増えているという証でもあるだろう。
そこは素直にすごいことだと思う。
屋号のせいだと思うが、僕のところに引合いがくることもある。
その場合はこう言う。
無農薬ですが、肥料を否定していないので相応しくないです・・・
まず、ぴんと来ないのが無肥料栽培という言葉である。
作物の生育は肥料分によるのではないのかなと思う。自然の有機肥料分で育っているのでは・・・だとすると無施肥栽培といった方がいいのでは・・・うーんまてよ、農薬も肥料も持たずに栽培するという意味ならおかしくはないのかな・・・
まあ、それはいいが、無肥料であることに拘ることは、僕の場合はこれからもないだろうと思っている。
仕込んであった発酵肥料(ぼかし肥)が完成し袋に移した。効き目のある肥料であってくれたら、と願いながら。
作付け量に比較すれば僅かな量だ。肥料設計などはすることもないが、知力不足による生育不良と感じれば補いとして施すようにする。
圃場周辺や地域で循環する米ぬか、山土,おから、木灰が原料である。
望む作物の生育に対し、作付け場所の有機肥料分が不足していれば補うための肥料、それを否定する発想はない。
実際のところ、自分の栽培以外のことはよくわからない。
就農当初よく言われた、「農薬なしで野菜なんて作れるか!」みたいに「肥料なしで野菜なんて作れるか!」なんて僕がいうわけはない。
土と作物、陽光、水、それだけで育つのだともいう。土の有機肥料分は問題ではないそうだ。
「自然栽培」はかなり奥が深く魅力ある栽培法だろうという想像はできる。
だけど、僕には大事にしたい蓄積がある。
「自然農」から始めて、ひたすらに、たくましく健康で美味しい野菜をめざし、有機物と農業経験を蓄積してきた。
今、カテゴライズするなら、僕のそれは有機栽培なのだろう。
畑の作物、生き物、自分の心と体、他人の心と体、食べて循環する人や生き物、過去、現在、未来・・・ 健康をベースにした有機的な循環であったらと思う。
「自然栽培」ではないが自然と一体でありたい。
自然栽培は遠巻きに見ていよう。
自分の感性に合う、健康で美味しい作物を育てることだけを考えて、畑に向き合おうと思う。