天命

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春のお彼岸は
18時まで明るく
秋は18時に暗くなる
やらなきゃいけない仕事量が春と秋で全然違い、いつもこの時期恐怖に襲われる。迫りくる闇夜の恐怖、不安焦り、動悸が止まらない。こんな感じ、農業してる人には分かるだろうな。
最近、自分の健康を損ねてまでしなきゃいけない仕事なんてない、うんそうだ、と聞いたふうな会話をしたばかりだが、ここから健康を損ねるというラインがあるのではなく、結局は、すべて天命に任せるだけ。

趣味の仕事

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猛暑の夏!

信州でも朝から茹だるような暑さ。毎日ギラギラと太陽が照り付ける。

これは僕の理想のイメージどおりの夏だ。汗をだらだら流しながら、ぼーっとなりながら炎天下の畑で草の海を泳ぐ。

40年近く前の部活の夏合宿で炎天下にグランド30週とかやってたな、あの日も35度だったぞ、なんて思いだしたりしながら。

そして、お楽しみの良く冷やした酒、ビール、、食欲は全く落ちないどころか寧ろ増してくる、オレは典型的な夏男!、、という感じで過ごしていたら胃に激痛がきて、、、。

 

胃薬だけでももらっておくか、なんて考えて医者に行ったのはまさに飛んで火にいる夏の虫だった。

以前の血液検査で高い腫瘍マーカー値がでてますね、うん、これは調べてみましょう

いや、いいですよ、それ見たくないです知りたくないです、ただ胃薬をいただけたら、、

いや調べた方がいいです

結局血を取って調べることになり、また腫瘍マーカー値の更なる上昇を知り、すこしビビってしまい胃カメラだとか大腸検査だとか。

胃も腸も癌はありませんね、、、とするとなんだろう??、、、そこを明確にしていきましょう(マーカー値上昇の原因を)

いやいやもういいですよ、充分です、ありがとうございました 過信して調子に乗り過ぎて胃を壊した

っていうことでしょう、これからは食生活もその他のことも節度をもって生活しなきゃと思います、、、、、

 

ということで、良い戒めをもらった夏となった。

って半年前にも戒めをもらったはずだが、ほんとに喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうんだよな。

過信、ほんとに気を付けよう。

 

「お盆前に庭を綺麗にしてほしいの お父さんの新盆だから」と急に依頼がきたのが数日前。

農業を始めた頃にお世話になった直売所の親方だったTさんの奥方から。

不調は続いていたが、Tさんの顔が頭に浮かび「なんとか行くようにします」と答えた。

暗いうちから働いて農作業を済まし、三脚を積み道具を持ってTさん宅へ。

無理したくないと思っていても無理しなくちゃいけない状況なんて、これからもいくらでもあることだろう。身体の声に耳を澄ませてばかりで生きていけるものではないなと思う。まだ戒めた矢先なのだが。

 

この日も猛暑日となったが、身体はよく動いてくれた。汗をだらだら流しな、そして気分はぐんぐん良くなってくる。仕事は思いのほかスムーズに終わった。Tさんに思いを馳せる。

 

なんか自分で言うのもあれですけど、目をかけてくれていたというか、、なんとなくいつも気にかけて

いただいた気がするんです

わかった? そうなのよ、息子みたいに思っていたみたいよ

 

じわーっと目頭が熱くなった。

仏壇の写真が僕を労ってくれていた。

90過ぎても趣味のように仕事を続けていたTさん。僕はいつかわかりわかりませんが、それまで趣味の仕事頑張ります。過信せず、健康をちゃんと意識して、できるだけ長く頑張ります!

 

食べたいものを食べたいだけ食べるということ

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精密検査では胆嚢にコレステロールポリープ(良性)が多数あり、それが集まっているところが巨大なポリープ(隆起)に見えたのかもしれないが、特に問題ないです、という診断結果だった。とりあえず一件落着。

多数のポリープに関しては、なんとなく思い当たる節がある。

1つ例を挙げると、、、

昔から豚骨ラーメンが大好きだった。2000年に長野県に移住してきたら全然なくて、そのことが1番辛いと思ったほどだった。

今や長野にもすっかりラーメン文化が根付き、豚骨ラーメン屋もいたるところで目にするようになったのだが、ここ数年は食べたいという気持ちがまったく起きなくなっている。

それでも”俺は豚骨ラーメンが大好き”と頭にインプットした情報の元、たまには食べてみてまあ美味しいとは感じるのだが、胃がもたれたり気持ち悪くなったりでげんなりしてしまう。

だったら、もう食べなければいい。

結局、体の声を聞くだけでいいのだ。体が食べたいものを食べたいだけ食べよう。

 

若い時は誰でも無駄なことを沢山する。それは必然であり、それを無駄とも思っていない。

無駄の尺度は年齢により変わる。無駄と思うなら、そのときやめればいいだけだ。

無理が利かなくなってくる。無理と思うことにチャレンジしようという気力は必要なものかもしれないが、潔く割り切ることもより必要になってくる。

大ベテランだった衣笠さんが、若手(確かヨシヒコ)に弄られて「無理がしたいんだよ、オレは!」というCMがあったのを覚えている。少年だった僕からすれば相当なおっさんと思ったが、あの頃30代半ばだろう。まだぴっちぴちだった。

 

自然の摂理、年齢を重ねることへの肯定感が増している。楽しいことだと思う。

無駄がそぎ落とされていき、感覚が研ぎ澄まされていく。

これから、より自然体で心身健やかに生きていけるのではないかと思っている。

 

後悔などあろうはずがない

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元野球選手イチロー氏の引退会見時の言葉だったと思うが、何度も何度も、それが自然に口をついて出た。

いよいよ死線が見えた日、未知のことゆえ多少の不安はあるものの、怖くは感じなかった。あとは少しの寂しさと家族への申し訳なさが浮かんできたが、それも割り切るしかなかった。

実際思い残すことは何もなく、その瞬間がきたら渡っていくだけだと覚悟を決めた。

スズやコロやヒメ、ピヨ、プク、チビ、、まろ(友人の愛犬)にも会えるかな、、、そんなことを考えていた。

こういうと身近で首をかしげる人もいるかもしれないが、、僕は自分なりに本当に精一杯生きた、現実の結果がどうあれ最大限できることをしたつもり、ベストは尽くした、まったく後悔など、、、心底そう思えた。

この日は眼が冴えたまま朝を迎えるまで一睡もしなかったが心持としてはとても落ち着いていた。

 

ことの発端はずっと昔、右肋骨下あたりの違和感があり病院に行ったとき、胆嚢にポリープがあるといわれたこと。

但しその時点では何か症状が出るようなものではないはずで、1年に1度経過観察(エコー検査)していればいいでしょう、とのことだったので、そのうちそのことはほとんど頭から消えてしまった。

 

それから20数年の時を経て作年末、右上腹部辺りに鈍い痛みが続き大晦日、正月三が日とさんざん飲み食いしたら痛みがさらに増した、、、そこでずっと忘れていたことを思い出した。”胆嚢ポリープ”。

急に閃いたからこれは何かのお告げではと予感がして病院へ。年に1度の検査を進められてから20数年1度も行ってなかったではないか。

 

以下はドクターとのやりとり。

痛みがあるの?

はい

(小型エコーで覗いて)う~ん分厚いな、ポリープというより凸凹に変形して盛り上がっている

・・・そうですか、悪性の可能性もけっこうあるんですかね?

良性なら大きくならないからね

・・・たしか、昔言われた気がするんですが、1センチ以上にまでなったら悪性の可能性が高まるんでしたっけ?

これ2センチはあるよ、、早く切り取るべきだと思う

・・・

そして血液検査の腫瘍マーカー値は基準値をかなりオーバー。

 

帰宅してネットを漁る。胆嚢癌の項目に当てはまることばかりと感じる。痛みが出始めたら既に進行している状態だと知る。

その後数日で痛みは増し食欲は減退、もう疑う余地はないと感じた。

 

 

ところが、

その後別の病院を紹介されて、、、

覚悟はすっかりできてます!

ドクター

いや、これポリープが悪さしてるとは思えないですね

はっきりしたことはまだ言えないけど胆嚢癌という可能性は低いと思います 痛みは他の原因じゃないでしょうか

え??、、、そうですか

ドクター

腫瘍マーカーやポリープの大きさ等心配なところもありますのでもう少し精密な検査をしましょう

日取りは、、、(だいぶ先)

 

というわけでまだグレーゾーンではあるものの、急に楽観的な感じが漂うようになった。不思議なもので食欲が一気にでてきた。その時は一瞬拍子抜けというかぽっかりと穴が開いたような気分にもなったのだが、今はもうすっかり前向きな気持ちを取り戻している。

仮に何があっても大丈夫、どんなことも受け入れられる、そういう自分であるとわかったことが大きな自信として残った。力が湧いてくる。

 

この間に癌に関する様々な本を読んだ。

癌を呼び込む食事や生活全般、情報は山ほどあるが、現代は2人に1人が癌になる時代という。いや100人に100人の体に毎日癌細胞は生まれているのだというから、免疫がうまく働かなければ自分の中の癌細胞が育つわけだし、、なにも特別なことではなくすべて自然の営みに基づいているのだとわかる。そしてそれがそれぞれの運命なのだと。

健康に良い、生命力に溢れた野菜作りに励んでいて、毎日の夕食では健康度100点満点と自賛するメニューを用意する僕も、昼食は仕事の移動の合間に牛丼屋に駆け込み入店から5分後には御馳走さまと店を出ることや、片手ハンドルで運転しながら菓子パンかじって昼食、なんていうこともあった。あとラーメンスープをどんなにギトギトであっても苦しくても最後の一滴まで飲み干すなんていう自分なりの決め事もあった。

さすがにそんなことはやめようと決意しているが、癌を育てる土壌というのは、加齢とともに培われる面もあるだろうし、日常の1つ1つ、ストレスを中心とした複合的なものだろう。

 

よく動き、よく休み、よく温めて、深く呼吸し、よく笑い、糖分塩分脂分控えめに、無理はせず、と紙に書いて壁に貼り付けた。

だけどわかっている。守れない時があること。気持ちが先走り、無理を承知で動くこともあるだろう、こと。それが生きているということだから、、と思う。

 

 

右上腹部が痛くて動けない日が続く。

癌では、と思い込んだ頃からボクシングジムに通い始めた。気分と体温を上げて癌細胞を弱らせよう、その他の細胞を活性化させよう、と考えたことが大きな理由だったが、それが束の間の憩いの時間となっていた。試合が近い選手のスパーリングパートナーとなって役立ちたい、また上達したい、体調は芳しくないながらもそんな風に気持ちを奮い立たせて通うことが楽しみになってきた。くたくたになったが、癌だとしても死滅するのでは?いや疲れすぎて免疫低下かな?そんなことを考えたりして、、、農閑期の趣味として高揚感が芽生えてきた、がその矢先どうやら無理がたたったようで動けないほどの激痛がきた。

今これは胆嚢ではないよなぁ、脇腹の筋肉の肉離れ?肋間神経痛?と思っているが。(肋骨折れてた)

 

 

人生をフルコースで深く味わうための

いくつものスパイスが誰もに用意されていて

 

とミスチルの歌詞にあることを思い出し、

いやぁほんとに、と思いながら口ずさむ。