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2006年12月30日(土)
モミの木ファーム


 300坪の畑を新しくお借りすることになった。入り口に印象的なモミの木があった。(すぐさま形整えて・・・さすが植木屋!)
 モミの木といえば、クリスマスツリー。来年のクリスマスはここで何か催しを・・・(さむ
そう〜)。地主さんも植えたとき、そう考えたのかなぁ・・。
 
 妄想はふくらみ、胸がときめく。
 毎年新しく畑が増えている。そしてその場所に始めて足を踏み入れる時、夢と希望で全身に力がみなぎるのはいつも変わらない。
 いわゆる農閑期ー来年に思いをはせるこの時に、童心に返ったような、こんな気持ちが起きなくなったら、百姓を続けることは出来ないだろう。

 
 今、「やるぞぉ」と叫びたいような気持ち。
 

モミの木ファーム
2006年12月23日(土)
冬至カボチャ


 昨日は、冬至、一年で最も日の短い日。
 この日にカボチャを食べると風邪をひかないという言い伝えに習って、我が家もカボチャづくしの晩飯だった。

 うちでは食べるだけでは終わらない。
 今日は昨日掻き出しておいた種を洗って、選んで、乾かして、袋詰め。小さな助っ人、手伝って(?)くれて普段の倍の時間がかかったけど楽しかった。
 
 この夜長を時間がゆっくりと流れている。
 「来年もカボチャ食べような。また(種採り)やろうな。」

 来年は、どんな1年になるだろう。カボチャはどうだろう。冬至カボチャにありつけるかな。
 1年後、年末の夜長に、成長した娘と、又種採りできますように

優芽作業中
2006年12月18日(月)
寒波襲来!


 朝のうち雪。その後北風が吹き荒れ、強烈な寒さが来た。文句なしにこの冬一番の寒さ!。
 
 子供の頃、どんなに痛くても、寂しくても絶対泣かなかった僕が、寒さに耐えられず泣いたことを覚えている。昔から寒いのは大の苦手。骨に来てしまう、という感じ。ずっと南の島に憧れていた。
 ・・・何で今この寒空の下、働いているのか、こんな風に自分の人生が進んでしまっっているのか、、時々首をかしげ、考えることがある。この信州に惹かれながらも、”ここを終の棲家に”という強い気持ちが湧かないのは、もしかしたら拒絶しているのかもしれない、身体の芯のところで。

 いつもこの時期弱虫が、頭をもたげる。気分が慢性的に暗い。
 今日は、更に暗くなるような一言が、植木のお客さんから飛び出した。
 「おじさんは、親方より年上だろ」

 何てこった!50過ぎの親方より上だなんて。
 そういえば鏡もしばらく見ていない。身なり構わず、髭面で、どんなイメージなんだ.俺は。
 こっちに来て、きこりになって、百姓やって、自然と向き合うことをテーマに日々を送り、6年が過ぎ、鏡と向き合うと、おじいさんか。浦島太郎だ、まるで。
 東京時代の友達とは全然会っていないけど、今会っても、きっと気づかないんだろうな。
 心配になってカミさんに確かめたら、”完全に老けた”って。やっぱり!
 ストレスだ、寒さというストレス。

 ・・・・・

 夕方、意地になって弁天様の清水で”お菜洗い”僕は野沢菜ではなく、紫かぶの葉を洗った。
 そしたら最後に小さなご褒美流れてた。
 水が冷たくない。というかあったかい。近くにいたおばさんに聞くと、水温は年間通して6℃らしい。今日は、最高気温で5℃だったからあったかく感じた次第。
 
 ほんとに気持ちよくって時間を忘れ、脳内モルヒネ分泌させて、若くなって(?)洗った。
 
 

お菜洗い
2006年12月16日(土)
楽園の静寂


 霧に包まれた静かな朝。
 雉の鳴き声だけが、時々聞こえるだけ。ほぼ無音。

 でも感じられるんだ。たくさんのいのち。目の前に広がる彩とりどりの楽園から滲み出るような鼓動。
 
 自然農の田畑を離れたくない。
 永続可能なこの農業を、永続することこそ、我が人生の目標。

 ありのままを受け入れること。自然を肯定し、人間を肯定し、社会を肯定し・・・。
 この道をただひたすらに、歩いてゆくだけ。

彩とりどりの畑
2006年12月9日(土)
循環農業

 落ち葉、米糠等を踏み込むと発酵熱が出る。まだまだ寒い3月、この”踏み込み温床”の上で苗作りを行なうが(秋の早い高冷地では、これをしないと夏野菜の苗が間に合わないという理由)、前年の温床が、育苗土になる。この循環がうれしい。
 
 全てが有機的に循環していく。有機農業は、かつて当たり前に行なわれていた。
 ”有機”はやがて言葉が独り歩きを始め、今ではすっかり別の物になってしまった。

 本質的な意味で、自然農は、究極の有機農業だと思う。無駄なものは1つもない。
 草や虫、小動物、菌、微生物、そして栽培夫と作物・・・。かけがえのない命の尊さを実感できる。

 いじめなど悩みを抱える子供たち、簡単に命を絶ってしまう・・・その前に体験させてあげられたらなぁ。近頃そんなことを考えるようになった。
 
温床の土
2006年12月8日(金)
籾摺り


 今年もコシヒカリの他に黒餅米(朝紫)を僅かだが、作った。
 
 今日はその黒米の籾をを少しずつ、一升瓶に竹の棒で搗いている。

 トントン、トントン・・・  瓶の中に、黒いお米の割合が増えてくる。
 
 数粒を、ご飯に一緒に炊き込んで食べると、玄米なのにモチモチして絶妙のおいしさ。おかずなんていらない位。
 
 昔読んだ「はだしのゲン」の、かすかなイメージを元にやってみた方法。案外うまくいった。

朝紫籾摺り
2006年12月5日(火)
白夜


 夜10時。窓の外がビックリするほど明るい。表に出ると、真ん丸い月がほぼ頭上に位置していて、あたりを煌々と照らしている。

 吸血鬼ではないが、妙に身体がうずいてきて、大量に手に入ったばかりの、米ぬか入りの袋を抱えて畑へ飛び出す。明日の早朝に予定した作業を、前倒ししてやることにした。

 まだ地力が十分とはいえない畑に、米ぬかを撒き散らしていく。
 夜明け直前、又は日没直後と同じぐらいの明るさだろうか。米ぬかの軌道が良く見えて具合がいい。気温は早朝と比べればずっと高い。
 30分ほどの快適な作業。やみつきになりそう。

 2007年○月○日満月
の夜。飛び出した人影がせっせと野良仕事・・しているかもしれない。
 

満月
2006年12月3日(日)
モロッコインゲン


  モロッコインゲンの種の模様、とてもおしゃれだった。
 春ホームセンターで買った種は、薬品でコーティングされていて
少し気味の悪いものだった。
 栽培が無農薬でも肝心の種が薬漬けでは・・・。収穫もそこそこに、翌年の種作りに専念してもらった。

 自家採種した、来年のモロッコインゲンの栽培、今から楽しみだ

モロッコ種
2006年12月2日(土)
手間のかかる暮らし


 今日、稲の脱穀をした。足踏み脱穀機による脱穀は楽しい。

 籾通しでふるって、箕であおって、わずかな籾を収穫。

 夕方から、薪ストーブに火を入れる。

 今朝、枯れ木伐採の仕事でゲットした柿の木を、割ってはストーブに放り込む。

 チェーンソーの目立て、明日出荷のための大豆を選別、その間7,8回薪をくべた。

 油断大敵、温度を保つためには、絶えずストーブの火力を気に掛けている必要がある。

 天と地の違いだ。・・僕は、地が良い。
 温度設定ボタンをピッピ、スイッチ、ポン。
 これだけで快適温度が手に入る現代人の暮らし。これは天。

 うちの暮らしは、地。
 地面を踏みしめて一歩一歩を大切に味わいながら・・例え歩みは遅くても・・誇りを持って。
 

脱穀
2006年11月30日(木)
ことばの力


 大人になれば、誰でも好きな言葉があると思う。
 言葉に大きなエネルギーをもらった経験があると思う。

 今まで僕は導かれてきた。いろいろな言葉達に。
 
 ”ペイン(痛み)よりゲイン(前進)さ"(日本語訳スポーツニッポン)
 これは全盛期のマイク・タイソンに勇敢に立ち向かってKОしたホリフィールドの言葉。(ボクサー時代に勇気をもらった言葉)

  ”今は勝つ動機がある”
 これは45歳になっていたジョージ・フォアマンの言葉。25歳の全盛時代、落ち目といわれたモハメド・アリにまさかのKО負け。原因は「アリには勝つための動悸があり自分には無かったから。」「アリは打っても打っても倒れなかった。」

 そしてフォアマンは27歳の当時のチャンピオンに奇跡の逆転KО勝ち!今度は自分がが20年前のアリになった。(・・・そう、僕も負けが続いた後、この言葉をつぶやいて、そして勝ったのだ!!)
 ・・自慢話も入ってしまったけど、この言葉は

 ”目的が定まれば必ずうまくいく”あの時川口さんが言っていた言葉と重なっている。
 迷っていた時勇気をもらった言葉。これから僕は自然農を決してやめる事はない。 

 相反しているようだが
 
 ”なんでもいいからさ 本気でやってごらん 本気でやれば楽しいから 本気でやれば つかれないから つかれてもつかれがさわやかだから”
 相田みつをのこの詩が好きだ。目の怪我でボクシングを止めて、無目的にすごしていた時、この詩に出会って救われた。遮二無二ゴミ屋、あっ、回収業で働いた。楽しかった。・・・


 今日久しぶりにピンと来るような言葉を聞いたので、そんなことを思ったのだ。
 その言葉は・・
 
 ”仕事はいつも間に合わないぐらいがいい”

 植木屋の親方の言葉。
 毎日の仕事、いつも夕方になると何とか間に合わせようと必死なんです。
 もちろん親方も必死なんです。形相が明らかに違っています。それなのに・・いいんですか?

 考えてみると夕闇迫るその時になって急に、信じられないほど体が動くことがある。それはただ、時間に追われるから、だろうけど、追われるのも良し、である。
 集中力が増し、創意工夫がなされ・・創造的な物事の多くは、ある程度追い込まれたときに生まれるんじゃないのかなぁ。

 いつも間に合わないか、ぎりぎり間に合う、ことばかりの生活。自然農、自給自足のイメージと遠くかけ離れたそんな暮らしを、大きな懐で肯定してくれる、この言葉が好きになった。
 

グローブ、ロープ、ボール
2006年11月26日(日)
夜なべ仕事

 この頃は、内職が多い。薪ストーブの前に座り込んで、種を採ったり、数えたり、製粉や大豆の選別等。夢中になってやってると、びっくりするような時間になっていたりする。こういう作業は、いわゆる”スローライフ”のどかなイメージだけど、一人で小さな粒たちと格闘する時間、その心身の疲労はかなりのものだ。

 つい先日、夜中に大豆の選別をしていると、泊まりに来ていた親父が起きてきて何も言わずに手伝い始めた。目を細め、背中を丸めて豆を転がす親父をジーと見つめた・・・・・。

 昔ホントに怖かった。
 テーブルひっくり返すは、灰皿投げるは、殴るける、頭突き・・・星一徹以上に一徹だった。
 それが孫の出来た今では、大きな声で童謡を歌ったりする。表情は仏様のように穏やかだ。
 「もうすぐ70だ」と言った。・・ふと、この夏、草刈りでこき使った時の事を思い出して、涙が出そうになった。
 
 「今日はもう寝ようよ。」・・いつでもできることだ。
 立ち上がった親父の後姿に、今度は本格的に泣いた。人は誰でも老いる。そしていつか必ず・・・。
 と、急に初めて実感して。
豆選別
2006年11月22日(水)
職人の世界


 今年の冬は、植木屋である。
 10メートル以上もある松の木のてっぺんで、真冬の寒風に晒されながら仕事をすることを考えると少しぞっとするが、夏農業、冬スキー場という定番コースを捨てて踏み入れる世界、ポジティブな気持ちでやっていきたい。
 
 キャリア35年の親方とのマンツーマンの仕事。
 職人の技術はいかに丁寧に、なおかつスピーディーに作業をこなすか。
 そこには”時間”が絶対的なものとして存在しているのを感じる。

 限られた時間で最良の選択、それをささえるための技。
 その技を買ってくれる人の為の、職人。

 職人の世界は人間の世界。
 
 自然農は・・僕の自然農も人間の世界。それは生業を目指すものだから。
 それは、人に支えてもらって初めて成り立つもの。

 勉強になることが、たくさんあると思う。
 植木の技術を覚える以外にも、いろいろなことを、見るからに筋金入りの親方の近くで、吸収しよう。
 時間の管理から、作業諸々1人畑に向かう、新しい春が来るまでに。

赤松
2006年11月20日(月)
すかいらーく


 うちから車で5分。こんなに近くにこのファミレスがあるのを最近まで知らなかった。

 since1970年とあるから、僕が生まれた次の年、発祥の地ひばりが丘(ひばりのマーク、すかいらーくの名はそこから由来)は、僕の生まれ育った場所のすぐ近く。ファミレスはいくつもあるけど、この店は縁があって、懐かしい。
 子供の頃たまに家族で外食 いつも選んでたのは ・・・・ 確かピザだったかな。
 とにかく外食の記憶といえば”すかいらーく”ほんとに楽しみだった。
 
 今日は雨で植木屋の仕事も休みになったので、家族で来てみよう、ということになった。
 ドリンクバーでカフェラテ飲み放題が嬉しい。
 自然農を追い求めているはずの人間が、ファミレスでコーヒーがぶ飲み??
 確かに変な感じだけど、深く考えない。
 
 カミさんも子供も喜んだ。・・いいと思う。
 

すかいらーく小諸店
2006年11月15日(水)
蒔集め


 今日は山へ。薪集め。
 春先に、1日がかりで割った薪がもう無くなりかけている。あまりにもガンガン燃やしすぎたか。
 
 探すは、ちょい枯れコナラ、細め。
 パチパチと派手に良く燃えるのは松だけど、ナラはロールスロイス(と誰か言っていた)、静かに芯から暖まる。最高の薪材だ。
 とにかくすぐ使えるように。生木はもちろん、枯れすぎもよく燃えない。細いのを探すのは、斧を振り回して割る手間が省けるから。
 
 あったあった。1本2本・・。
 結局、ちょうど良いコナラ6本倒して、20センチ程に間切って出来た薪が100以上。
 でも100本なんて多分10日でなくなるな。

 寒い信州に、寒がり家族。蒔の調達もなかなか楽じゃない。

 

薪集め
2006年11月9日(木)
"お疲れ様でした"


 僕は思わず声をかけていた。

 昨日、そして今朝も氷点下まで気温が下がった畑で、ズッキーニの実も茎も葉も溶けるように地面に倒れこんでいた。

 7月から4ヶ月間、毎日たくさん収穫できた。
 もう表彰したいくらいに、頑張って実を着けてくれた。
 
 でも、直売所に持っていっても売り切れず、宅配のセットの中身もズッキーニばかり多くなってお叱りを受けたこともあった。うちのおかずは毎日ズッキーニ。
 
 僕もカミさんも大好きだけど、さすがに「飽きてきたなぁ」と思った頃、
 ちょうど7月で1歳になった娘の優芽(ゆめ)がバクバクと食べ始めた。
 ”ズッキーニ”の言葉にニコッと笑うや手を伸ばす。”ちょーだいちょーだい!”
 もたもたしてると怒りだす。”はやくくわせろ!!”
 小さな胃袋に毎日3本分のズッキーニが消えていった。

 毎日毎日ズッキーニ。
 2006年夏から秋、家族3人健康に過ごすことが出来たのは”ズッキーニパワー”のおかげだと思う。


 

最後の姿
2006年11月8日(水)
豊かな実り


 僅か50坪ほどの実り。
 春先に、水路に浸した種籾が入ったネットを、かににちょん切られて、少しだけになり、それでも種の更新の為と、せめて娘の1年分になればと1本1歩ん植えた稲だ。
 この東御市の中でも、もうこの田だけかもしれない、まだ刈っていないのは。
 
 まだ青々としている。ここはまるで異次元の世界。誰も気にかけない、こっちも気にしない。
 ゆっくりとマイペース、でも信じられないほど良く実った。

実りの秋
2006年11月5日(日)


 今朝は寒かった。霜が降りた。
 
 この霜でどうやらトマトは終わり、ズッキーニも衰えるに違いない。
 霜は葉物の甘味を増し、、サトイモを掘り上げるサインでもある。

 日中は相変わらずポカポカ陽気だけど、季節は確実に移り変わっている。
 サトイモを掘ったら、稲刈り(まだなんです!)と大豆の収穫。そのうちにもう冬だ。
 畑は冬の間お休み。僕は休みなし。(この冬は植木屋です。)
 
 (ここでCM)
 3種類作っている大根と紫色の蕪も収穫期を向かえ秋のセット充実してきました。
 

 


 

6時半の畑
2006年11月2日(木)
焼き芋


 今日は近くの保育園で焼き芋会。
 やっぱりサツマイモは焼き芋が一番甘くておいしい。
 園児に混じって優芽もバクバク食べてる。
 僕は紫芋の苗を提供したのでその反響が気になって
 付いてきたんだけど・・・


 「あ、紫芋だ、やったー!」
 「○○ちゃん紫だ。当たりだね。いいことあるよ。」
 「ぼくもむらさきがいい!」
 「むらさきおいしいっ!」

 嘘じゃない、ホントにこんなふうに盛り上がっているんです。
 嬉しかったなぁ。すごくいい事したような気がして・・・
 自分が褒められてるような感じで・・・

 よかったよかった。

 

優芽 焼き芋会
2006年10月29日(日)
「脳内革命」


 発行年を見ると1995年だから12年前だ。
バブル崩壊後の停滞していた時代に大ベストセラーになった本だ。
 本棚の片隅に見つけ久しぶりに手にとってみた。

 昨日の哀しい出来事・・・。近くの里山で栽培してる原木きのこ(しいたけ、なめこ)ボツボツ採れ始めたのだが、前日たくさん出ていたなめこが1つもない。
 昨日発送のセットに入れるはずで、お客さんにも言ってあった。
 
 僕は完全にキレた。
 軽トラに乗っていた木っ端とマジックを持ち出して、
 ”きのこパクッたの誰だ!必ず探し出して山に埋めるゾ”と書きなぐり、木にくくりつけて・・・山を後にした。

 いつまでも怒りが収まらない。そこでふっと思い出したのが”脳内モルヒネ”という本の中のキーワード。
 いつも悩みはあるもので、この本を買った12年前、「脳内モルヒネ、脳内モルヒネ・・・」とよく唱えていたことを思い出す。
 
 人間は本来125歳まで生きられるという。怒り心頭の状態では、脳内にノルアドレナリンという猛毒物質が分泌され寿命を縮めてしまうらしい。
 脳内モルヒネ出す為に、「肯定、感謝、愛、プラス思考」か・・・。
 ・・うん・・・少しは・・・α波が・・・出てきたかな・・・・・。

 夜が明けるのを待って外しに言った。早死にしそうな、子供じみた看板を。

『脳内革命』春山茂雄著
2006年10月27日(金)
パープルスイートロード


 収穫の秋。
 この間のベニアズマに続いて、今日は、紫サツマイモと落花生を掘り上げた。
 これがまた、なかなかの出来栄えで、この秋はなんとなく幸せ感漂う日々だ。
 
 落花生、自家採種
。そしてこの洒落た名の紫芋も「サカタのタネ」新商品として登場した3年前から、ずっとこの畑から種をつなぎ作ってきた。

 年々収量が上がっているのは、品種がここの土地に、土に合ってきたから。
 同じ品種でも少しづつ変わっていくものだろう、顔や性格が。

 この芋は、”長野県東御市自然農園たかはし製”の「パープルスイートロード」。
 ”秋のセット”に入りますよ。



紫芋掘り
2006年10月21日(土)
自然農・・


 10月21日である。
 真っ赤に熟したおいしそうなトマトが、まだいくつも採れる。
 残暑が長く続いたわけでもないのに(むしろ寒かった)だから、これはちょっとすごいのではないでしょうか。


 近隣の畑では、もう大根や白菜、野沢菜など、秋の野菜ばかり。こちらはまだトマトとズッキーニばかり。ここだけはまだ夏だ。(別の畑で秋のものもちゃんと作ってます)
皆、家庭菜園で、限られた土地(100〜200坪位)の中でまわしているので、採れなくなってきたら、又は時期が来たらさっさと引っこ抜いて次のものに変えている。
 
 自然農の栽培では、”ゆっくりとした生育”と”長い収穫期間”が特徴として挙げられる。
 初めの頃あんまり育ちが悪いので、小馬鹿にされたり(「草しか見えねーぞー」)、同情されたり(よく知らないのねぇ気の毒にぃ)したが、草も生やすが、作物も元気な(しかもまだトマトが、ズッキーニが、)今の畑の様子を、「これは評価に値する」と思う人が出てきたみたいだ。(通るのはほとんど近所の人だけど・・)
 まず、よく話しかけてくるようになった。負けん気が滲み出る人がいたり、細かく質問して来る人もいる。
 
 前に書いたことがあるけど(5月10日、25日参照)
(頭の中の)自然農の世界が展開する美しいイメージは、(このあたりの)田舎の人には、まるで興味がないようだ。”無農薬”の価値さえ見出すことはない。
 目の前の現実がいつでも最重要項目で、目に見える結果に対しての評価は公平だ。
 
 だからもうせせら笑うことはない。自然農は置いておくが、
 僕は認められた。

                      

真っ赤なトマト
2006年10月19日(木)
来年もここを舞台に


 こんな小春日和の穏やかな日は、芋掘りがいい。(あなたのやさしさがしみてくる〜)
 すっかり自分の世界に入り込んで、1りでエッチらホッチら掘っていく。
 こんな時、百姓はいいなぁ、と思う。
 毎日こんな陽気なら天国だよな。
   
 ・・このべにあずま、なかなかだ。びっくりだ。
 7月に水害を受けて、畝は崩され、土砂に埋まり、ゴミだらけになり、その光景をぼーぜんと眺めた時、完全にもうだめだと思った。

 高い土手を作り、溝を掘って、土を持ってきて寄せて、挿し直して・・・

 手間のかからないはずのサツマイモが、今年は一番大変だった。
 大きな芋を掘り上げるたび、そんなことを思い出したり、うーん感慨深い。

 サツマイモは、人参と並んで連作できる野菜の代表だ。
 来年もここはサツマイモで決まり。どんなドラマが待ち受けているのかな。
 「何があっても構わない」
 たくましく育った芋を見て、そんな風に思えてくる。

 「出来ることをするだけだ」

 裸になった畝に、蔓の布団をかけてあげた。

芋掘り
2006年10月17日(火)
大奮発


 ずっと前から欲しかった宝田工業(株)製、”手廻しシリーズ”の手廻し製粉機
 小さいけど僕のような自給的農業にはこういうものがピッタリだ。
 
 以前良く飲んだ缶コーヒー、近頃は第3のビールにも手を出さなくなって、更に節電、節約心掛け、その昔疎んでいたケチケチ人間として、今ではすっかりその座を固めた。
 お金は、本当に必要なものにだけ使いたい。そう強く思うようになった。

 足踏み脱穀機、唐箕、そして製粉機が手に入った。
 
 ”手廻しシリーズ”みそくり。次はこれ欲しい!今はすりこぎで大豆をすり潰しての味噌作りだけど、もう少したくさん作りたい。 
 必要とあればお金も思い切ってつぎ込むのだ!・・って「そんなお金はありません。」

 今年も冬の仕事、そろそろ考える(探す)時期だなぁ。
 

製粉機
2006年10月14日(土)
キノコ採り


 今日は4時半起き。5時半には山に到着。
 気合十分のスタートも、結果は・・・

 目指したのは"クリタケ籠山盛り"だった。
 去年ここは10月23日にピークだったとメモってあるから,大分冷え込みの早い今年は今頃かな、と予測を立てた上での4時半起きだ。

 (春の山菜採りもそうだが)キノコ採りもなかなか難しい。
 今日誰よりも早く山に入ったって、昨日きれいに採りさられていれば「何もない」わけだし。

 予測は見事にハズレ。群生しているクリタケは皆幼菌。4,5日早かったか。
 今度これが目に焼きついて、4,5日後又来たくなる。又4時半起きで。

 2度同じ山に、同じ目的で足を運ぶ、その時間、ガソリン代を考えるとむなしい。そして前日に採られていれば「何もない」
 
 それなのに又、きっと来てしまう・・・



キノコ鍋
2006年10月9日(月)
秋の夜長


 ついさっきまで賑やかだったうちの中が急に静かになる。
 娘の優芽(ゆめ)が、今日は早々と(?)寝てしまった。

 まだ9時を少し回ったところ。朝もこの頃は、5時半まで寝ている。
 日記を書いたら、ゆっくり読書でもしてみるか。
 
 ・・・・
 午後5時。”もうくらくなっちまう、くそっ” ”明日出かけるんだったっけ、今日中に何とか間引くぞ” ”収穫もしなきゃ” ”今日の日差しじゃ一昨日植えたターサイ枯れてやしないか?水遣りだ!
 
 ・・4時間前のことだ。
 夜が長い分、昼は短くなった。
 あれもこれもと、次へ次へと、気ばかり先に行く。
 
 これが、生まれつきの性格だったんだと我が娘を見いていて最近気がついた。
 パンを取った。口に入れたと思ったら、すぐ次のものに手を伸ばす。もう1つの手も伸ばす。手がふさがれば顔を直接近づける。口はまだモグモグしている・・・。

 ”忙しがるのはやめよう”
 ”一つ一つ丁寧な仕事をしよう”
 
 春先に掲げた目標はすっかり忘れ去られ・・メチャメチャ忙しがってた。「そうは言っても(丁寧になんて)やってられない」と思うことがよくあった。
 
 2つの目標は、きっといつまでも課題であり続けるんだろう。
 でも・・・
 
 ・・娘には何とか落ち着いた人間になってほしいと願う。
 
 
 
 

蒔きストーブ
2006年10月3日(火)
世界に1つだけの・・・


 写真は種取り用に完熟を待っているトマト。

 今年1年思い返して種を採る。
 来年に胸膨らませ種を採る。

 世界にたった1つ、この畑のこのトマトから種を採り、蒔く。
 
 
 畑に居て、「つかれたなぁ」と思うとき、口をついて出る歌詞がある。
 ”どこかに自分を必要としてるぅー人がいるぅー”
 ご存知でしょうか?ミスチルの曲。
 
 最近お客さんに、定期購入を希望していただき、お送りすることになった。
 大阪に住む、アトピーの子を持つ主婦で、都会にお住まいになりながらも、自然に即した暮らしを希み、食もそういった(自然農法の)ものを是非、と考えていらしたそうだ。
 1度野菜をお送りして、”オンリーワン”の野菜たちを気に入っていただいた。

 こんな方がいるから、俄然やる気が出る。
 そしてこの田舎の農園で、人知れず世代更新を続けてきた野菜たちも報われる。

 ミスチルのうた、野菜たちも歌っていたのだ。

種取り用トマト
2006年9月30日(土)
命のつながり


 今月の中旬に雨が続いたあたりから急に気温が下がり、夏野菜の活力が徐々に失われている。

 写真のように虫に食われるものが増えてきた。真夏の日差しを受けて
つやつやと真っ赤に光り輝いていたトマトも”時”が過ぎれば”次”の命の糧となる。

 命は繋がっている。それを受け持つ”生”の弱から強へ。ごく自然に。

 野菜には旬がある。そしてそれは人間にも・・
 スポーツ選手にも、芸能人にも、男にも、女にも・・旬がある。
 過ぎたものは、後生ににその座を譲る、というものだろう。
 
 人も死ねば、虫や微生物の命の糧になる。

 延命の努力はしなくていい。薬はいらない。(いるかな、痛み止め?近しい人が苦しむのを見るのは・・農薬はいらない!)
 命の世界は豊かに繋がってゆく。

 

命の糧
2006年9月26日(火)
山菜採り


 秋の山菜といえばまずきのこ。他にもアケビ、山栗、山葡萄、サルナシ・・・
 「畑忙しい、忙しい」といいながら合間を縫って山歩きに興じている。
 
 ・・熊に出会わないようにせいぜい気をつけよう。

栗拾い
2006年9月18日(月)
草の海、命の舞台


 ”草を敵としない自然農”と言いながらも、”百姓は草とのたたかい”という言葉に共感したり・・・とにかくこの半年間、毎日毎日家族よりも長く草と接してきた。
 
 眩しい位にグリーンだった草の色も今では茶色味を帯びて、土に帰るのを待つばかりになっている。
 もうほとんどの夏草が次の命を宿し、すでに次世代の種を土に落とした。
 
 彼ら草達の死は、哀しみを伴わない。それは至ってシンプルな命の法則を体現しているからか。
 この草だらけの畑には、草を食べる虫や微生物が無数にいることだろう。そして彼らもまた、シンプルないのちの世界を巡っている。
 四季一年で更新して行くこのリズムに悲哀の入り込む余地はない。

 人間はどうだろう。

 何故、こんなにも長い間種を宿し続けるのか?
 次世代誕生後、そのまた次世代まで・・・ こんなにも生き続けるのは何故か?
 
 ”シンプルに生きる”と以前僕はいっていたけど、土台無理なことなんだと、近頃思うようになった。

 人間である以上

草とズッキーニ
2006年9月11日(月)
自然農園・・


 就農に当たってお世話になった信州荻原農園、荻原さんから今月に入ってから何度か畦草刈りの仕事のお呼びがかかった。
 荻原さんは地元東御市の代々の農家で、高齢化の進む農村を根本から支えるべく地域の農業の発展のため尽力されていて、耕作放棄の農地を次々に借り受けて”環境保全型”の米作りに取り組んでおられる方だ。

 年2回、6月と9月。100枚以上の畦草刈りを3年やってきた。前職(森林組合)でも夏は毎日、山で草刈りをしていたから、慣れているし作業はまったく苦にならないのだけど、6月、9月って自分の畑も一番忙しい時期!かなり厳しい日々になる。
 
 本当に頼りにされているのが、分かるし、「少しでも収入になれば」と仕事をくれる、そんな親心も感じるので、出来る範囲で今回も手伝わせていただく。

 
 それはそうと、表題の”自然農園”はその棚田の土手にある。

 こまめに草刈りに励む近隣の田と比べ、ひときわ草の生い茂る”荻原田んぼ”の土手。
 多様な植生、豊かな生態系、ふかふかの土(それだけ水漏れもするということか)。

 僕はあっちこっちに生えている、実生のアスパラを必ず残す。ひそかに栽培している。年々大きな株になっていくのが楽しい。6月の時は、草刈しながらアスパラ狩り(収穫)!
 
 甘味、食感サイコー!!無農薬、無肥料 ”自然農園おぎはら”のおいしいアスパラの話でした。

実生アスパラ
2006年9月9日(土)
蒔きどき


 おととい雨が降って昨日は絶好の蒔きどきだったけど、結局蒔けず今日に持ち越した。
 「蒔くのが1日遅れると収穫は1週間遅れ、1週間遅いと1ヶ月変わる。」と云われるほどでのんきに構えていられないのだ。

 (最初忘れた)
 「 ・・・・・土がやけどで種蒔けず」 なんていう川柳が新聞に出てたけど、暑い暑いと言っていて、舌の根の乾かぬうちに寒くなるのが信州なのだ。・・もう7年か・・・なれないなあ、寒さには。


 まだ地面は湿っていて良い感じ。小松菜蒔いてすぐ発芽するように”念”を入れてよく踏みしめておいた。

小松菜蒔き
2006年9月3日(日)
復活野菜


 9月入った。日中の暑さは全然変わらないが、日は目にみえて短くなり、朝晩は少しひんやりするようになった。
 ”いよいよ来るな”僕は思わず身構えてしまう。
 信州の寒い寒い冬が、もうすぐそこまで忍び寄っている。

 そんな暗い気分を今日忘れさせてくれたのが、ズッキーニの復活だ。
 彼らは真夏の暑さが去っていくのをじっと待っていたのだ。
 樹勢が弱らぬよう早採りを続け秋の爆発を待っていた、僕の期待に見事にこたえてくれそうだ。
 
 夏の終わりを僕が切なく思っている間に、彼らはまた生き生きと躍動しはじめた。
 またしばらくは、おかずがズッキーニばかりになりそう。
 
 そんな4種類のズッキーニ、宅配もしています。
どうぞ

今日の収穫
2006年8月31日(木)
山の頂にて

. 
 
 お盆の前から続けてきた林道の草刈りの仕事が、今日で終わった。
 車が入ることの出来ない山道を延々と草を刈りながら歩き続け、ついに標高1600メートルの頂上付近まで到達した。


 今日は雨の後なのでよくわかった。熊の足跡があっちにもこっちにも・・今年は熊の出没が多い。ここは地元の人の話では、”熊の住む山”なのだ。

  
 熊に遭わず、ハチに刺されず、身体も壊さず無事終わってやれやれだ。

 考えてみれば今年は、冬のスキー場、春の山菜採りとあわせて、半分以上山に来ている。 
 僕は元々、山仕事をするために信州に来た人間だ。農業を始めた今も山へ来ると妙に安心感がわく。気障にいえば、”心の原風景”のような・・・。
 きっと自分の畑の中に、山で感じるような雰囲気をつくりたくて自然農をしているんだと思う。

 帰りに山の麓の温泉に浸かり、久々のリフレッシュタイムを過ごした。

 明日から,盛りだくさんの畑仕事。又目一杯頑張ろう!

山のなか
2006年8月29日(火)
雑穀レストラン


 今年の春、長野市にオープンした雑穀レストランに野菜をお送りした。5月に山菜を届けて以来、野菜の出荷は初めてだ。


 最近、人々の志向は確実に古いもの、古くても良いものへとむかっている。本物志向は薄っぺらな時代の産物なのか。
 噛むほどに味のある雑穀も、健康食として見直されているものの1つ。
 
 僕は今年、アマランサスとタカキビの種を買ったが、蒔きどきに引越しが重なったり、多忙で結局蒔く事ができなかった。
 これから自給生活を深めていく中で、是非来年は、挑戦したいな。
 
 良いものだけが残っていく時代にあって、きっと成功するだろうな。そんな雰囲気を感じるお店。
 僕も、こういうお店に出して恥ずかしくない野菜を作らなきゃ。                     
                                       
    [つぶつぶカフェ長野駅前店]

つぶつぶカフェ長野駅前店
2006年8月25日(金)
忘れ物


 電子レンジの中から出てきました。もう一品。

 夕べの豪華メニュー、締めのデザートで
 ”7、ラップにくるんで1分半チンして” 食べるはずだったのに・・・

 近頃(いや大分前から)ほんと忘れっぽい。
 直売所にバーコード(値段の付いたシール)を貼らずに並べてしまう。可愛そうに、値無し野菜が、よく返品かごの中でしなびている。

 小学生の頃だ。忘れ物検査というやつで1番(忘れ物が少ない)になった。
 そのことは今でも覚えている。
 ・・・あれは全て親のおかげだったのかな。

 年のせいもあるだろうが、僕は”パンチドランカーかも”と少し思っている。

 プロボクサーとしてのキャリア、僅か6戦。でもスパーリングも含めかなり打たれた方だと思う。”打たせながらカウンターをとる”スタイルだった。

 ある試合で、打たせているとレフリーが試合を止めた・・TKO負けだ。
 「全然効いてない」「これからが勝負!」なのに・・
 
 今思えばレフリーは正しかった。
 
 障害を負った元ボクサーは哀しい。残りの人生が長すぎる・・・・

 ”たこ八郎”波にさらわれてから何年経っただろう。
 
 ”辰吉”は大丈夫なのか。最近ろれつが回っていないようだけど・・・

 歌舞伎町にいた”殴られ屋”まだ続けているのかな。会いたいな。
 
 ”モハメド・アリ”と誕生日が同じなのが、昔僕の自慢だった。

 で、なんだっけ・・・
 
 自家採りの種から育てた”黒もちとうもろこし”今の僕の自慢です。
 モチモチとした独特の食感と甘味。いろんな人に食べてもらいたいな。
 宅配もしています。どうぞ。
 

黒もちとうもろこし
2006年8月24日(金)
豪華ディナー


 今日は、カミさんが娘と埼玉の実家に帰っていていないので、久しぶりに料理をしてみた。

 元々料理が好き。そして結構ウマイと思っている。ワクワクしながら冷蔵庫をあさった。

 写真は、全て自家製の食材を使った愛情(食材への)一杯の豪華料理。
 といってもかなりめんどくさがりなので、至ってシンプルなメニューです。

 1、トマト煮込みカレー・・・トマトの他に丸茄子、ズッキーニ、オクラ、ジャガイモを煮込み、カレー粉少々で
                 仕上げ。玄米ご飯も自家製
 2、インゲンとオクラのマヨネーズ和え・・・インゲン、オクラをさっと茹でてマヨネーズ、醤油(自家製じゃな
                          い)で和える、上からかつお節(これも)。
 3、もろきゅう・・・自家製味噌と朝採れキュウリ。
 4、丸茄子焼き・・・丸茄子とニンニクを少量の油(これも違うか)をひいたフライパンで炒め(焼き)仕上げ
            に醤油。
 5、万願寺唐辛子焼き・・・素焼き、仕上げに醤油。
 6、大五郎水割り・・・今年の冬はドブロク絶対作ろう。
 
  ・・いやかなり旨かったですよ。

豪華ディナー
2006年8月21日(月)
不惑―8月


 前に、夏至のある6月を人間に例えると二十歳(はたち)だと書いた。
 そして8月の今頃は、40歳だな、と思う。

 40歳を不惑という.。惑う(まどう)ことがないそうだ。
 
 畑では作物達、そして草達も成熟し、ひたすらに次世代への種をこさえている。

 まだ小さな苗だった頃、栽培夫が変わり者だったばっかりに、戸惑い、不安そうに見えた彼らが,いつか意を決し、それぞれの命を全うしていく様に、胸を熱くさせられる。
 
 後戻りは出来ない。もうこのまま押し切ってしまおう。
 金が無ければほかに仕事をすれば良い。

 8月(40歳)働き盛り。農作業が佳境を迎えたこの時期に、山の林道草刈りのバイト毎日2キロ。睡眠4時間。

 「何やってんだ身体ばかりいじめて!」
 炎天下、草の中身をうずめ、発芽もまばらな人参の草取りをしてると、朦朧とした意識を打ち破るヤジが聞こえてきた。

 笑いたければ笑えば良い。まだ僕は不惑の年まで3年あるけど、今迷ってはいられない。

9月、10月、11月。そして12月(80歳)を向かえたとき、どのように振り返るだろう。そして天上(1月)でどう消化して、また(2月・立春)降り立つのだろう。

人参草取り
2006年8月20日(日)
農園見学


  農学校生が二人、畑の見学にやってきた。見学者なんて初めてなので、どうしていいかわからずまごついてしまった。
 ここの生徒達は、毎日いろいろな農園の見学やお手伝いを通して、自分の視野を広げ、模索しながら就農の準備を進めているそうだ。

 「それじゃあ、」
 この時とばかりジャガイモ(レッドムーン)の収穫を手伝ってもらう。作業慣れしているようで動きはすばやく、的確で有難かった。
 そして肥えた目を持っている彼らは「小さいジャガイモ、ジャガイモ小さい、ちいさい・・・」と言っていた。きっとかなり小さいんだろう。・・・僕は作ったことないな、大きなイモ。

 ・・彼らには気の毒だったと思う。
 自然農の良さ、本来のところを伝えられる次元に、まず僕自身が達していないことで、余り良い話も出来なかった・・・。

 
  普通に就農を考える時、選択肢の中に自然農は含まれるのだろうか。
 ”なかなか大変ですよ”と伝えておいた。(見ればわかることだが)
 
 何か印象に残ったことはあっただろうか。畑で一人忙しがり、”カップヌードル”を立ち食いする”自然農園”の主が彼らの目にどう映っただろうか。

 

レッドムーン収穫
2006年8月3日(木)
究極の選択


 写真は白樺ファーム(「自然農のこと」の頁参照)で栽培中の八丈オクラ。
 間引きをせず、2本でここまで育っているのをみると”このままでいいかも”と思いながら (実際2本で育てている人もいる)、でもやはり、間引くことにした。

 左側の方が生育はいいが右側の茎ががっちりしている・・・葉色はどうか・・・  ・・・・・
 間引きは少し苦手。どうも思い切れない。大概良い株どうし、わるい株どうし並んでいるんだよな、これが。

 胸が痛んだが結局左のを間引いた・・・。  きっと東側から日が当たるようになり良く育つだろう。

 心配してた”いちおし野菜”八丈オクラだけど、この分だとお盆ぐらいから出荷できそう。
 
 ということで「予約販売」受付開始しました。

間引き
2006年8月1日(火)
よもぎパワー


 鋸鎌で草を刈っていて、又いつものように指先をジャリっと切ってしまった。
 いつもの処置は
,「ひたすら唾をつけ続け、痛みに耐えて作業する」。 これで大体15分で血が止まり、痛みもひいていくけど、今日は目の前のよもぎが目に留まった。
 薬効にすぐれたよもぎには、止血の効果もあると確か聞いたことがあった。
 
 その場でよもぎをもみつぶして、滲み出てきた汁を傷口につけた。
 「全然しみないんだなぁ」なんて思っているうちに血が止まり、痛みもひいてしまった。
 これには驚いた。
 傷が一瞬で全快したことと、すごい事を知ったという喜びで思わず顔がほころんだ。

よもぎ
2006年7月30日(日)
花火大会


 地元東御市の花火大会に家族で出かけた。打ち上げ場所のすぐそば、特等席に陣取ってゆっくり楽しむはずが、娘が大泣きして場所移動。
 未だ一歳の誕生日を迎えたばかりではむりもないかな。それでも最後にはニコニコ笑って花火見上げてた。
 
 何ごとも経験!


花火
2006年7月28日(金)
晴れ渡る


 今日も雨の予報が大ハズレ!晴れました。
 これはもう梅雨明けですね!

 ウチから歩いて20秒の所にあるおいしいと評判のパン屋さんが、野菜の直売所も始めた。
 お話を伺うと、『生産者の想いのこもった』野菜を置きたいのだと言う。それならということで
ここぞとばかりPRして出荷させてもらうことになった。

 あかーくなーれ(トマトに語りかけた)
 
 それにしてもこの頃ワクワクするようなことがよくあるので、心も晴れ晴れするのです。

夕焼け
2006年7月27日(木)
自然の懐の中へ

 
 19日長野県で起こった土砂災害。 
 一瞬のうちに家を失った人、最愛の人を失った人、未だ避難所生活で苦しんでいる人達がすぐ近くにいるのに、自分の畑のほんの一部被害を受けたことぐらいで、大騒ぎしたことが今思えば恥ずかしい。

 動転していたせいだろう。流されたと思った野菜たち(トウモロコシ、サツマイモ、とうがらし)は実は土砂に埋まっていたのだった。翌日には半分以上救出できたのだ。しかも自然の土寄せ効果なのか、その後生育が良くなった気さえする。

 今日は何だか気分が良い・・・。

 通りがかりに
 「たいしたもんだに、こんな天候でも病気でんもんね。私なんて消毒しても病気だらけ」
と嬉しいことを言ってくれる人がいた。
 普段は無愛想な農家のおばさんだった。今まで挨拶してくれたこともなかったのに。

 自然の中で生きている。
何が起こるかわからない。いい事ばかりのわけがない。自然は大きすぎて、人の器の上を軽々飛び越えていく。

 そこが美学なのかもしれない。自然農の。
 人を超越した、そんな場所にいられることの幸せを噛みしめて・・・・・。

 今日は雨の予報だったのに晴れ。もしかして梅雨明け?明日も雨だというけど。
 昨日発表の3ヶ月予報では残暑が長引きそうだという。遅れている夏野菜にとってありがたい予報だ。でもこれも右から左へ流してしまおう。
 
 まあとにかく第3のビールで祝杯!(気分が良いことの)

万願寺とうがらし
2006年7月19日(水)
は、は、畑が!!

 
 のんきな朝だった。

 雨の上がったお昼前から休養十分元気いっぱい畑に飛び出して、そこで目にしたものは・・・

 畑が川になっている。
 こんなシーン、テレビの映像で見たことがある。
 ここはどこ?
 誰の畑?
 ・・・・・
 
「さ、さいがいだぁ!」

 僕は思わず叫んでいた。
 
 思えば彼らは、育苗中から過酷といえる環境の中を耐え抜いてきた、かわいい精鋭たち。そんな彼らが無残になぎたおされ、流されていく・・・。

 今日ばかりは悲しみの世界にどっぷりと浸かってしまった。 

水害
2006年7月18日(火)
雨続き

 
 今日で3日続けて雨。しかも大雨。田んぼのとなりの畑は水浸しだ。

 百姓を始めてから、こんなに雨が続いたことなかったから、野菜が病気にならないかとても気になる。

 あれほど降ってほしかった雨だけど、降りすぎると、又文句を言っている。

 お天道様に翻弄され、右往左往している。
 自然界の大きな手のひらの上で、コロコロと転がされてるみたいだ。

雨模様
2006年7月15日(土)
ブレイク間近


 自家採種の大玉トマトと、3種類のミニトマトの生育が順調だ。

 ホームセンターで購入の大苗を、たっぷりの化学肥料で育てた、よそ様の肥大トマトと比べる必要はない。無理な生育をしたものは病害虫に弱く、農薬を使う必要もでてくるだろう。

 自然の太陽、雨、風の中、自分のペースを守り、ゆっくりと風味と栄養を蓄えて育ったトマトの収穫が近づいてきた。

トマト
2006年7月11日(火)
八丈オクラはどこだ・・・

 
 農園いちおしの品種「八丈オクラ」を20年以上放置されていた畑に蒔いた。

 去年の経験から自信満々の作付けだったけど、一月半経ってあまりの生育の遅さにいろいろと考えさせられる。
 そもそも僅かなキャリアしかない僕が、あんなにも自信に満ちていたのが今にしてみれば滑稽な気さえする・・・

 希望はまだ捨てない。
 確か去年も初期成長芳しくなかった。まあここまで遅くはなかったと思うけど。
 今年は雨も少なかったし・・・
 
 又、こんなことも考える・・・

 「こうすればうまくいく」とは限らない。これからうまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。
でもそれが自然に即した”農業”という仕事なのだ。
 そういうなかで家族を守り暮らしを育む。

 ・・・自分の器が問われている・・・

オクラほ場
2006年7月5日(水)
6月は・・・


  ここ2,3日、吹き抜ける風に秋の気配を感じる。

 手元が見えなくなって、車にもどり、時計を見るとまだ7時半になっていなかった。
 怒涛の一ヶ月が過ぎて、今日の冷たい雨が胸にしみた。

 今年の梅雨は雨があまり降らず、おかげで(良かったのかどうか)ほぼ毎日、畑で日の出と日没を迎えた。
 4時半から7時半まで15時間の間。畑、田んぼでの作業の他に、仕事をもらって田100枚以上の畦草を刈った。それから引越しがあった。
 やることが次々に迫ってくる。夜明けまで残り9時間。時間と競争してるみたいだ。僕の帰宅を待って夕食準備、僕は子守に回り、入浴等。ご飯を食べてあと7時間。もう意地だ。明日も暗いうちに出掛けるぞ!


 今月は、パソコンを開くことがほとんど出来なかった。家族皆へとへとになった。娘は生まれて初めて高熱を出した。僕がワガママで百姓になったことがすべての原因だ、と自分を責めた。

 一番太陽の高い夏至のある6月は、人間に例えると二十歳だ。
 晴れ渡るわけではない。まだ確かな実りが在るわけではないけれどやっぱりピークだ。

  若かった頃を思い返すように、夏至の太陽をしんみりと懐かしむ。

夏至の太陽

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