月: 2012年3月
歩み
優芽は卒園、腰痛は卒業、天気も上々。
入園式を心待ちにする娘同様、うきうき気分の久し振りの野良仕事だったが、自己コントロールを心掛けた。1番気をつけることは悪い癖”焦り”を抑えること。
ここでもう1度ギックリやったら元も子もないので、作業の遅れは頭から振り払い、追い詰めることなくらく~な作業に専心する。心を洗うようなつもりで、また散らかり始めた各所の片付けからやることにした。
適度な高揚感を保ちつつ、手綱をがっちり引いて身体が悲鳴を上げない様に。
ふと思い出したら、3年前の今日はこの山での生活を開始した日。
優芽の入園も控えバタバタの引越し劇だった。
そのままバタバタとあっという間に3年経ち、ここで一区切りと考えてみれば、子も親もここでの暮らしに慣れてきた、そんな手ごたえはある。
気分を一新して、さて次の歩みへ。
回復2
回復は少しづつ少しづつだな・・・ まあ歳も歳か・・・。
結局温泉行きの企画実現に至らず、昨日は優芽のお迎えもパパ友に頼んで1日寝て過ごしました。
パソコンの前には座れたものの、歩行は相当困難だったので、思いつきは良かったですが、なんのこたぁない、無理というもんでした。
そして今日は2週間前に脱輪で行かれなかった子供サッカー教室の最終日、這ってでも連れて行かないと、と思っていたら、少しは歩けるようになり、車も運転できた。無事到着!良かった良かった。
回復といえば、優芽の百日咳も、1月以上続いた激しい咳が、ようやく治まってきた。心配してくださった方には感謝いたします。
優芽はそのまま土曜日保育に行ってもらって、さてさて、無理は禁物だが、少しづつでも仕事せんと。蒔かんとあかん。
回復
腰痛悪化しどうなることかと思っていました。
ようやくパソコンの前に座れるところまで回復しました。
なってみると思うのですが、やはりなんとしても避けたいものです、ぎっくり腰。
いずれ直るとは分かっていても、身動き1つままならないというのはなんとも・・・。
ゆうべはサンキュー(フォークッキング)
お陰様でだいぶ良くなった。卒園式も何とか行かれそうだよ。
外は激しい雨。
思いついてしまった
温泉へ行こう!5分ぐらいなら運転できそうだ。
けなげな娘と仕事する妻に少し後ろめたいが。許せ。
へへ、明日からしっかり仕事するためだぜー
ぎっくり腰 センチに
大体1年に3,4回は覚悟しているが、今年はもう2回目。さてあと1,2回で済んでくれるか。
今朝の冷え込みを避けるため、念の為自宅に運び込んだ苗をハウスに運び込んだ際発症。
その場で10分程座り込み、ああこれで3日ダメだな、と思う。
面倒くささに負けず、動くことを厭わずの精神で頑張ろうと思って今シーズンのスタートを切ったが、こんなことでは・・・ この突然の”ずずずず!!だけは防ぐすべがなく、かなり落ち込む。
夕方文字通り這ってハウスを閉めに行ったが万全の防寒対策をとるための作業はとても出来なかった。明日の冷え込みが少しは加減してくれることを祈るのみ。
大体うちで1人留守番の日にぎっくり腰になる。
1人で過ごす今日明日は溜まった仕事を一気にこなせる予定だっただけに残念。1人で嬉しいと思っていたら、こうなってみると哀しい。
何とかご飯を炊き卵をかけて食べた。テレビをかけたら懐メロ系の歌番組だった。
何故か引き込まれ声を出して歌う。歌いながら30年ぐらい前のことを思い出していた。両親がテレビにかじりついて歌番組の演歌ににあわせ大きな声で歌っていた情景。時に涙を流しながら・・・。
番組は彼岸の中日にちなんでか少し感傷的な演出だった。
谷村しんじが娘と出てきた。随分年を取ったように見える。
30年前当時と同様14型テレビに室内アンテナ、小さな画面に食い入るように見つめる。
いい日旅立ち 2人でデュエット。一緒に僕も大きな声で歌った。そして涙が出る。不思議だがいろんな思いがこみあげてしまった。30歳違いの親父が30年前に流していた涙はこれだったんだな。
ダンボールコンポスト
ここ東御市では基材を無料提供し講習会を定期的に開催するなど普及に力を入れています。
先日僕も行ってきましたが作り方は簡単。腐葉土、ピートモス、米ぬかを4,1,1の割合でダンボールの中で混ぜ合わせたものが床です。そこに生ゴミを投入したら米ぬか1つまみかけて攪拌する。ポイントはよく攪拌すること、水分量の管理(握ると固りつつくと崩れる位)。
僕の場合、庭のプラスチックの大きなコンポストはいつからか休業状態、畑に持っていくことが多かったが、なんだかカラスを飼っているような気もしていた。手軽さとコンパクトな点でこのコンポストが気に入っているので忙しくなっても続けられればと思う。劣化の早いダンボールは時々交換することになるが3割程度種床を移せば継続していけるとのこと。
使い古しのダンボールは可燃ごみですか?と鋭い質問が飛んだが、間髪いれず、畑に入れてください。と講師の回答、感心して笑った。
可燃ごみの約半分は生ゴミであり、生ゴミの90%は水分ということで、焼却施設のエネルギーは主に水分蒸発に費やされる。東御の施設だけで1年に約1400万t(kだったかな)の重油が投入される。ということだから、ここは省エネ社会実現に向けては重要項目です。
寒気暖光
ピリっとくるような冷気。
寒さは真冬並みだった。
でも快晴で気持ちが良い。陽の光というのは偉大なもの、陽射しの強さは春の到来を告げているようでうきうきそわそわさせてくれる。
あれほど積もっていたのに陽当たりのよい所から雪はもう融けてきて・・・・・蕗の薹がついに顔を見せた。おお春
また明日も寒いぞぉ~!浮かれてはいられないのだ。予報ではー9度まで冷え込むとのこと。
踏み込み温床の上の苗の赤ちゃんたちに防寒。これでもかこれでもか、ビニール2枚不繊布2枚ドンゴロス、土嚢袋、ダンボール、とかけて、それでもなんだか落ち着かないな。
三寒四温
また冷え込みました。3日ほど続くということ。
雪は降っても気温の高い日が数日続いていましたが・・・。苗の管理やはり難しい。
”三寒四温”ですね。これからこの繰り返しで春に向かっていきます。
雪遊び
大雪が積もった畑の様子。
何かをここでしようというのはまだ大分先になりそうな感じです。
うちのそば、傾斜地の畑はゲレンデのようになっていてここではソリ遊びをします。
かみ雪2012
昨日の午後から降り続くボタ雪。こういう雪をここらではかみ雪という。
朝雪景色を見ながら思う。毎年の気象の傾向というものはかなり似通っているものだ。昨年は→
うちの周辺の竹林は水分たっぷりの思い雪に押しつぶされ道路に覆いかぶさってしまっている。
そんな中、かみさんが仕事に出かけるとあって、鋸で道路の半分は通れるように竹の先を切り落とした。
あとで思ったが、もっと頑張って元の方から切り落とすんだった・・・。
さて下の写真はかみさん出勤後撮影。轍は結構道路すれすれである。右側3メートル程下は畑、脱輪すればそこに転落してしまう。死ぬ可能性は低いと思うが、相当のダメージだろう。
優芽の咳は相変らずだが、今日は地域のサッカー教室の日。
せっかく良く寝ているのを起こしてまで連れて行くこともないかと思っていたら、目を覚ましたのは教室開始の40分前。激しく咳き込みながら「絶対行く!」と譲らない。そんなに言うなら一応連れて行ってあんまりひどければやめればいいか。
ただ時間が問題。車で普通の条件で12,3分位かかるところ、こんな日だから20分以上かかるかもしれぬ。
遅れてもしょうがない、とは思ったが、やはりどこかで気が焦っていたのだな・・・。
そして、
ああ脱輪!!思い出してもぞっとする。
しかし幸運なことに落ちたタイヤは高く積んである藁の上にに着地。車体はおよそ45度に傾いたが止まった。
やれやれ、脱出。
大雪の中苦闘1時間、車の引き上げに尽力してくださり、助けてくださった方々に、ただただ感謝。そして反省・・・
「あわてて良いことなんてないんだよ!」マイペースを絵に書いたような優芽に怒られ続け、返す言葉もない。
ラストガーデン2012
2011は→。
件数は同じなので、畑仕事も出荷作業もないのに、この冬いかに仕事をしなかったか、ということが明白だ。
まあ、この植木屋の仕事もやれるうちは続けよう。
いずれ頼まれなくなる日が来る。・・・僕のお客さんの約半数は80歳代~のお年寄りで、その子供もいるのだが、大抵は無関心或いは植木を邪魔と思っている。
今日の家の婿さんは、ばあさん死んだらすぐ駐車場にするぞ。なんて言っている。とおばあさん切なげな顔でこぼす。だから私が死ぬまでの間だけど、それまでは毎年お願いするわね・・・。
時代が大きく変わった。木を植えて我が家に庭園を築き、それを縁側から眺めながらお茶をゆっくりすする・・・そんな情景が幸福だという価値観は今ではなかなか持ち得ない。今のお年寄りの子の世代は特にバリバリ社会生活の中心にいる中でそういう気持ちは生まれにくいかもしれない。
それはまあ仕方がないこと。
1年ぶりに庭と施主に再会する。
1年という時間はお年寄りには大きい。元気に歩いていた足は引きずるようになりテンポは遅く、腰の曲がりは明らかに大きくなり、顔の印象もやはり違っている(これはお互いさまかも)。話をすると、2度ほど倒れ、大怪我もし、何ヶ月も入院をしていたらしい。もうだめさ、と言うのを励ます。
人の身に、庭の木々の身にもいつ何が起るのか、それは誰にも予測が出来ない。
そんな中でこうして1年に1回、これからも毎年また無事に会えるなら、それはなんだか凄いことに思えてくるのだ。
そしてそれは、毎週や隔週、定期的に野菜を送らせていただいている方々との関係も似ている。
僕の身に、皆様の身に、野菜の身に、取り巻く状況に、変わりなく、いや日々変化しながらも関係を続けていけることはとっても凄いことだと思う。
・・・畑では、凍みがようやく緩みほうれん草の緑も目に付くようになってきました。
来週辺りから、送れたら・・・と思っています。
これからもまた宜しくお願いいたします。
感性が導く
優芽の激しい咳が1週間以上続き、いたたまれず病院に連れて行く。
百日咳かマイコプラズマ、という診断で薬を処方してもらう。
我が子が間近で苦しむ姿を見ているのは何より辛いものだ・・・少し前にかみさんが仕事を始めたのでこの冬は、かなり優芽と過ごしている。仕事よりも間違いなく長い時間遊び食事をし看病する・・・
これまで彼女は薬を飲んだことがない。おっぱい5歳まで飲み、うちのやさいバリバリ食べてバッチリ健康でここまできた。
「予防接種の効力の切れる頃だから百日咳かも・・・」とドクターが言うのを聞いて、予防接種してないし、そうかもしれない、と思った。「薬飲まなくてもいつか直るものすよね」と一応聞く。深刻な病気ではないかどうかの確認だ。
「百日咳なら1月以上はかかるよ、きっと」ということ。それもそうだ、百日咳だけに・・・
実は僕の中では頑なな薬害に対するこだわりは昨年の痛風発作の時からなくなっている。
そして、自分ならまだいいが、愛娘の苦しみを見る辛さ、看病に1日費やすことで仕事が出来ないことの焦りもあって、とにかく早く薬を飲ませようと思った。
「きっと明日は楽になる、頑張って飲んでくれ」
嫌がるかと思ったが、素直に飲んでくれた。それ程苦しかったんだろう。
ところが、抗生物質2錠、咳止め1錠の計3錠を飲んだというのに翌日も症状は変わらない。
優芽は言った。
「薬はもう飲まないよ 薬飲むなら咳してる方がいい このぐらいの苦しさ全然がまんできるよ」
自分で思ってそう言うのだ。
その毅然とした言葉に少し驚いたが、同時に強い安心感が湧いてくる。
きっと何かを感じている、そしてそれはポジティブな発想である。もうこちらがなんやかやと世話焼くこともない。
「少し仕事してくるよ」と言い残し、出かける。
その間に娘が何をしていたか、というと物語を描いたのである。家族でやるための人形劇用に物語を500字余、咳にむせながら書いていたに違いない。
夜家族揃い、演じる感動巨編。その間不思議と咳はピタッと止まっていた。
きっとこの頃、我が家周辺には相当量の”気”で充満していたものと思われる。
そして今日、相変らず優芽の咳は激しいが保育園に行った。ドクターからは「本人の気力次第で行けばいい」と言われていたのだ。心配は無用だろう。
春を迎えて
一昨日大雪が降り、昨日は暖かい春の陽気、そして今日は小雨そして肌寒い。
春先というのはいつもこんな感じだったかもしれない。
種は色々蒔き始めていて、発芽してきたものもある。
今年は播種時期が早いかというと実はそうでもなくて、例年と同じか遅いぐらいのものもある。寒かったために錯覚してしまうが、もう3月に入っているのだから。
播種開始時期の問題はまた今年の結果を踏まえて後から考えることにしよう。すでにインプレー、対応を続けていくだけだ。
これからの1月2月の育苗期間に失敗を重ねてしまうのがいつものパターンだが、今年は進歩したい。職人の意識を持ってやり遂げたい。
そして1番の問題はこのあたりの言葉でいうところの”ズク”である。「面倒くさい」という気持ちに負けずあと1手間を費やすそのエネルギーを持ちたい。
感じること考えることはもちろん大事、だが”ズク”が足りなければきっと同じ失敗を繰り返してしまう。
1年に1度の健診の結果をみる。ああ中性脂肪の数値とか上がってて情けない。そんな場合じゃあない。まけたくないなぁバリバリ動くぞぉ!