月: 2019年5月
草の中は
涼しそうだ菜
草の中で
美味しい山づくり17年
50aの山林を管理するようになって17年
毎年この時期に1回除伐に入る
当初に思い描いたようにはいかない・・・好きな木、食べられるもののなる木や野草ばかりがある山にと願ったものの、やはり自然をコントロールしようなんて邪道なのだと実感するに至っているが・・・それでもある程度叶っているともいえなくない
このひと月程「旬のセット」は山菜メインのセットだった
そしてその大半はこの山で採取した
かつては遠くの群生地までよく出かけたものだが今では必要がなくなった
さてさて、作業も今では慣れたもので50aの除伐を2時間余りで完了
大雑把に、と丁寧に、のメリハリつけて・・・
こういう小さなハリギリの芽なんかを間違って刈らないように、大事に大事に・・・
山のなか
ああ快適な五月晴れ
空気爽やか
蚊もまだいない
待望の雨後の・・・3
強度自慢
エンドウ、後キュウリの支柱には3年前から使いまわしの古い細竹を使ったが、組みかたの工夫次第である程度の強度は保てる
下のほうは昨年の茄子の残渣を利用してすぐに立ち上がれるようにした
毎年ただただ手探りのアドリブプレイを繰り返しているだけだけど、少しはそれなりにコツのようなものつかんできた気もする
趣味
待望の雨後の・・・2
定植作業
ハイピッチで
あっ!
根が切れた
セルトレイから
不用意に引き抜いたとき・・・
そしてまもなく屍となっていく黒もちトウモロコシの芽
思わず口に含んだ
儚いなぁ・・・
命は儚い
こんな時プクやコロが死体となった瞬間に重なってみえる
先週の遅霜でインゲンやズッキーニの苗が枯死したときもそうだった
最近はそんな儚さを草を引き抜いた時にも感じてしまう・・・
がしかし、そんな感情もほどほどにしておきたいのだ
落ち着いて見渡してみれば、辺りは生きている体と死んでいく体が埋め尽くしている
生か死、2つに1つ
生きている者同士でつながっていたいといっても
死体はあまりに身近で
生体を動かし支えそして生かしている
いずれは誰でもそっち側に行く
それも本当は命の連鎖の小さな1つの出来事に過ぎない・・・
コロが僕の中にいる
それは細胞であり魂である
何かと焦りがちで生きてる僕はダメな奴
もう1人の自分(コロ)は必ず待ったをかけてくれるが
それを振り切ってまで植えたのが先週死んだインゲンズッキーニだった
自然を学ぶこと、順応すること、対応すること
それだけでいいとコロは言う
翼をゆっくりと手に変化させていたことに
気づかなかった僕を
優しいコロは責めないが
この先すこしでも自然体で生きられるように
添い遂げてくれるという