2006年7月〜12月の日記>>
2006年6月30日(金)
ブタクサアレルギー


 栃木から、引っ越し祝いといって孫に会いに来た親父を連れ出して、畑の草刈を手伝ってもらった。そのかいあって、草しか見えなかったところが、見事な赤ジャガイモ畑に変貌した。今年は期待できます”レッドムーン”

 途中親父は、何度か喘息の発作を起こして最後には倒れてしまった。ブタクサの群生する畑での作業で、アレルギー反応を起こしたらしい。

 ・・・”自然農”の畑は手ごわいのだ。

赤ジャガイモ
2006年6月24日(土)
今年の作付け品種

  これまでに作付けしたもの
 
 一寸そらまめ、スナックエンドウ、マンズナルインゲン、黒船えだまめ、信州青大豆、丹波黒大豆、落花生、アスパラメリーワシントン、ルッコラ、葉取り用そば、ほうれんそう味緑、ラディッシュさくらんぼ、フレンチブレックファースト、おたふく春菊、ズッキーニダイナー、オーラム、ココゼリ、ロンドデニース、岩槻葱、松本一本葱、小松菜わかみ、大葉青ジソ、みわくのコーン、黒もちとうもろこし、モロヘイヤ、小布施丸茄子、万願寺甘とう、アロイトマト、ワーンミニトマト、レッドペアトマト、アイコ、きゅうり上高地、あばしゴーヤ、まくわうり金太郎、スイートダンプリングカボチャ、かちわりカボチャ、紅東、パープルスイートロード、レッドムーン、十勝こがね、八丈オクラ、スターオブデイビット、サトイモ土垂、すいかシュガーベイビー、レタスL1,4,6、金ごま、コシヒカリ、朝紫  50品種

  これから作付ける予定のもの

 ブロッコリードシコ、渡辺成功キャベツ、筑摩野五寸人参、白人参グリーンカラー、木曽紫カブ、豊葉ほうれん草、支那青大根、信州地大根、大蔵大根、ロメインレタス、ターサイ緑彩2号、水菜、にんにく、ルッコラ、小松菜わかみ、おたふく春菊   
18品種(3品種は重複)

  種を採るので F1(一代交配種)は、なるべく作らない
インゲン、丸ズッキーニ(ロンドデニース)、青大豆、黒大豆、落花生、ルッコラ、青ジソ、黒もちとうもろこし、モロヘイヤ、アロイトマト、ワーンミニトマト、あばしゴーヤ、紅東、紫芋(パープルスイートロード)、八丈オクラ、リーフレタスL4、コシヒカリ、黒米(朝紫)、筑摩野五寸人参、地大根、にんにく、ルッコラ は去年採った種から作っています。
 
  ボチボチ夏野菜の収穫が始まりました。
黒もちとうもろこし
2006年6月8日(木)
小屋解体


 大切な足踏み脱穀機と唐箕のために、廃物を利用して即席で作った物置小屋が、大家さんの目に付き、鼻に付き、癇に障り、「あの乞食小屋すぐ壊せ!」の一言から大急ぎバラすことになった。
 
「なんてことをしてくれたんだ。あんなもの作って、イメージ丸つぶれだ!・・と言うのは冗談だが・・・」とキツい冗談。”確かに乞食小屋だなぁ”と返す言葉がなかった。
 で、脱穀機、唐箕は、畑の方の乞食小屋に移動の運びとあいなりました。

乞食小屋
2006年6月2日(金)
オクラ支柱


 昨年上出来だったオクラを片付けずに残しておいて、唐辛子と茄子の支柱に利用する。 
 やや弱々しい苗達を植えながら"この木にあやかって立派に育てよ"と願う。

 "根が腐る時、ガスが生じて良くない"
  "分解するのに土の窒素分が奪われる"
 とかで、きれいに根こそぎ取り去って耕し、おまけに焼き払われるのが普通みたいだけど、根の分解は微生物の活性化。長い目で見ると、命の連鎖を絶ち切らなければ土は豊かになってゆく。自然に朽ちるに任せるのが良い。
 
 自然の営みに沿っていく時、アイデアがたくさん隠れているはず。
 感性を磨いていこう。

オクラ支柱
2006年6月1日(木)
今日から6月


 6月というと”夏至の月”と真っ先に思う。
 夏至を過ぎると日は短くなり始める。

 そのなんともいえない物悲しさ。まだ夏もこれからなのに、大嫌いな冬の足音が遠くに聞こえ始める日。夏至は,1年で一番嫌いな日だ。
 
 蒸し暑いからとか雨が多いからではない。夏至のある6月は好きじゃない。

飛行機雲
2006年5月29日(月)
白樺ファームは今


 写真は「自然農のこと」のページにある白樺ファームです。この畑の象徴、白樺の木が折れてしまいました。
 鬱蒼としたジャングルの様だった隣の土地がいつの間にか空き地になったので、風がまともに直撃します。
 
 ほんのしばらく来なかっただけで、随分草だらけになりました。さすが土が肥えている様です。

 今日はここに去年直売所で大好評(?)だった八丈オクラを蒔きました。もちろん無肥料です。
 有機物の腐植たっぷりの土は十分肥えているのがわかりますが、木の根やカヤの株が邪魔してなかなか作業がはかどりませんでした。

  前年まで耕していた所では、豊かな土地に戻るのに3年以上かかると言いますが、ここの様に30年放置されていた所では、ちゃんと栽培管理するのにやっぱり3年かかるかなぁ、と感じました。

白樺折れた
2006年5月26日(金)
山菜採り終了


 写真がなくて残念だが、番(つが)いの雉(きじ)が我が畑内をお散歩。ゆっくりと、楽しくじゃれあいながら。
 こんな光景普通無いよなあ、と思うと何故か胸が熱くなった。
  
 一ヶ月ほぼ毎日山菜採りを続けてきたけど、自分が種を蒔き、責任を持って育てるべき苗たちがずいぶん待ちくたびれている様子。もう全精力をこちらへ向けないといけない。農繁期が来た!

 コシアブラ、ワラビ、ウド・・・採れる山菜はまだいくらでもある。
 山で繰り広げられる生態系、その恵みである山菜は無限、と思えるほど豊かだった。 

  僕の畑は、山がお手本なんだ。畑の生態系が少しでも大きなものになるように、環境づくりをしていきたい。そしてその中で栽培がうまくできるように。

山菜の宝庫
2006年5月25日(木)
目に見える形

 
 「とれるかい」
 自家採りの種を育苗したトマトを植えていると通りすがりのおじさんが、声をかけてきた。
 (そんな栽培の仕方でちゃんと野菜が出来るのか?いや出来る訳がない)大体そんな意味のようだ。
 話しかけてくれるこのおじさんは良い。草だらけの畑の横を顔をしかめて走り過ぎる人 、苦笑いを浮かべていく人、いろいろだ。

 なぜだろうか?それは、僕の農業がまだ邪道だから、道として認められるものではないから・・・。

 自給自足や自然農が最近、都市部の人を巻き込み、ちょっとしたブームになっている。そのイメージは非常に魅力的なものだ。

 一言で言って、都会の人は頭が先行する。ロマンチストだ。宇宙人に近い。
 
 田舎の人は目に見えるもので判断する。リアリストだ。動物に近い。
 
 僕は著しく前者の傾向があった。僕は抽象画を描くのが好きだった。
 僕は後者になろうと田舎に来たのだった。
 
 今この田舎で、現実主義者のカミさんにも鍛えられて、大分地に足がついてきた。
 僕は”孫の代まできれいな空気を残そう”と無農薬野菜を作っているのではない。自分や家族の暮らしの為だ。暮らせないならやめなきゃいけない。


 ところで川口さんは田舎の人だ。
 専業農家の柱として、健康を損ねたために農薬をやめ、肥料をやめても成果がなくては、生きて行けなかった。
 最初はまるで収穫できず、周りからも白い目で見られたようだが、自分を貫き、3年後には、しっかりと成果を現した
 
 生きるための自然農。そこの気概が必要なんだ。
 あのすばらしい考え方は、結果の後からついてきたものだ。結果を伴った思想にはオーラがある。 そこに惹きつけられるのだ。

 人と違うことをするには、精神的にタフじゃないといけない。 
 
 「ちゃんととれますよ」ハッキリと言った。
 この畑は今年3年目。不安はあるが、自信もある。
 後は大きな願望を込めて・・・。


 

川口さんサイン
2006年5月18日(木)
じゃがいも発芽


 昨年同様,植え付けから一月たち,ようやく赤じゃがいも(レッドムーン)の発芽が草の中に揃ってきました。
 ほんのり甘いこの晩生種の収穫は、おそらく8月に入ってから。

レッドムーン発芽
2006年5月12日(金)
さといも植え付け

 芽出ししたサトイモを葉そばの間に植える。もぐらの穴だらけのところだったが、構わずに植えた。
 ちゃんと採れるかな?はたして・・・

さといも植え付け
2006年5月10日(水)
田舎暮らし


 東京で暮らしていた頃、「田舎暮らしの本」をよく読んでいた。ユートピアを夢見るような漠然とした憧れからだった。 
 
 嘗て消費ばかりの生活に飽き足らず、僕は,自給に興味を持つと、,川をさかのぼり源流にたどり着いた。
 山は生命を育む。自然の恵みをその入り口で授かることが出来る。水の恩恵、空気の恩恵・・・。ここはすべての源流なのだ。
 
 このところ毎日のように山菜採り。自給の域を出て、下の人(消費者)に山の幸を供給することでお金を得て、どうにか食いつなごうとしている。
 それは、「田舎暮らしの本」を読んで思い描くような、(受身の)幸せではない。ここでは、どんどん動かなくては何もはじまらない。

 最近になって気付いた事がある。それは、人間の歴史の尊さについてである。
 
 人間が誕生し、人口が増加すると社会が生まれた。先人の努力は人々を栄えさせてきた。
 生きるため、山を歩いた。山に道が出来た。命の糧が皆に行き届くよう、道を作った。水道を作った。線路と電車を作った。車を作った。飛行機が飛んだ。電気、電話、ガス・・・・・ダム、耕運機、農薬・・・・・・コンピューター。
 
 より良く生きるため、社会が必要とし、作ってきたのである。過去に敬意を払い、感謝しつつ、僕等は新しいページを加えればいいのではないだろうか。
 
 すべての源流と言ったこの田舎を維持管理していくことの大事さ、大変さが本には載っていなかった・・・。
 
 今まで、あまり積極的ではなかった地域の活動や行事にも、参加していこうかな、と考えている。

源流
2006年5月8日(月)
山からのおくりもの


 山を歩く人ならよく目にすると思う。おにだらとかあくだらとか呼ばれるハリギリの木の芽だ。
 
 
最初,これは食べられないといわれた。年配の人も皆、食べたことがないと口を揃えていた。このあたりでは、昔から決して食べなかったらしいこの山菜の天ぷらが、今、僕の大好物だ。タラノメよりこしあぶらに近い味。自分の山でたくさん採れるので、直売所にも出荷している。
 近いうちに、こしあぶらのように、はやるかもしれない。
 
 他に最近ハマッタものが、山みつばとミヤマイラクサだ。両方とも近くで欲しい時に欲しいだけ手に入る。
田舎に来なければ、間違なく知らずに終わっていた。 こんなにうまいもの・・・

 もっとも東京に居た7年前までは、タラノメの名さえ、聞いたことがなかったから。

  こっちで育っていないことで、いちいち感動できる幸せを噛みしめよう。

ハリギリの芽
2006年5月6日(土)
憩いの場所


 今日山へきたのは、出荷用の山菜を取りに来たのではなくて、人の居ないところでゆっくりと休む為。ここは人里近い里山だが、今きのこの時期を除けば、入る人はまずいないようだ。
 
 僕は、人がいないところの方が落ち着けて好きだ。

 3年前,この山を借りた頃、毎週休みのたびに来ては一人で遊んでいた。除伐,間伐をして随分陽が差すようになった。好きな木は残して自分好みの山を作っている。
 1600坪ある山林の片隅に簡易なテントをつくり、この中で火を起こしコーヒーを飲んだりもした。 
 
 当時のことを思い出したりしているうちに眠くなってきたので,落ち葉の降り積もったふかふかの土の上で、しばらくの間横になっていた。暑くなく、寒くなく
、蚊もいないし新緑が美しい。山は、一年でいちばんいい時期だ。
  世間は今ゴールデンウイークの真っ只中。僕もわずかの時間だが、良いリラックスタイムが過ごせた。

インディアンハウス
2006年5月3日(水)
よもぎ畑


 畑に発芽の具合を見に行った。種芋を植え付けた畑はずの畑は、見事なよもぎ畑になっていた。
 ふと見ると、発芽したインゲンの周りにも侵略を始めている。


 さて、このよもぎは今採りごろなのだ。モチグサと言われ昔から利用されてきたこの草を、うちでは天ぷらで食べたり、お茶にして味わっている。健康にとても良いそうだ。
 さっそくよもぎを摘み始めた。


 草とりも収穫をかねる。自然農の楽しさはこんなところにある。 
 

モチグサ
2006年5月2日(火)
雨の恩恵

 
 朝寝床で雨音を聞いて,そのまま起き上がらず9時まで寝続けた。
 育苗ハウスの温度管理を気にすることもない、懸案の葉物の発芽も進むだろう。
 
 のろのろと起きだして、体操とストレッチに時間をかける。

 呼吸がゆっくりと深い。コーヒーを2杯飲み、物思いにふける。
 
 こんな時間を時々持てれば良い。この雨によって、日頃の疲れが又リセットされる。

  
 今日は、こんなふうに自然の中で生かされている自分を感じた日だった。

雨模様
2006年4月27日(木)
福寿草


 熊が今にも現れそうな山奥の沢沿いに、福寿草が群生している。
 
 自然の環境を壊すようで少し気が引けたが、ちょっぴり間引かせてもらった。福寿草はその名からも縁起の良い山野草といわれる。
 何株かは自分の借りている山へ、残りは直売所に並ぶことに。

 ・・・自然の中のおいしいものや美しいものに、自然の生物である人間が、手を伸ばしても、それは許されることとしたい。
 山間の農村地に住むものとして,、都市生活者に向けてそういうものを伝えられること、届けられることは素晴らしい、と考えよう。

 気をつけるのは、お金にばかり気持ちが向いてしまうこと。そうなると人間、手に負えなくなるから・・・。

 僕は決してしないように。たらの二番芽や福寿草,根こそぎ取ったりすることは。

福寿草
2006年4月26日(水)
桜満開


 やっと満開になりました。こんなに遅くなったのは僕がこっちに来てから初めてのことです。
 このような気候で、苗の生育も遅れていますが、自然の流れに従いましょう。ピリピリすることないですね。
 
 今日は、畑からしばらくの間、お花見を楽しみました。

桜
2006年4月25日(火)
昼寝


 みのもんたの信条は確か「疲れた、忙しい、暑い、寒いを言わないこと」だ。 ぜひ見習いたい・・・。
 今日目が覚めた時から僕は、何度一人つぶやいただろう。「疲れた。疲れてる。疲れたなぁ。」情けないことで・・・。

 心臓がバクバク言っている。時々目眩がする。2週間で体重は4キロ減った。 

 早朝から野良仕事または最近は山歩き、そのまま朝飯抜き。下手すると昼も抜いて仕事してる。
作業を途中で止められないタチだし、夢中になってると腹もすかない、時間が惜しい気持ちもある。

 帰ってからは赤ちゃんのおもり。遅くなってから不器用なパソコン操作で日記を書き終えると、日付が変わっている・・・。
 愚痴ることは何もない。すべては自分が好きでやっていることなのに、この数日テンションが下がり始めている。

 僕はもう二十歳ではない。無茶できなくなったのは間違いのないことみたいだ。睡眠時間等まったく気にならなかった20代の頃には帰れないのだ。

 畑の移動中、運転していて睡魔に襲われ車を止めた。「少し休もう。昼寝しよう。」

 ・・・なにか見失っている。もう少し自分の身体を思いやれないものか。何でいつも追われたような感じになってしまうのか。そもそも何を考え、目的として農業を、自然農で始めているのか・・・。


 軽トラの座席に横たわるや否や意識は遠ざかり目が覚めたら1時間半も経過していた。
 ・・・午後の作業はすごく落ち着いた気持ちで取り掛かることが出来た。久々に地に足がついたような感じだった。
 
 今の時間が深夜12時15分。明日も朝は早い。

 ・・・昼寝しよう。明日も又、ゆっくり昼寝しよう。

まくら  
2006年4月22日(土)
蒔割り
 
 冬の間に、間伐した唐松を薪にする.玉切りして庭に運んであったので後は割るだけだけど結構な量があり、なかなか手を出せなかった。
 
 いざ始めてみればかなりの爽快感。今日も気温の低い日だったが、汗びしょりかいて結局、半日以上も斧(蒔割り)を振り回していた。

 安物の薪ストーブも重宝する。原油価格が上がり続ける中(石油資源が減っていく中)、燃料の自給もこれからは大切だ。
 
 とりあえず、今度の冬は薪をけちらずに、がんがん燃やす。
 
薪
2006年4月21日(金)
山菜の王様

 
 種まきが一段落したので、今日は1年ぶりの「王様狩り」に山へ向かう。
 このところの寒さであまり生育していないようで標高の低い山でも食べ頃のタラノメはごくわずかだった。
 去年も寒かった印象だが、今年はさらに3、4日遅れている。
 
 夕飯は早速、"初物"タラノメの天ぷら。

 近頃は風味の強いこしあぶらが人気だけどやっぱり重量感、歯ごたえで文句なしにタラノメが王様だ。

たらの芽
2006年4月20日(木)
苗作り

  
 苗半作という言葉がある。.苗の出来不出来で半分決まってしまうということらしい。と,すれば今年は先行き不安である。
 
 ホームセンターには早くも夏野菜の立派な苗が並び始めたが、ウチの自家採種トマトなどは、まだ双葉がちょろちょろ出た程度だ。
 
 おんぼろミニハウスで適切な温度管理など出来るはずもなく、今日も突然の強烈な日差しと僅かな油断で、ハウス内はあっというまに40度!。

 日が沈めば見る見るうちに10度を切ってしまう。温床もすでに冷たくなっていて実に温度差30℃以上。むしろよく生きていると感心する。
 
 四六時中ついていられず、歯がゆい思いをする。この寒冷気候の中で、自然農といっても育苗にはもっと力(お金?)をかけるべきかもしれない。

 自然農のこと、生活のことを又、考えている・・・

40℃
2006年4月19日(水)
春の味


 信州に来て7年、今ではセリのお浸しの味と香りに、本格的な春の訪れを感じるようになった。
 
 数年前セリを2株、田んぼの水路に植えておいたら見る見る増えて、今では採り放題、食べ放題。この時期我が家では、毎日このお浸しを食べる。
 時期が終われば田んぼのセリは、たちの悪い雑草なのだけど、いくらでもどんどん増えてほしいと真剣に思っている。

 
 信州に来る前はセリの存在も知らなかった。
 東京で生まれ育ち、30年過ごして、それなりに楽しんだけど、今このセリを採る時、食べる時、「自分は田舎が合ってるなぁ」と思うのだ。

せりのお浸し
2006年4月18日(火)
おはよう


 ラディッシュの蒔き溝を削っていたら、土の中から蛙が出てきました。深い眠りから起こされて、目をいっぱいに見開いています。でもこの後またすぐに眠ってしまったので、土の中に戻しておきました。

 今日から、おnewデジカメ登場しました!

蛙
2006年4月14日(金)
丁寧な仕事


 起こしたばかりの周りの畑の中にあって、早くも草だらけのうちの畑が、かなり目に付くようになってきた。
 よその畑はよく見えるというが、僕は草の中にみみずやてんとう虫がやたらと多い、自分の畑が大好きだ。

 畑では今、葉物を蒔いている。今年はかなり時間をかけて蒔いている。春まきの葉物は今まで散々だった。草の勢いづく春から夏にかけて葉物の栽培は、自然農ではひとつの難関なのだ。

 ひとつひとつ確実に。蒔き溝を整える。邪魔になる草は抜いてしまう。種を均等に蒔く。ふるって覆土する。しっかりと鎮圧する。今まで省いていたことだ。作業の進み方はゆっくりだが発芽率はかなり良くなると思う。

 つまらない仕事だったと思う。時間に追われたように。昨年まで極端な話、早く蒔き終わればそれで良かった。

 昨年の秋、川口さん(自然農の第一人者)の作業をはじめて見る機会があって、その丁寧な仕事ぶりを真似できればなぁと考えるようになった。作業面だけでなく精神的な部分でも。

 丁寧な仕事を意識すると、川口さんどころか、ものすごくのろくなってしまうのが僕の欠点だけど、それでも雑な仕事をするよりは、遅くても集中力の度合いが高いぶん前に進んで行けるような気がして、それを今年のテーマにしている。「とにかく丁寧に」

2006年4月10日(月)
観念より現実


 今日はリフトの搬器を降ろし。スキー場の仕事が終わった。
 
 明日からは晴れて専業農家。今後は自分の身体と頭をフルに使って生活に必要なもの(やっぱり1番は現金になるーそれが現実)を得ていくことになる。
 
 今年は作物に肥料を施そうと思う。
 米糠とおからをそれぞれ地元の精米屋さん豆腐屋さんからいただいて、薪ストーブの木灰と混ぜ発酵させて作ったボカシ肥が完成、今日袋詰めした。今気になるのはニンニクの生育具合。 
 
 畑では作物が毎日要求する。やがてその命をいただく日まで、その声を聞き出来るだけ満たしてやることが農夫の務めであろう。
 去年生まれたウチの子も、芽を出し始めたばかりのトマトも、同じように命を持ち生きているのである。

 躾というものがある。我慢させなきゃいけないこともあるかもしれない。でも野菜たちの要求は生きる為の命の声である。その純粋なものに僕は応えてやりたい。

 去年はそうしなかった・・・肥切れを起こした野菜を放置した。それが自然の姿だと納得してみていた。
 それは観念の世界の中での自然農だったと思う。


 勿論無肥料で見事に生育したものも多かった。.それは(自然農のこと)のページに載せた通り。が、まだ自然農に切り替えたばかりの畑ではやはり肥切れを起こす。

 種を蒔いた以上、命を健全に育てるのが親(農夫)の義務。頭の中にどんなにすばらしい観念の世界が広がっていようと、現実としてしっかりと命の繋がりを発展させていけないようでは親として失格である。
 四ヶ月間の日銭稼ぎを乗り切ったのも最後はその思いだった。
 現金収入はとても重要である。(もちろん足るを知った上で)
 
 苦しかったスキー場での仕事を、来シーズンは苦もなくこなせるようになりたい、というのが今の気持ち。
 と言っても目指すのは生涯通年一百姓・・・。その為にどうするか、それがライフワークになる。

 現実の世界にしっかり目を向けて・・・。
 

2006年4月4日(火)
経験

 
 整体に近づいたなんて喜んでいたのもつかの間、今度はぎっくり腰になってしまったのが日曜日(スキー場の氷をつるはしで砕いていて)。
 日曜の夜から月曜(昨日)まで立つこと座ることも困難だったのに、今日は車を運転して仕事に行き、夕方は畑に出て作業した。
 
 ぎっくり腰は三度目だ。前回の時より症状が軽かったということもあるがずいぶんと処し方が上手になったものだと思う。


 身体と駆け引きする。休むところ、痛みをおして動くところ、整体の教室で覚え自分なりに試行錯誤してきた腰痛体操をする。 身体の回復がそれに応じてくれることが嬉しい。身体と付き合うことを意識的にするようになってからは自分の身に起きることが糧になっていくのがわかる。
 
 時を経て若さが失われていくことと引き換えに、人は経験によって成長していく生き物だと思う。

 大事なことは、日々の暮らしの中で感性を大事にすること、分析すること、プラスに転化すること
 目指すべき道、目標を持ち屈しないこと。

2006年3月30日(木)
自然治癒力

 整体と出会ってから10年になるだろうか。初めは本で読んで。その後Iという先生の教室に通って。
 
 教室で“リンパ体操”というものを教わった。その体操を始めて3日目、長い間苦しんでいた慢性的な全身の痒みが消えた。
 痛みよりも辛いその痒みは、10年以上も通院し薬を飲み続けた悩みの種だった。
 
 今までの自分の人生の中で、もっとも大きな転換期であったことは間違いないだろう。
 以来、薬と名もつくものは一切飲んでいない。 
  
 生命について考えるようになった。生命という自然について…。
 そんな流れの中に自然農が飛び込んできた。
 
 膝が治った。あんなにめげていたのが恥ずかしくなる位あっさりと。
 
 今年は風邪が早く経過したように思う。1日か2日、短い時は数時間で。
 自然治癒力がついてきたような気がする。
 
 整体体操を10年間欠かさず続けた。
 “整体”というものにに少しでも近づけているのならば何より嬉しい。
 
 今日は小雪の舞う寒い1日だったが、ハリキって2つ目の温床作り、葉取り用そばの播種等。
2006年3月24日(金)
ヒザイタイ

 
 やっちまったなぁ。ドジなことに。
 まさかリフト係でケガをするなんて。動いているリフトの搬器(イス)と自分のひざが真正面からぶつかって、いわゆる逆間接の状態に。.
 
 ベ キッという音がしてしばらく動けないくらい痛かった。今は包帯でひざを固定して歩けることは歩けるが、靭帯痛めてるよなぁ。百姓の仕事にさしつかえるよなぁ、きっと。


  困ったことに大事な時にケガをするのは癖みたいだ。以前にもスキー場で転んでひざをやった。時も同じ3月末だった。その時は靭帯断裂の大怪我だった。ボクシングのデビューを控えた時期でその後練習を再開した時、左足は腕の太さと変わらなかった。その後辛いリハビリを経てやっとリングに立つことが出来た。だから僕はスポーツ選手がケガをした時どれだけ辛い思いをするかわかる。

  ……
 身体が資本という意味では百姓も同じだろう。機械に頼らないで農業をしようというのに早くも暗雲がたちこめてるよなぁ。

  暗い話ついでに。

 デジタルカメラがこわれてしまった。液晶画面が何かの拍子で割れたらしく、カメラ屋によると修理にはお金も時間もかかるとのこと。悪い事は重なるものだ。両方とも自分の不注意以外の何者でもないが…。
 …ということでしばらくの間写真なしの日記。

  
 ……今こうしてパソコンの前に座っていてもひざは痛み、いいことがひとつも思い浮かばない。今日はもう焼酎をあおって寝るしかない。

 

2006年3月21日(火)
越冬

 
 夕方、畑に寄って食材を調達する。
 
 昨年秋に蒔いて大きくならずに年を越したほうれん草や小松菜、にんにくの芽や葱、白菜、種取り用に植え替えたにんじん、大根等が力強く伸びてきた。

 このうちほうれん草を最近よく食べているが、これがとにかく甘い。
 
 信州の厳しい寒さの中でビニールトンネルやべたがけシートで覆われることもなく、ただ糖分を蓄えることで身を守ってきたほうれん草である。とうが立つまでの間、この極上の味が楽しめる。
 そのうちに小松菜や白菜の菜の花の蕾が食べられるだろう。これのサラダやお浸しが又いけるのだ。

 
 この作形がうまくいくとわかったので、葉物は今まで8〜9月蒔きだったが、今年は10月にもたくさん種を蒔こうと思う。これら極上の越冬野菜をたくさんの人の食卓に届けられたらいいな。


 寒いのが苦手な僕は毎年この時期になるとスイッチが入る。
 なんと今年は雪の中(スキー場)で越冬したのだ。余分に蓄えた糖分はこれから大急ぎでそぎ落とす。
 
 今日は春分の日。この日を境に昼の時間が夜の時間より長くなる。畑には春の草草が生い茂ってきた。農繁期はもうすぐそこまで来ている。

ほうれん草
2006年3月17日(金)
たからさがし


 今日は朝から物置作り。合間に自家採種の大玉とまとをトレーに蒔く。スキー場の仕事が休みの日、僕の動きはすばやい。

 
 先日地元の広報誌に載った「足踏み脱穀機と唐箕お譲り下さい」に思いのほか反響があり、連日たくさんの電話をいただいた。


  夕べかかってきたのは教育委員会の方からで、脱穀機と唐箕の他にも古い農具があるからぜひ
見に来てほしいという電話。なんでも民族資料館の閉館に伴いそのほとんどが破棄されるので、欲しいものは何でも持っていってもらいたいとのこと。ありがたい話だ。


  その部屋に入ると文字通りよだれが出た。あんなものからこんなもの…脱穀機と唐箕はもう入手済みだが、僕は古いものが大好きだ。宝箱のような部屋の中で物色を始めた。

 
 いろいろ欲しかったが…昔のものはすごい。何より重い。そしてかさばる。あれこれと迷った挙句、コレクションをする場所もないので実用的でないものはあきらめることにする。

 
 結局鍬を5本。後は鉄鍋とか小物を幾つかいただいて帰る。
 お礼を言うと先方からもお礼が帰ってくる。少しでも命が延びたものがあって嬉しいと。
 
  僕はいただいたものすべて心から大事にしようと誓う。同時に、ここにあるすべてものを次世代に残す役割が出来ないことが歯がゆかった。


 畑にもどって葉取り用のそばを、今年初めて露地に蒔く。

民芸具
2006年3月13日(月)
種まき

 今日は万願寺唐辛子の播種。昨年あまり良く出来なかった品種だが、時々現れる秀品を食べてみてかなり感動したものだ。15センチにもなる大きなしし唐だが、ほんのりと甘くやわらかい。

  種はたっぷり採っておいたが、昨年の不出来が頭にあり自信が持てないので購入した。
 同じ品種でも種になるまでの過程が重要なようなので、購入する種もなるべく自分と近い栽培をしているところから買うことにした。

  思えば僕自身、良い種を作ろうと頑張ったものだ。タバコをやめ、節酒を心がけた。

 
 今日蒔いた150余の種、蒔いたからにはしっかりと目をかけてやらなくちゃいけない。これも人間と一緒。
 そしてある程度成長したら、後は勝手に育っていくのに任せ手助けは最小限にとどめる。それが自然農、子育て、最善の道。
万願寺甘とう
2006年3月10日(金)
きのこ伏せこみ

 
 だいぶ寒さが緩んできたので、山にほだぎを持っていった。この山の辺りは野生の山菜やきのこ
がよく発生するところで、人の出入りも多いのだが、中には心無い人がいて、昨年の秋は椎茸を随分取られてしまった。今回は椎茸の他にくりたけとなめこを伏せこんだ。


 取ってくれといわんばかりだったほだぎの周りを紐で囲ってみると大分きのこのほ場らしくなった。これをくぐってまで取る人がいたらそれはどうしようもないけど。

 
 まだ少しだけど時々食卓に上るようになったきのこたち、毎年少しずつ増えていっていろんな人に分けられたらいいなあ。山育ちの採りたてきのこはびっくりする位うまいから。

きのこほ場
2006年3月5日(日)
農業はこれから…

 
 スキー場のリフト係は地元の百姓の集いの場。そこではいろんな話が耳に飛び込んでくる。…今日は野菜農家の話で…野菜の価格はこのところずっと低調で、昨年の収入は「たったの700万」だったらしい。
 農業収入が700万とは僕に言わせれば破格だが、その一方700万円経費がかかるので収支0なのだという。ほとほと嫌気がさしてきた、と。

  このような篤農家が今直面している野菜の値崩れ。
 農業の機械化、大量生産の図式が行き着いたのは、実は農業従事者の首を締め上げていくことに他ならなかったのではないか。そして後継者は、どんどん減っていく。

 
 一方で、 画一化された大量消費型の食文化は食べ物に対して敬意を持たない風潮を生んだ。そのことと最近の人の心と社会のすさみ方は無関係ではないと思う。今農業は
、方向転換の時期に来ている。
 
 重い気持ちを抱え、これから一年の重労働に向かうのはどんなにつらいものだろうか。
 それにひきかえ能天気にわくわくした気持ちで農繁期に備えている素人百姓の僕はしあわせものだなぁと思う。

 
 夕方山を下って、丸茄子とそらまめ(少しばかり)の種を蒔く。

温床
2006年3月3日(金)
ひな祭り

 
 今日は、娘の初節句。僕はスキー場の仕事も休み、珍しく家の中でゆっくりと。 かみさんの御両親に買っていただいた雛人形が、ひときわ立派だ。
 
 男兄弟に育った僕は、いまいちピンとこないが、女性にとってひな祭りはとても重要なイベントらしい。今はまだわかっていない娘を抱え母親は、朝から大ハッスル。
 程なく
初孫恋しさに両家のじじばばが、はるばるやってきて一層にぎやかに。宴の中心に君臨する優芽は、いつも以上にハイテンションでいろんな表情をして笑わせてくれる。我が家の騒々しさはピークを迎えたのだった。

 それにしても… 孫ってそんなにも可愛いものなのか、今までこんな親父の顔見たことなかった。
  
 夕方から育苗ハウスのある畑に。先月末に踏み込んだ温床がちょうど良い温度になっている。明日から種をまこう。

ひなまつり
2006年2月28日(火)
柔軟に考える

 
 七ヶ月を過ぎた娘の優芽(ゆめ)がスキー場から帰宅した父を今日は笑顔で出迎えた。一日ごとに目に見えて成長する様子に勇気づけられる。大好きな瞬間である。
 今日で2月も終わる。スキー場での仕事もあと一か月ほどになった。

 前に人から指摘された。自然農をしている人間がスキー場で働いている…自分でも矛盾を感じたことがある。スキー場をつくる為自然は切り崩され、この娯楽施設の運営には莫大なエネルギーが投入される。一家の生活がかかってるとはいえ、
この仕事はどうかなあ、と。

 環境問題、少子化問題等がとりざたされ、社会の様相も変わり始めた。21世紀、このような産業は衰退していくのだろうか。


 環境問題がこれだけクローズアップされてきたのは人間の生物としての生存本能である。
 本能は叫んでいるが…
 
 人間は動物であるけれど複雑な脳の構造を持った動物であり、自然界と別の人間界をつくってしまった。時々生物的観点から見れば完全に常軌を逸したようなこともしたりする。要注意…人間は。
 あまり理想に縛られず生きよう。

 
 結局、それぞれの人生の中で人は、自分の好みによって何かを選択するのだと思う。そして好みは、異なった立場、環境の中から生まれる。僕が環境問題について何か考えたり、自然農をするのもそれは、自分の好みだから。

 
 人間の歴史がたどり着いた、現代社会の姿を僕は好まないけれど、今この時代を生きているというのが現実。生活するうちに生じるいろいろな嫌な思いはさっぱりと割り切って、好きなことにかける比重が増えていけば良い。…明日も元気にスキー場へ行く

スキー場
2006年2月15日(水)
今年蒔く種

 
 このところすっかり春めいてきた。とても2月半ばとは思えない日が続いている。「12月があれだけ寒かったから春の訪れも早まるぞ。」百姓連が口々に言う。

 
  ここ数年の気象はどこか変な感じだ。観測史上初とか2番目なんていう言葉をしょっちゅう聞いている気がする。天候の予測を立てながら行なうのが農業という仕事であり、このような状況は百姓にとって困った傾向なのだ。特に僕は、まったく自然任せの栽培をしているのだから…

 そんなときでも、周りの山を見渡せば自然の営みは刻々と受け継がれていて、季節ごと色々な恵みを与えてくれている。良いお手本がそこにある。

  自家採種を始めました。作物の集大成。うまく採取された種は畑になじみやすく、科学的な操作によって作られている種に比べ、生命力があり環境への適応力にすぐれているといわれる。

 今年蒔く種の多くは購入種だが、交配種は出来るだけやめた。ゆくゆくは全て自家採種で!と思う
 そのときは、今冬の間にカタログを見てわくわくしながらやっている、品種選びの楽しみはなくなってしまうけど。

たね
2006年1月17日(火)
好きなこと

  平日のスキー場は人影もまばらだ。その多くは上手な人なので仕事(リフト係)はすごく楽。でもちょっと寂しいなあ(従業員の立場として)。それでも中には会社の休みをとって神奈川から来たなんていう人もいたりする。ほんとに好きなんだろうなぁお金かかるのに。ウインタースポーツが好きじゃない僕は感心する。
 
 きれいな青空を見上げながらいろいろ考えていた…
23歳でスノーボードを始め、今度のオリンピックに日本のエースで出場する選手がいるらしい。ハーフパイプという競技だったかな。31歳の女性だという。

  かつてボクシングにのめり込んでいた頃、「とことんやろう、37歳までやろう」と思っていた。37歳がプロボクサーの定年だった。

  好きなことはあきらめずにとことんやりぬくべきだと思う。そこで得られるものは人生において大きなものであろう。

 ボクシングは結局挫折した…。 心と身体の傷が長い間消えなかった。

 今日僕は37歳になった。
人生80年(の予定)として残りはまだ40年以上。
 定年の無い農業で、大好きな自然農を通して人生を全うしていけたら幸せなことだと思う。

スキー場
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