自然栽培
心という、
宇宙よりも大きな自然を栽培してる。
人生すべてかけている。
時間と空間を飛び超えて、
遠くの友人旧友ご先祖沢山の人、人だけでなく物事も、
すべてさじ加減よくとはいかないが、
ストレスも濃密な味をうみだす素だから、
かかわってくれるすべてに感謝。
心という、
宇宙よりも大きな自然を栽培してる。
人生すべてかけている。
時間と空間を飛び超えて、
遠くの友人旧友ご先祖沢山の人、人だけでなく物事も、
すべてさじ加減よくとはいかないが、
ストレスも濃密な味をうみだす素だから、
かかわってくれるすべてに感謝。
数年来の痛み、苦しさ、これはもう限界じゃないかと何度思っただろう。
死ぬ時ってもっと痛いのだろうか?これ以上に苦しむということなのか?
そんなことを考えながら耐えていた。苦痛の極限の先に死があるとイメージしてた。
。
でも最近、なんとなく気づいたことは、限界点は限界点なのだということ。
限界の上はなく、それ以上の痛みや苦しさが死、ということではきっとない。
耐えられないから死ぬわけでもなく、限界の前に死ぬことだってある。
向こうへ行くのかこっちに残るか、、、生死の境は神のみぞ知る領域だから、ただ運命に身を委ねるだけなのだ。
日照り続きでいよいよからっからになってきた畑。
野菜たちは木陰に逃げ込むこともできないから、植えられた場所で、苦しみながら、身を潜めたりして、生き延びる努力をそれぞれがしている。
僅かな水分を辿り、必死に吸い上げている根のことを想像していたら、そうか、それが根気か!と今さらながら理解した。根気、、生きるために最重要なものだ。
根気を失なえば屍になる。
作物に刺激をもらいながら、今日も炎天下の地道な作業を、根気強く。
1番日の長い頃の飲み会。窓の外がまだ明るい。
メンバーはいつもの80代後半女性、60代後半女性、そして僕。
世界中周り、沢山の男と遊び、好きなだけ酒を飲み、好きなものを食べ、好きに生きてきた全く悔いのない人生だ、人生は楽しい!と80代女性が言う。絵描きとして毎年パリを旅する自由人を絵にかいたような元教師、現保育士の60代女性が大きくうなずいている。経験の乏しい僕は、強いて言えば”型にはまらずに”生きようとしているところが共通点だろうか。
お二人の圧倒的なオーラがテーブル周りも明るく照らす。僕は主に聞き役。ここでは楽しい話しかでない。愚痴、他人の噂話、悪口、議論、そういうものはまるでなし。
太陽みたいな人たちだ、と思う。独自で強い光を放っている。自分の熱量光量を高めることに専念している。太陽の明るさは親分肌のリーダータイプや仲間思いのクラスの人気者タイプとは少し違う気がする。皆に光を届けてあげよう、という親切心が先ずあるわけでもない。
今の時代に、あんなもの持ちたくないわ、と携帯電話も持たない彼女たちの発する光量でずっと眩しかった。
夜中呼吸困難になり、ダメかも、どのくらいで意識を失うのか、死に至るのか…なんていう気持ちが久しぶりに頭をもたげた。悪戦苦闘の最後の力を振り絞り、真夜中家中に…山中に響き渡ったかもしれない唸り声とともに息を吐き、、そしたら痰が抜けた。鼻から抜けた。しばらく放心状態。その中で味わったことのないほどの爽快感が沸き上がり、続き、感極まった。
通ってる。生きていける。よかった、手術してよかった。
・・・・・
気持ちがまた何歩か前に進んだ。
まだまだ痛く苦しくぎこちないが、この先伸びしろしかない。
幸せかもしれない。
相対で感じる。
他人は関係なく、対象にするのは過去の自分。
3年前を考えたらずっとまし。
1年前より相当良い。
1ミリずつ進む。
地道に1歩目のホップを踏み続けよう。
スマホを買った
ずっと嫌悪してきて最近まで一生持たないと決めていた。自慢の意志の強さ、最後意地になって粘ったが、、粘るのやめた。決意は状況で覆ってしまうなぁ。
思えば、絶対耕さない(不耕起栽培)とか、薬は一生飲まないとか、一生愛することを誓いますとか言って、、、前言撤回の繰り返し。これからだってきっと何度もするだろう。
そしてその度にすこしずつ寛容になる。他人にも自分にも、すべての生物、生物以外のあらゆるものに、、、そんな気がする。いいことだ。
スマホ持ったらなんか視界が急にくっきりと広がった気がするなぁ。
壁を取っ払って受け入れたいと思っているよ
思いっきり尖ってる稀有な個性のヤンキー転入生、コロナはそんな感じだな
本当に痛めつけようなんて思ってないから、そんなに怖がらないでいいんだ
皆の中に受け入れられたいのが本心だよね
自分一人では生きられない
自分の居場所が必要なんだ
だから次第に角が取れ毒気が抜けてきたね
変異して、そして広く溶け込もうと努力してるよね
怖がり続けてる人が多くてもどかしい限りだよ
俺はもし免疫のプレゼントいただけるなら
ありがたいことだから感謝するよ