無農薬無肥料、自然栽培、というものを模索中という若いご夫婦が畑の見学に来てくれた。
ちょうどいいところに!とばかりに連作白菜の作付け予定地を見ながらいろいろ話した。
数十年耕作放棄地だった畑を借りて不耕起栽培を10数年続けている。
7年前から白菜連作であること。
栽培に関してはほとんど手を入れない。そして収穫後は放置する。
今から1月半前には草が全面背の高さまで生い茂っていたが、草刈り一つしないでこの状態だ、と言ったったら驚かれた。
大部分が枯れ草色
あの草ふじはすっかり地に伏せて種を宿している。
土はふかふか。
肥料分が充分に詰まっていそうだとお二人も言う。
「奇跡の白菜」の生育の様子を見に、また是非来たいと言っていただいた。
だけどこの白菜に関して、これまで一切肥料を使ったことはないが、場合によっては今年は施肥する可能性だってある、と今は思っている・・・「奇跡の白菜」なんていいながら、こんなこといったら驚かれるかもしれない。話は続く・・・
無肥料栽培って言葉、なんか変な気がするんですよ と僕。
肥料分があるから作物が育つわけですから・・・無施肥栽培というほうがピンとくる
でも無施肥を貫くのにならよほどポリシーがなくてはいけませんよね そこは問われますよね
自然の状態で、均一に肥料分があるなんてことはあり得ないし、場所によって、肥えててよかった!ラッキー とか、ああ、ここはだめかぁ、とか、そんな感じでいいですか?
だめなところは、だめかぁとか言ってないで施肥したいなぁ、僕なら
ただ、育つということに対する概念が普通の農家とは違うから、小さくていびつな作物が育ってるけど、そこは育ってくれればオッケーというのが僕の感覚です
普通の農家ですか?・・・そりゃあ、あれですね、常に均一にしっかり耕して、ゼロベースを念頭に肥料設計を立てていくのが常套手段ですから
上達すれば作物は狙い通り育つじゃないですか そして邪魔するものは農薬を使って駆除する
・・・・
人と話をしているとよくあることだ、人間社会の構図が浮かび上がってくる。
あえて農薬を好んで使う農家はいないけれど、社会の求めに応えるためには必要不可欠なものとなっているという現実。
なぜなら、世が認める商品がそういうものだから・・・。
もしこの社会の歯車から、少しでもはみ出すつもりがないのなら否定もできない。
もし疑問を抱くなら、独歩する人にならなければと思う。
但し、折り合いながら・・・農家として歩むなら、作物が出来ない、だめかぁ、ではいけない。とりあえず作物は育てて社会参加しなくては。