自分の上を通り過ぎていくいろいろなもの。
自分中に消化されていくもの。
人生の時間の中で現れては消える様々な感覚。
どれだけ言葉を操っても言い表すことって難しいな。
真実は言葉の裏側に潜り込んでしまうものかもしれない。
矛盾があるとかないとか、誇張があるとかないとか、こだわっているとかいないとか・・・
感性が持っている答えに、できるだけ近づこうと書き連ねても、どこか空虚な感じがしてしまう。
五感から「良いなぁ」と感じる野菜を作りたい。
ただそれだけのこと。
その大事なところを見失わないように。
そんな野菜に相対する方々にも、耕した耕さないとか、肥料やったやらないとか、自然農法かとか、自然栽培かとかより、それぞれが宿す感性に寄り添ってジャッジをしていただけたら・・・。
昨日書いたものの補足です。
“感性が答えを持っている” への2件のフィードバック
高橋さん
10月のアースデイでお手伝いさせていただきました高◯沢か◯りです(笑)覚えてますか?
ブログ拝見させていただきました。
先日お話しさせていただいた、高橋さんのこだわりの葛藤や、「野菜から感じられるものを大切にしてもらいたい」という気持ちが、私には伝わってきました。
真実は言葉の裏に潜り込んでしまうのかもしれない。
皆が同じ言葉を使う。
でも、生まれ育った環境、経験は人それぞれ違う。
同じ言葉でも、感じる感覚は人の数だけあるのかもしれないですね。
言葉って難しい。
高橋さんの野菜、美味しくいただきました。
言葉って難しい。私の感じたことがこの文章では伝わりません。言葉を連ねれば連ねるほど嘘くさくなってしまいます。
私が高橋さんの野菜を洗った時、口にした時に得た感覚は「美味しい」という単語におさまりません。「美味しい」という単語があまりにも薄い表現に感じられてしまうほど。でも日本語に落とし込むと、美味しいになってしまいます。
いろいろ書くと長くなってしまいますね。
また語りたいので、アースデイいきます。またよろしくお願いします。
ナツメ、毎日食べてます(笑)美白してきているかしら?
香織
香織さん、ありがとうございます!
先日アースデイではお世話になりました。
そうなんですよねぇ。でも人間が生きていくためにコミュニケーションが不可欠ですしね。なんか違うな、と思いながら言葉にしてみたり・・・。そこは人間の人間たる部分なんでしょうかね。
まあしかし今のこの世の中、何かを選択する際に巷に流れる情報が基になるのは当然としても、いつも自分の五感を通して判断出来たらと思うのです。それが今や理想論かもしれないですが、あまりに感覚から離れて麻痺してしまうことに怖さを感じます。