自然が神

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寒波到来の一週間
今日も寒かった!
明後日朝には-10℃まで下がる予報
いよいよ”神の白菜”のうち、巻いているもの、巻きかけのものは収穫してしまうことにした
草に守られているとはいえ毎日凍っている、凍って融けかけてまた凍るという繰り返し、よく頑張って生きているな、と感心する、、、いや、それは白菜に限ったことではなく、大根も蕪もレタスもキャベツも人参も小松菜も高菜もネギも・・畑で裸で寒さと戦いながら生きている皆に思うのだ
”神の…”というなら、皆がそうだ、、自身の糖分を蓄えて身を守る、ギリギリまで生きるための抵抗がをする、順応しようとする、それが自然の姿だということを日々目の当たりにしていると自然=神なのだと畏れいる感覚が生まれてくる
もう1年9か月経ったが、我が子同然にかわいがった鶏が大怪我をして片足の機能を失ってしまったとき、毎日付き添いリハビリと称して揉んだり動かしたり、、いじりすぎて最後ショック死させてしまった直後、自分の一部にするために、狂乱状態で首を落とし血を抜いて毛をむしっていたら見つけた…なんと第3の足が密かに形成され始めていたのだ
あの時、自分の愚かさがどれだけ身に染みたか・・・
自然を、人間の知見が凌駕することなんてありはしない、どんな研究も自然から逸脱しているなら軽く感じてしまう
コロナコロナと妄想を膨らませ遺伝子操作のワクチンをつくって安心を得る…人間なりのやり方には、生存本能の発展形なのか知らないが、好ましくない思いがどうしても湧いてしまう

台風一過

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心配したが、当地ではほとんど何の影響もないぐらいの風雨で済んだ

丸1年前の台風、あの豪雨の再現の可能性が盛んに言われていたから、ほっと胸をなでおろした

そして夕方には薄日も射してきて・・・

畑に台風の影響は勿論なく、むしろ活き活きと躍動してみえる

野菜と草が自然に寄り添う感じで、景観的に気候的に最も良い頃ではないかと思う

何か書こうとして思ったことは

1年前に書いたことと変わらない

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秋晴れ
キラキラの畑
野菜のないところはほぼ草が覆っていて
大雨でもぬかるんでしまうことはない

この畑の生物生息数はかなりのものだろう
野菜のための畑だが
誰もそんなこと感じていない

共に自由に健康に生きられる
場所を育む構成員だ

共存する自然

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だいぶ秋らしい気候になってきた

いよいよ楽しみな実りの秋だ・・・今年は栗毛虫の大発生で丸坊主にされた栗の木が7本中5本

5本の木はその後新たに芽を出して、今は青々と葉を茂らせているが、さすがに実は生らなかった

のだけど・・・

残りの2本がなかなかよい

2本とも12,3年前に自分で植えたものだ

冬場にしっかり剪定もしたせいか、大きめの実がしっかりとついている

さてどうだろう、栗ご飯1回分ぐらい、季節を感じる幸せな食卓を皆さんにも味わっていただけたらと思っているのだが・・・

 

(それにしても不思議だったのは、猛烈なペースで5本分の葉を平らげた大勢の栗毛虫たちが、なぜか残りの2本に移ることなく、文字通りピタッと姿を消してしまったことだ

連想して、なんとなく聞いたような気もすることだが、自然界での生物の関係のなかで、ある生物がある他生物を食い尽くしてしまう、そして最後絶滅まで追い込むってことはないのかもしれないな・・・なんか、生物同士ではそんなことがおこらないような、そんな気がする

人間が何かウィルスとかのせいで絶滅させられるようなことって、きっとないんじゃないかな

いつか人間を絶滅させるのはやっぱり気候変動なんだろうな

自然界、生命界から逸脱した振る舞いをする人間自体がそこに加担し続けるんだろうな

もはや良い悪いとか、そういうことではなく、それは宿命だろうな)

 

 

 

 

with

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資材小屋の天井にアシナガ蜂の巣

わりと大きめ

僕は以前、蜂に刺されまくって今度刺されたら死ぬかもしれないとドクターに言われていた

まあでもそれはスズメ蜂の話

アシナガ蜂の場合は・・・アシナガ蜂にも何度も刺されていて、蕁麻疹の出る身体になってはいるが、死ぬことはまずないだろう

作業している至近距離に蜂の巣があることは気持ちのいいものではないが、彼らは子育てに夢中でありこちらに敵意を持ってなどいない

かなり顔を近づけてみたが気にする感じもない

アシナガ蜂の攻撃性はもともと少ないといわれている

そう、ずっとそのまま敵と思わせなきゃいいだけだ、決してお子さんや君たちに危害を加えることなどしませんよ、といつも感じてもらえれば

気を配る要素が1つ増えるが、それもまたよしとして・・・

共に生きればいい

蜂の巣駆除の殺虫スプレーは封印して過ごそう

 

協調性

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珍しく新聞を隅々まで読んで目にした小さな記事がちょっと衝撃だった

お馴染み”ラウンドアップ(除草剤)”を製造販売するドイツの会社が、健康被害等の訴訟に対して莫大な金額を用意し、和解を成立させ、そして未来の訴訟にも備えるという内容

 

草も人間も一緒だな、めんどくせぇ、一気に片付けちゃおう・・みたいな感じで一網打尽

まあしかし、除草剤の社会への貢献性なんかを言葉巧みに訴えられて大金摘まれたら、まあ仕方ないみたいになるのかもしれない

そして流れができればすぐに全体がそうなっていく、組み込まれる、社会ってそんなものだろうな・・・わからなくはない・・・

 

草は確かに厄介だ

作物の初期生育に大敵であることは農業経験するほどにわかってきたこと

農業に限らず日常の暮らしでも、ぼさぼさの草むらは藪蚊はもちろん毒蛇や蜂の巣の温床にもなるし、うちの庭などまさにそうなので隣家の人にも不快感を与えてしまう

草は憎むべきものという民意が・・・ 草は素晴らしいです、なんて都会の人が思う以上に言えない空気が田舎にはあったりするのだ

 

それでも、うちの畑はすごいもんだ、それこそ不要不急の草刈りをしない、むしろすべきでないというのが信条のようなものなので隣畑の人や通行人は呆れている

草刈りしない・・・自粛なんてしない、マスクなんてしない、あえてしない、協調しない

40年間言われてる筋金入りの僕の個性だ、協調性がない!というのは

欠点であるとさんざん言われたけど、あながちそうではないと知っていた

 

 

伸び放題の草藤

もうじき自然に枯れてつぶれ

またここは美味しい白菜の舞台に

偏屈

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ホームセンターやスーパーへ行くとほぼ全員マスクをしていて、してない僕にあからさまに悪意ある眼差しを向けてくる人がいる

そう感じるが、そう感じるからという理由でするというのもおかしい

店の入り口に”マスクの着用お願いします”と張り紙してあるからあの眼差しなんだろうが・・・なんかおかしい気がするな

マスクマスクうるさいな

ニュースを見てたいした感染率でないことはわかるし、自分の免疫力があれば別に問題ないことと思える

ずっと自分の人生で、免疫力を上げる努力をしてきてるのに、はっきり言ってこのぐらいのことでビクビクしたくないし、マスクは不要だし、感染しないのに他人のためのマスクって意味が全く分からないなぁ・・・偏屈?、偏屈は悪?

 

 

 

ステイ ナチュラル

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夜明け前に起きて山に入り山菜採り

東京から沢山の注文をしてくださったのはお洒落な創作料理のお店だが、今はお弁当を始めていている

季節の自然な旬の食材をふんだんに使うメニューは以前と同様だ

そんなお店としか僕は付き合いがない

 

早朝から山の中を6時間歩き回り、そして畑に移り荷造りをする

辺りは車の往来や人影はまるでなく、いつもに増して静かな休日

”なるべくステイホーム”という要請を守ってるのだろう

僕は13時間、外に居続けた

 

リスクについて考えている

人類はこれまで、肉体的な苦痛や命にかかわるリスクの軽減を求めつづけてきたと思う

それは当然だが、根本的に人間が自然の一部である以上、生きることはリスクを負うこと、という原則からは逃れることができないと思っている

そしてリスクの軽減を追い求め過ぎた今、痛い目に遭い始めているのだとも思う

 

薄暗いうちから山に入ると身震いがする 熊が出てくるかもと考えたりする

地に這って三つ葉を摘んでいたらマムシがすぐ足元をすり抜けていった

ちょっと前だが、山中に積み上げられた材木がいきなり、まとめて轟音とともに猛スピードで転がり落ちてきたこともある

とっさに身を伏せたら頭上を次々に飛び越えていき死なずに済んだ・・・

自然に近づいた暮らしをと思っていると、都会暮らしからは考えられないような危険と隣り合わせである

 

自然のなかでは人間を怖がらせる事柄が沢山発生する

いま、新型コロナウィルスが世界中に広がって

ニュースを見てすっかりビビってしまった人が多数

でもだからといってそれを排除する立場に人間はいないと、僕は思っている

そしてリスクを避けては生きられない

自然から逃げ出し無菌室に閉じこもろうではなく、抵抗力免疫力生命力をせいぜい高めて共存することで突破しなくては、と思っている

 

お彼岸 区切り

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しばらく行くことができなかった庭に、今日は久しぶりに降りて、スズの亡骸を埋めた鶏舎の中に墓標を立て写真を飾り線香を供え手を合わせた・・・ら思いだすあのとき

僕が帰宅する軽トラの音に必ず気づいて、いつもお帰りと鳴き続けてくれたけど、あの日は暗がりに身を潜め、声などもちろん出さず、ただ必死に願っていたんだろう・・・(早く助けに来て、、おかあさん)

 

ああ・・・・・

もうやめよう

身体を動かそう

1年なんて簡単に棒に振ってしまうぐらい早く時は過ぎてしまうから

怪我をしていてもいつも強気で、びっこひいて走りながら直してたスズを見習いたいな

 

いつ死ぬかなんて誰にもわからない

その時まで頑張ろう

 

スズ、ヒメ、ピヨ、チビ、コロ、プク

いつか、また会える

 

 

よみがえる

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快晴、そしてぽかぽかと暖かい畑日和

ニンニク、玉ねぎの株の周りの草取りをする

今年の春は早く、オオイヌノフグリなどの草はもうすっかり根を張っていて

鋸鎌を使って1株1株地道に作業をしなくてはならない・・・出遅れてしまった

結局昼をまたいで8時間、暗くなるまで作業に文字通り没頭した

腰が痛いが爽快感はある

 

久しぶりに、よみがえった感覚かもしれない

この数年は、畑で作業しているとき、いつも頭の片隅に鶏のことがあり・・・子の無事を願う母親としての自分だったから

胸を抉られたような痛みと喪失感はなかなか消えないが、心の中の数パーセント、ああ今年は畑の作業に思いっきり没頭できるんだな、という嬉しさのような感情がたしかに沸く

さてと、農閑期はすっかり終わったな

 

仕方のないこと

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放し飼いにしていることはリスクを伴うことであると承知していた

キツネは悪くない

仕方のないこと

帰宅が遅れたのはいろいろ重なってしまったからだが

なにかのせい、他人のせいにしても仕方のないこと

では自分の怠慢のせい?・・・あろうことか鶏舎にいちばん近い場所のネットが開いていた

キツネからすれば、いらっしゃいませ、といわれているも同然のように・・・

でも自分をいくら責めても時は戻らない

すべて仕方のないこと

 

不思議な力

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憂鬱な気分が突如立ち込めて、死にたくなったと全然本気じゃないが、多分生まれて初めて言った日だった

そんなことを言ったことを後悔していた

この日は予期せぬことが重なってしまった結果、日がすっかり暮れてからの帰宅になった

そんな時いつもならなにより鶏達のことが頭にあって、軽トラを飛び降りるや否や鶏舎の戸を閉めに駆けていく

彼女たちは1日中目いっぱい遊び、日暮れ近くに鶏舎に戻り止まり木にあがって僕の帰りをじっと待っている

それがなぜかこの日は、まず家に入り、さほど急ぐことなく翌朝用に豆腐とヨーグルトを器に入れて、さて持っていこうとしたときだった

悲鳴が!

窓から叫んだ、獣が走っていく音がした

あわてて飛び出した

鶏舎に鶏の姿はない、悲鳴のしたほうに・・・スズの・・・すでに・・・瞬殺だった

思考が止まった

その死体を抱き上げた、その時

庭の反対側で悲鳴 あ!!ヒメの声!!!

叫びながらそっちに向かうと獣の駆け出す激しい音

ヒメの姿はなかった、羽が散乱していた

咥えていったのはキツネだろう・・・

 

鶏舎の付近でチビとピヨがやられた形跡!があった そして・・・すくなくとも帰宅時に2羽は生きていた。スズとヒメはなんとか生き延びるために必死に隠れていたに違いない

どんなに怖かっただろう

何も見えない真っ暗闇の中、鶏舎から25メートルも離れた場所まで逃げて身を潜めていたヒメをせめて、なんで助けてあげられなかったかな・・・

 

健康的で元気に楽しく暮らし、まだまだ長い長いギネスに載るほど長い鶏生になるかも、と思っていた

それがたったの3年10か月

濃かったけど・・・すごく濃かったけど・・・そうだよね?

必死に生きて生き続けたかったのに奪われたこの4つの命、それが安っぽい”死にたくなった”と引き換えだったと思えていたたまれない

ふざけんな、人生舐めんなよという、なんか不思議な力が働いたように思える

生きる生きる、もうやるしかない! 4羽・・・あとコロとプクで6羽の我が子の分まで、精一杯生きる ギリギリまで オレも!!!!

 

・・・

スズの遺体だけ残った

活発で、甘えん坊で、わがままで、うるさくて、手を焼かせるけどとびきり可愛かったスズ

どっか痛めたときでも弱みはみせず、いつも堂々とたくましいスズに憧れてた

コロの時とは違い今回は食べなかった

一晩中抱きしめて

そして翌朝

3年暮らした鶏舎に埋めた

これからはおうちでゆっくり安心しておやすみ

 

 

ボリュームアップセット

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さて、秋冬野菜がいよいよ最盛期に入ってきます

この時期は、大根、カボチャ、イモ類、白菜、キャベツ、人参と、重量のあるものが多く、通常の80サイズでの発送は難しい場合が多くなります

100サイズ箱での発送になると140円プラスになりますが、その値段以上の価値のあるボリュームアップセットであると思いますのでご了承ください

 

これからは寒さにも当たり一層野菜の風味が増してくる季節となります、お楽しみください

 

イベント出店

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こうじいらずの枝豆

黄色っぽく熟度が進んできたものも多く、枝豆としての旬は過ぎた

ずっと高温、日照りが続いたせいもあるだろうが・・・

 

お彼岸の前あたりから採り始めて2週間

おおすげぇ、うまそうだぁ、なんて思わず口をついて出た

そんな旬のオーラが消えるのは枝豆に限らずだいたい2週間だと経験から感じている

 

昨日はイベント出店に向けて7キロほど収穫

これだけ沢山採るのは最後になる

 

ただ

そうなってからがまた美味しいんだと

東京飲食店主に教えてもらった

それでいつも大豆直前まで届けているが、実際たしかに美味しい

旬じゃなくても”旬のセット”にまだ入るので…

 

あ、出店するのは僕じゃなく枝豆他野菜たちです

天王洲ファーマーズマーケット

10月5日、6日開催 東京近郊の方お出かけください

 

 

だっておいしいから・・・

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だってたかはしさんの・・・ここの畑の野菜は特においしいから・・・ そんなこと言われたらうれしいよなぁ(空想かっ!)

特にこのもちもちしたトウモロコシ、甘い甘すぎるだけの黄いろのよりボクはこっちが好み・・・・・・

そんな感じかい?アワノメイガの幼虫さん、美味しいからそんなにもムシャムシャいくんだよね

 

あまり人と接しないで暮らしているからか、もはや虫でも人でもそこまで差を感じなくなっている

どうしてくれんだよー 商品(カネ)にならないじゃねえかよー とは思いつつも、おいしいおいしいと食べてくれる様子はわるくない

 

 

生きることは食べること

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今年は天候に恵まれ(人参の播種時期に雨が多くよく発芽し)た為、間引きに結構手間がかかるが気分は良い

ここまでくれば成功は凡そ約束されたようなものだ

そしてこの間引き人参も無駄にすることはない

うちでは毎食のように使うし、鶏は大好きだし、宅配セットなどのお客さんにもお分けする

葉は細かく刻めば、スープにもサラダにもカレーにも炒め物にも使えるし薬味にもなる

スーパーには出回らない時期限定の希少食材、自分で栽培しないとほとんど手に入ることはない贅沢品

きっと直売所でも見かけないだろう・・・以前持っていったことがある 「ゴミ持ってくるな!」といわれたな

 

農家って役得だなぁって本当に思う

食べ物はお金で買うものではなく・・・命そのものというか、さっきまであった命が食べ物となって、自分のこの命をつないでくれる・・・自分が自然の一部であるという実感が染みついてくる

最近、生きることは食べること、と誰に聞いた言葉でもないけど、よく頭に浮かぶ

続いて、食べることは生きること、と

 

鶏を見ていて思う、生きている動機の大半は食欲を満たすことみたいだ

きっと皆そうなんだろう、うちの野菜や鶏に関わって困らせる虫も雉も狐もカラスもヘビも、そういう僕だって、ケッコーそう・・・

 

一羽の鶏がまた足を怪我した

医者に連れて行こうか迷ったが、大丈夫と判断して畑に出た

仕事が忙しいということもあるが、決め手は旺盛な食欲だった うん、そこまでの重症ではないな 大丈夫大丈夫生きる気力十分だ、きっとすぐに治ると信じる!

 

畑でいつも1人作業中に何を1番考えるかというと、多分夕飯のことだと思う

目の前にある命=食材からふっと料理のイメージが広がっていく瞬間が訪れたら、それが至福のとき

だからどんなハードワークをした日でも料理に手を抜くことはしない

畑の命を僕が介してそれを食べるもの、家族、鶏、の命に大きく関わっている、そんな日常が小さくても確かな誇りを僕に持たせてくれている

 

購入してくださる方へ

お届けする食材からわずかでも息吹(生命の余韻)を感じていただけるなら、それはお互いにとって価値がありますね

 

 

ツイスト打法

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パソコンつけるとヤフートップのニュース項目に

巨人の丸が顔を残してホームラン、という見出し

もしやと思って見てみた

ツイスト打法と名付けられている打法

動画でチェック、すごい打球がライトスタンドに突き刺さってた

 

僕が中学時代に披露した打法が、こんなに長い時を経てブレイク寸前

腰を逆にひねって力を産み出す空手の正拳突きから着想し

ヘッドスピードを上げるには腰を止めることだと、考えて、やってみて、編み出した

コツは目線を最後まで固定すること

丸選手と同様(?)周りからは驚かれ笑われもしたけど

その時から打球はピンポン玉のように信じられないほどの飛び方になった 打率と長打率凄かった

ちなみにメジャーの選手の打ち方は結構近い

日本の選手はなぜか試合では特に、大体が打つ前もインパクトの時も打った後もふわふわと動きすぎる

・・・なんか完全に上からいってるので あきれて読んでください やめてもいい 自慢が続くので・・・

高校はあえて軟式野球部しかないところへ行った

坊主でない長髪のかっこいい野球部が甲子園で旋風を起こすことを夢見て創部を目指すものの叶わなかった

もったいない!何人かすごくうまくて同じ思いの仲間が揃っていた 30数年経ち最近になって長髪野球部推奨の動きが全国であるそうだ

当時の球児でホームランといえば群を抜いていたのは清原だったが、自分のほうが飛ばせると思っていた

不祥事で退部した後、伝説になったらしい 顧問を無視して”ツイスト打法”を皆でやったらしい

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ ハリさんの百倍いや千倍イタいな

 

まあ・・・ここで書こうと思ったのは予言です

丸選手はここからメチャメチャ打つでしょうね

打撃技術の流れが変わるかもしれない 腰を回すから止めるに

 

 

 

 

ヒールガオ

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だけど定植作業は去年までのようにはかどらない
気にもかけぬ間に、草ふじと入れ替わるように蔓延った昼顔はなんて手ごわいやつ
僕はまったく無知で油断してた

いつのまにか太くて固い根が縦横無尽に・・・・・

 

切り刻んでもそこから芽を出してくるという
食えるらしいが

 

メインステージにて

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今年も白菜の作付け時期になった

畑に誰かが見学に来たりすると、時季を問わず必ずここを1番に案内する

この土地を借りたときから17年、その前も10数年間耕作放棄地だったそうだから、30年ぐらいは”耕す”ということをしていないスペース

”不耕起草生栽培”という僕の中の美しいファンタジーが、ここで現実に継続されてきた

ずっと白菜を連作です 草刈りはしません ほぼ何もしません 春から夏まで草ふじが旺盛に茂り、それが一気に枯れたそのタイミングで植え付けです

茶色いじゅうたんになります ほかの草はほとんどなくて”さあ植えてください”と言ってるようです

厚い腐植層のふかふかの土、スポスポと何の苦労もなく植えられるんです

当然無施肥ですが、しっかり育ち虫食いも少なく見事においしい白菜になるんです 奇跡の白菜です

と、大体いつも得意になってそんな説明をする

 

そうそう、確かに確かに、ここ数年いろんなタイミングが絶妙にマッチした白菜の”自然栽培”ができた

だから、なんとなく自分の中のノウハウのようなものも熟成してきたように感じていたが、考えてみれば”絶妙”は計算どおりに繰り返されるものではないだろう・・・自然とはそんなもの

草の種が方々から飛んでくる、それを良しとしている

草ふじが枯れ始めたころ発芽した草が、豊かな地力を得て一気に育つ

白菜の苗の準備が整いさて植えようとしたときには緑の草原に・・・今年はそんなこととなった

 

べつに驚くことではない

文字通りの”自然栽培”ってものがあるとすれば、ノウハウはなく、あるのはひたすらに”対応”ではないだろうか、行き当たりばったりといえばたしかにそういえなくもない

そうきたか、と小さくつぶやく、草を刈る、結構きれいに刈った、虫の住処は残したいが草の種をあまり落としたくないとも思う

そうしていつものように草刈り機でのライン切りからの苗差しである

さてどうかな・・・僕のノウハウもどきからすると、植えた苗は虫の餌食かな、と思って今日は植えなかった

 

 

 

あおり運転

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たまたまテレビをつけたら、あおり運転で指名手配されていた男が逮捕、というニュースを長い時間やっていた

あおり運転が犯罪になるような法律ができたことは知っていたが、こんな大きな騒ぎになっているのは驚いた

 

ちょうど先週用事があり両親が暮らす栃木県へ一泊旅をしてきたところだ

当然高速で行ったのだが、実はその際1回あおった

だって追い越し車線をマイペースの100キロ弱の走行で居座っている

そんなやつもたまにいるのは知っている.が、ちょっと急いでいたからあおってしまった

走行車線から抜くことは危ないからあまりしたくない

追い越し車線にいるなら後ろから車が来たら、自分が追い越すつもりがなければ走行車線に戻ってくださいよ

と願いを込めた

だが、結局あおってみてもらちがあかなかったのでタイミングを計り走行車線から追い抜いた

その時運転手を見るとこっちみて「ばーか」という口の動きをやったので、

頭に血が上り車を停車させ5発程ぶん殴っ・・ってやりたかったが、

さすがにそれはしないでさっさと引き離し頭から消した・・・

あおり運転自白してる僕は罪人で正当化するつもりはないけど、あの運転手だってねぇ

 

ニュースを見てたら殴られた被害者がいろいろしゃべっていて同情を100パーセント向けられている

なぜ彼は殴られたか、ということには一切触れないニュース

一方的に罪人悪人像を固定化していく

善と悪の構図がすぐ明確につくられてしまう

 

僕はひねくれものだから

犯人のなかの善、被害者のなかの悪を見出そうとしてた

 

尊敬 越えられない 頭が上がらない

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ファザコンかな・・・

 

ついに毎日の薬を飲み始めた

尿酸値降下薬ザイロリックのジェネリック、アロプリノール・・・

最初の痛風発症から8年、毎年5.6回ぐらいは痛風発作で苦しんだ

その都度ロキソニンに頼った

そしてだんだん症状が重篤化している感じがしていた

 

痛風は贅沢病なんてとんでもない誤った認識だと思う

質素な食事をしている、水分は基本お茶か酢水で補給、最初の発症からいままででビールを飲んだ回数は片手で足りるほど

酒も肉も控え玄米採食が基本

 

やはり若い頃から痛風もちの父に、薬のめ薬のめと会うたびに言われたが、そんな気はさらさらなかった

生活習慣で改善できるのだから・・・薬という毒に頼らなくても・・・ という意地があった

 

だが急に考えが変わったのは、80過ぎても肉大好きで相変らず怖いオーラがあり的確で勘がよく持久力のある父の姿をみたから

何種類もの薬を毎日何十年飲み続けてきたことか・・・

先日栃木から車でやってきた 全然平気だといっていた

助手席の母に、少しでも危ない、怖いと思ったことはあったかと聞いていた、なかったと母はいった

もうダメだよ といいながら個人差は相当大きいという認識も僕にはある

104歳まで元気で生きた母を持つ父のDNAはかなり上質なものではないかと思うようになった

 

父はずっと僕の中では圧倒的な存在だった

若い頃の武勇伝、喧嘩自慢、上司を殴った話、部下を殴った話、そんな話ばっかりだった

実際に殴られ蹴られ、灰皿投げられ・・・親に逆らったやつは殺されてあたりまえだと言い放った

 

当然反発もした

というか反発心しかなかったが、はったりでないのは分かったのでただただ恐かった

そこに憧れも入っていたのだとわかったのは修学旅行先の京都で地元の不良に因縁つけられた時、オヤジならやるな、と思ってボコボコにしてしまったとき

帰るなり、京都で変なのに絡まれたからKOしといた とこともなげに自慢して父の満足げな顔を見たときはなんともいえない嬉しさが湧いた

30近くにもなって急にプロボクサーになり、サプライズでデビュー戦に呼んだ時も驚きとともに喜んでた

あれはオヤジのためにやったんだ

・・・

 

4,5年前まで、信じられないぐらい頑張って畑を手伝ってくれたっけ

その頃はまだ不耕起自然農の大変な作付けをおれと同じペースでやってくれたっけ

 

この先30年、そんな風に動くために・・・むしろ薬という文明の利器の力を借りることで、思う存分動けることを願う、父に少しでも近づけることを願う・・・

 

すごいと思う

価値があると思う

そして感謝

過去に軽蔑したことのあるものすべてに