真夏の戦いは1分を超えて続いた。
炎天下の腕相撲、焚火の前、体感40度超え、身も心も燃えた・・・。
5月にも来てくださったお客様ご一家が再びのご来訪、2度目のBBQ堪能中に切り出した。
腕相撲やりませんか
前回も言った。でも後でと言っているうちに忘れてしまった。
なので、今やりましょう・・・
いや、僕はさほど強くはない。
だけど勘でわかる。
いい感じになる相手だということが。
勝ち負けはどうでもいいです
その一瞬、触れ合った肉体が力を出し尽くした末に得られる境地、それが好きなのです
(ボクシングの試合で1ラウンド目にダウンさせた相手が千鳥足で自分のコーナーに戻っていくのを見ていて2ラウンド目は相手の回復を待とうと考える男です)
・・・
さて、そして話しは畑のこと。
マルチをすればいいのかなぁ、と考えることもあります
春の地温は上がり草は抑えられる、作物の生育は間違いなくよくなるでしょう
この暑い夏が始まったとき、夏野菜の多くがまだできていない、なんていう情けないことはなくなるんじゃないかとおもいます・・・。
思えば不耕起栽培の野菜作りを始めたはもう15年前。
それから10年経って耕起をはじめた。
作付け時の負担がぐっと減った。
その後の草管理は予想どおり大変だが、もう今から不耕起には戻れないだろう。
さてそこで・・・
草が芽を出すそばから削り取ってしまう、または耕してしまう、のが常套(上農)手段である。
除草剤はホームセンターや100円ショップの店頭に並んでいて、ごく一般的なものらしい。
化学肥料を使えば生育スピードは格段で草に追いつかれないのかもしれない。
不自然な生育スピードは虫害を増殖させるのかもしれないが、良い農薬も開発されてきたようだ。
そしてマルチ。とりあえずこれは今や野菜栽培の必須アイテム。無農薬なら猶更かもしれない・・・。
この15年を振り返ると、ずぶの素人が原始の農業からその後の農耕の歴史を身をもって学習しているようでもある。
ただ、僕の中の消えないもの・・・なんだろう、競合、共有、尊重・・・その類のロマンというか・・・
野菜の一人勝ちに対する違和感、競い合う相手のない野菜に感じる寂寥感、市場の立派な野菜の”意義”への不信感、そんな様々なものが僕に”草を生やす”よう仕向けている。
僕のもつ強さへの憧れは、強い野菜を育てたい願望でもある。
強い野菜というのは抽象的で個人的な感覚だけど、それを食べて栽培夫の僕には明らかでない感覚まで伝えてくださる方々の存在が、ずるずると現代の”一般的なもの”を踏襲せずに踏みとどまっている最も大きな理由かもしれない。
個人と個人の触れ合う深い感覚があるのに、それを無にしてまで農業をしたいと思わない。
・・・だから踏みとどまる。
頑張れる。
ありがとうございます。
“熱きバトル” への2件のフィードバック
だから、高橋さんのお野菜たちは美味しいんですね。
ありきたりの表現だけど、『美味しい』がやっぱり一番フィットします。(夫は『うまい!』が一番しっくりくるみたい)
いつもありがとうございます(VuV)
きっとそうです!・・・多分。
違いについては自分ではよくわかりませんが、何かあるはずと思って頑張ってます。