思いっきり楽しんで、生き抜いた巨星にお別れの挨拶をしてきました。
楽しいから・・・。
楽しいから、あれだけの人があそこに集い、そして愛されていたんだな。
実はやっていることは誰よりもストイックだったんだけど・・・。
我慢しよう、ストイックに生きよう、と言われたって、はいわかりました、なんて誰が言うものか。
10日程前に最後に交わした会話が鮮明に蘇る・・・。
「いやあ、暑い暑いって、あっちもこっちもクーラーばかりつけているから余計暑くなる。少しは我慢しろって思うんですよね」
これは僕がよく言っていたこと。以前ブログにも書いたが、そんな思いをぶつけてみた。
「我慢我慢っていったって、東京辺り住んでみぃ、クーラーなしでなんて無理だぜ」
返事が予想外で僕はやや戸惑った。
「でも出来るだけ我慢することも大事じゃないかと思うんですよ」
「我慢はよくねえなぁ」
「・・・」(動揺する僕)
「問題は別のところだぜ」
・・・・
確かにそうなんだ。
そして、僕もだし、誰もが感じていても直視することを避けてしまうその「別のところ」に、どれほど潔く立ち向かっていたかを改めて思うと胸が熱くなる。
長い間、田舎の片隅で、ここには、これには、こっちにはこんな心地よさがあると、新たな発想を与える取り組みを、文字通り身を粉にして、でも楽しんで、楽しさのオーラでもって大勢の人を引き込んで、それをライフワークとされていたことが、今になって実感として身に染みてくる。
俺は我慢する、お前だって我慢しろ、なんて言われたほうは不愉快に違いない。
お前だけ我慢してろ!といわれそうだ。
人間だけでなく、どんな生物だって心地よさに向うのは当然のこと。
そこは追うところではないのかもしれない。
さて・・・これから僕は変われるかな?どうだろう?
きっと、自分の性格を変えることは難しいものだけど、他者や社会に対する考え方のスタンスは、考え直さなきゃいけない部分がありそうだと感じた、あの猛暑の日、炎天下での会話は貴重な時間だった。
心からご冥福を祈ります。
“脱ストイック” への2件のフィードバック
高橋さんにとって、とても大きな存在であった方が
亡くなってしまわれたのですね。
亡くなって急にその大きさが実感されます。