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栽培の行く末に願うもの

 

17,8年前に林業で田舎暮らしを、と思い描いた時に移住先の第一候補だった熊本で起きた大地震。その災害が引き起こしている様々な状況を想像すると胸が痛みます。

この前の自然賛美のブログ記事に反するように、大きな自然災害が人を大変な困難に陥れていて、またいろいろ考えさせられます。

 

しかしながら、すべての基盤である自然を恨むのは筋違い。

いつどこでこのようなことが起こるかわかりませんが、自然を慈しむ心は常に持ち、享受して毎日を暮していけたらと、遠く離れた平和な場所で思ってます。

 

  

 

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外は雨がかなり降っているので、昨日畑で考えていたことをまとめて書いてみたいと思います。

 

 

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昨日畑での作業はニンニク周りの除草。

こんな感じ…

 

 

 

Img_3203  

 

収穫まで2か月、ここから肥大期に入るこのタイミングは欠かせません。

さじ加減は試行錯誤の繰り返しを経て心得ているつもり、取りすぎず残しすぎず・・・。

 

 

この作業中をしている時、Tさんの言葉を思い出した。

ネギの土寄せすごくしっかりしてるんですね・・・私は植えるだけですけど

 

僕は、

そうです、ちゃんと売れるように育てなきゃいけないので…でもそれもいいですよねぇ きっとたくましく育ちますね

と返した。

栽培方法は僕と自然農のTさんでは違っている。もちろん良い悪いはない、方向性は共通点あって相違点もあり、栽培は違うということでいいと思う。

栽培に関して、ネギに限らずほとんどの野菜の生育を促すのに土寄せは有効な手段という認識を僕は持っている。そして不耕起自然農で土寄せをするのは難しい。

理想としての自然農のイメージは今も持っているが、例えば青々とした草の中に野菜の種を落としてほったらかしておいて育ってくれるものだろうか。その中を奇跡的に超たくましい野草の様な野菜が育つかもしれないが、その確率が限りなく低いことは確か。

そうして不耕起草生栽培の試行錯誤は始まっていく。 

栽培となれば、その主は誰もが作物に愛情を抱くはずだが、一番大事なのは、その栽培の行く末に何を願っているだろう、というところ。そこがそれぞれで異なっていたりする。 

 

僕はずっと長い間、野草のような、たくましい野菜を育てたい!と安直に言っていた気がする。

今考えると、実はたくましい野菜を育てたいというより、美味しい野菜、食べる人に有益となる野菜を育てたい、そのためにたくましく…という方が正しい表現ではないかと思う。

そして最近はストレスを与え乗り越えるさせること=たくましさを形成することとは必ずしも言えないと思っている。

幼少期には注意深く適切なサポートを施す。成長期になればまず充分な栄養分は必要であるし、同時に多様な自然界の厳しさの中で自立し、そうしたなかでたくましさを身に着けていく。その様子を過干渉過保護を避け見守っていく・・・

という栽培。それが僕がなすべきことではないかと思っている。ごくありきたり・・・まあ人間に置き換えても当たり前のこととも思うが。

 

 

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農家として食べる人に有益となる野菜を、(たくさんの喜びと自分の現金収入のためにも)沢山作りたい。

農家の生活は大変だが、ただ(高く)売れる野菜を沢山作るということが、僕が望むことではない、ということ。そこは大きく違う。

ベースにあるキーワードは”健康”と”美味しさ”である。

 

Tさんの様な方に認められる野菜。そして台所に立つ自分、食べる家族にとって有益な野菜を育てたい・・・それが僕の願うこと。

様々ぶれまくるタイプの僕だけど、そこはぶれずにやり切ることで生活も成り立つのだと思っている。

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晴れてきました。畑に出ます。

 

うまく書けたのかわかりませんが、

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

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