奇麗になったぁ、と喜びの声。
植木屋冥利に尽きる瞬間である。
ここの庭、何年か前に初めて来たときは数年放置された木もあり難しかった。
不要な枝を剪定し、だんだんと形よくバランスよく、自分の嗜好じゃなく、受け入れられるように・・・。
だけど、何か不思議な気持ちもする。
自分が奇麗に仕上げたってこと。
僕は何をやっても奇麗に出来ない男だし、おまけに服も、顔も、手も足も、部屋も、車も、小屋も、畑さえ(とっちらかって)汚いと、よく人からいわれる。
だが、植木屋という職業に必要なものは、思うに、美的センスが5割、技術3割、体力2割、といったところだから、施主が喜んでくださったなら、こんな自分にもあるんだなぁ、美的センス。
そうなんですよかわさきさん(古すぎ?)!眠らせているだけで、いろんな部分が自分にはあるんです!
褒められたことは、出来るだけ記憶に留めて、自信の貯蓄に致しましょ、これ大事。