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儚い命の尊さ

 

雨が上がると鶏達のお楽しみの時間だ。

少しずつ移動しながら地面を掻き続ける。

何度見ても全員で掻き続けている。

時々何かをつついてそして丸呑みする。

それはミミズ。何より美味しいらしい。

 

あっさり食べられてしまうミミズの儚さよ、されどその分も鶏の命が輝くのだから自然の摂理なのだと納得する。

命あるものは必ず死ぬ。鶏達だっていつか・・・。

 

畑では今日もジャガイモのテントウムシ捕殺から。

葉を食べつくしているヤツらは食欲という本能を満たしているだろう。

性欲も満たして子を宿したのだろう。葉の裏を見れば今日もおぞましいほどの量のベビーラッシュである。

成虫は葉の表面にいて食べ続けている。

 

 

子も親も片っ端から一網打尽とばかりぶっちゅぶしていた。

さすがに親は簡単には殺せない。不用意に手を伸ばすと転がり落ちる逃げ技を使ってくる。

ただし中には食事に夢中で全く気づくことのできないヤツ、気づいたが運動神経が劣っていてうまく逃げられないヤツもいたりする。

2メートル先に魔の手が忍び寄っていることに気づき、さっと空に飛んでいくようなすげーヤツもいて、同じ姿かたちに見えてもずいぶんと個性が違う。

 

翻って子は、べったりと葉にしがみついていてほぼ動けない。だから始末に造作はない。

へっへ今日は何匹殺めるか、なんて調子に乗って始めたのだが・・・途中で手と身体が止まってしまった。

もうやめよう・・・自分でも信じられなかったが、不意に涙が出た・・・

 

 

帰宅してテレビをつけると折しも豪雨による災害で死者多数というニュースが目に飛び込んできた。

命はほんとうに儚い。

テントウムシの命、ミミズの命・・・さらに鶏の命、自分の命、自分に近い人の命、見ず知らずの他人の命。

命に違いはなく、いつか必ず尽きるもの。だからこそ命はすべて尊いもの・・・。

 

まずは身の安全を確保してください!と言うまでもなく、生きるものすべてには生存本能が備わっているのに、それに反して不意に絶たれる命がある。

 

鶏が活き活きとミミズを捕らえていたように、自分の本能が他の命を絶った、のは自然の摂理。

だけど僕のテントウムシ捕殺はどこまで許されるだろう。

必要最低限の捕殺って何が基準だろう。

得意になって・・・

本能を失っているだろうか・・・。

 

なんかもっと良い人間・・・ではなくて良い生物になりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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