百姓はやることがいろいろあって楽しいなぃ(方言)
正真正銘の百姓だったみさいずさんがよくそう言っていたと聞き、それを思い出して支えられる。
百姓見習い中の身で、いろいろありすぎると苦しく感じてしまうとき。
秋から冬にかけて寒冷地の農村は忙しい。
畑の作物の取り込み、庭木の手入れ、薪づくり、保存食づくり、タイヤ交換及び車の点検、家屋の補修・・・様々なことを本格的な冬の到来の前にやってしまわなければと焦る。
僕は本業は農業と言いながら、高齢化の進む田舎にて何でも屋のように様々な仕事をさせていただく。
さほど器用なわけではないが、百姓見習いとしては基本何でもやりますよ、というスタンスでいる。
”植木屋”を中心に年々仕事量は増えていく。
その量が問題なんだ。
楽しいと苦しいの境界線があるに違いない、自分の能力に応じてそのラインがあるんだきっと、と考えていたのだが、どうやら違うとこの頃感じるようになった。
問われるものは、楽しむ意欲を持ち続ける決意だと。
たくさん仕事があって楽しいなぁ、とただそう思えるようになりたい。
苦しさに楽しみを見出す能力が最も大事な能力かもしれない。
百姓とはきっとその能力に長けたものだけが成り得るもの。
いつか書いたように→、僕が歩むべきは苦しいようでも楽しい道、道楽なのだ。
・・・・
大豆の山を前に、飲まれることなく叩く
喜んで!
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鶏達と日向ぼっこ この3分間のリフレッシュで1日頑張れる!
夜のうちに朝食づくり(鶏の)
手抜きなしの主食:玄米大豆炊き込みごはん胡麻塩振りかけ
彼女たちの健康が僕の幸せ!
明朝は放射冷却、かなり冷え込むそうな。
寒くても澄んだ空気が心地よいだろう。挟む手を一瞬休め、5メートルの松の木上から真っ白な浅間山眺めよう。