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常套手段に行き着く

 

大豆の脱穀作業。

からからになったものを地道に叩いていく。

よほどマメじゃなきゃ出来ない豆仕事だが、それでも例年よりはスムーズだし楽しい。 

 

今年は、以前山で枝打ちしたときに持ち帰り作ったさわらのつえを使っている。

重さや形状が、隣の畑で毎年大豆をたくさん栽培するおばさんの使っていたものに近いものを選んで引っ張り出した。

ベテラン農家の常套手段を今頃見習っている。

 

この2年ぐらいは100円ショップで買ったミニ熊手を気に入って使っていたが、今にして思えば、打撃部分に力が伝わりきれない感じだった。威力がなければ豆が出きらず残ってしまう。

竹のしなりが効果的だろうと思っていたが、しならせる部分は先端よりもっと手前でないと、インパクトまでの加速が不十分だろう。

竹刀より木刀の方が当然威力がある。そして剣道の面打ち同様、要点は手首(スナップ)を柔らかく利かせることだ。

 

最近時々考える。

自分の思い付きが先人の知恵を超えることなんてことは、皆無ではなくとも非常に少ないな、と・・・当然なのだが。

なぜ耕すんですか と聞いたら、耕すものだから耕すんだよ(けっ) 

とめんどくさそうに答えた以前勤めた農業法人の親方風に言えば、

こういう棒で叩くもんなんだよ(けっ) てとこだろう。

 

素直に、まず基本を学ぶという姿勢で入るなら、結果として自分の周りのいろんな展開もスムーズに動いていくのだろう。あらゆる面において「基本が大事」であることは明らか。

だが人に習うことが出来ず、ノウハウがあるとことごとく反対を探してしまう性格を、今更変えるに変えられない僕は、基本点にたどり着くまでにどうしても時間を要する。ハハハようやくスタート地点だね、なんて・・・

 

 

だけどね~

いいじゃないっすか。

その時間は無駄じゃない、極端にいえばそこが醍醐味っすから。

引き続き自由人でいさせてもらいまー。

  

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