年に1度の山の下草刈りをする。
10年前から管理をしながら好きなように使わせていただいている5反部程の山林。
毎年5月にやっているのは、暑くなく寒くなく虫が纏わりつかず藪に圧倒されない、より素晴らしい空気を楽しめる時期だから。
至福の時といっても言い過ぎではないだろう。
5月は毎年バタバタと忙しさに終われる時だが、そんな合間の1日・・・いや年々作業が早くなっているので今年は3時間ちょっとだったが、何もかも忘れて童心に還って、というか獣心に還って人の気配などは全くしないところで過ごすのだ。
自然農の畑もいいが、山は自然の息吹が格段に色濃く感じられる。
10年前から、管理しながら好きなように使わせていただいている5反部程の山林で嘗てはインディアンテントを作って自炊したり、ツリーハウスを作り始めたりと、よく遊んだ。
10年前は土日休みのサラリーマンだったので。
ここを自分好みの山にしようと考えた時期もあった。
何年か前の除伐作業は1日がかり。7、8時間も刈り払い機回し続けた。
食べられるもの、実のなるものだけ残そうなんて考えて、他は刈り払って悦に入っていたものだった。
だが、今は全然違う感覚になった。
食べられるものだけ残そうとしても、そういう結果にならないことを体験してきた。なるわけがない。なんと馬鹿げたことを・・・と思うに至った。
そして自分の浅はかな企みと、森の余りのスケールの違いを体感するのは、妙に清清しいものだと感じる・・・。
ところで、自然農法といわれるものと関連して、よく出てくる話しがある。
森の木々を見てごらん、あんなに育っているだろう
森は充分な地力を蓄えているんだね。ならば森に近づけよう、野菜が育たぬわけがないだろう・・・
というような話し。
確かに、地力という観点に絞ってみれば合点はいく。
だけれど、今思えば、全然違うレベルの話だな、と。
森の中、人間等立ち入ることのない数十年のドラマを経て、そうして大きく育った木という結果を眺めて、それなら野菜が育たぬわけがないなんて、なんかピンとこないな、おかしい感じがする。
いや、なんか変わっってきているのかな、俺も。
畑では種蒔きに始まって、日々野菜の生育に細心の注意を向け、そこで目にするものに対して一喜一憂し、そうして収穫にたどりついた時には、さあ来年は!なんて考えている。
そしてそして、いろいろなものに追われる日常もある。
毎日の暮らしに精一杯のちっぽけな自分。
おこがましいので、自然農とか、自然農法とか、できれば使いたくないな。