首相が変わるようだが、僕の中にも変革が起こっている。ジャガイモの栽培に関して・・・。
例年通りの草だらけのジャガイモ畑だが、1株1株手鍬を使ってしこしこと耕して土寄せをした。
収量増のためにどうしても必要だと思った。草を絶ち土を盛ればそこが収穫ゾーンになる。
穴を掘り、イモを置き覆土して、後は草刈り草寄せって・・・自然農をする人がやっている主なやりかただが、そんなことで収穫量が上がるものではない。家庭菜園時代の2003年から7年間そんなふうにやってきて、いまさらにして思う。
手抜きではなかった。今までのやり方は決して楽ではない。耕して植える場合の3倍は疲れる。そして3倍遅い。さらにいちばん困るのは収穫量が3分の1・・・サザンが9倍!といってそんな値段で売れっこない。
販売農家には向かないかもしれないが、家庭菜園ならこれほど楽しいものはないって本当かぁ、おい。
最初の1,2年は確かに、自然の力だけでちゃんとジャガイモができた!って喜びも感じるかもしれない。
でも3年4年、後からはじめた御近所さんがとなりの畑ででっかい芋がんがん採っているのに、収穫量は上がらないけど楽しくて・・・って、いつまで本心から、そう言っていられるか。
まぁそんなことで、まだ夏野菜の植え付けも全然終わっていない貴重な3日を、種芋70キロ分の土寄せに費やした。もう不耕起ジャガイモとはいえない。恐らく今までとは全く違った収穫になるはずだが、やはりこの時間は変えがたい。
管理機を買おうか、と真剣に考え始めている。
そのことはこの間のアースデイマーケットに行った時、"自然農”で参加されている方に思い切って話してみたが、全く腑に落ちない、という顔をしていたっけ。
軸がぶれてる、なんて言われるかもしれないが、もともと僕にはそんな大層なものはないし、むしろそんな自分の中に、軸のようなものを築くためにも、可能な限りのいろんな試行錯誤をしてみようと思う。前向きな気持ちで。
※念のため、不耕起の素晴らしさはジャガイモ以外で充分に知っているので、耕起栽培を中心にしていく、ということにはまずならないはずです。
あの川口さんの書物など、大きなものに接すると、自分が大きな何かを掴んだような、或いはすぐに掴むことが出来るような気になるが、実際はそこに届くまでには作者が費やしたのと同じ程の時間がかかるものなのだと思うようになった。
先人が並々ならぬ苦労の末手に入れた答えを、目の前に差し出されたとしても、それを自分の答えとしてものにするためには同じような苦労と模索の道を通る必要があるのではないか。
そしていつか気がつかないうちにそこに届くのかもしれない。
模索を続けているうちに。