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支えられて育つ

  

Tsuchiyose528

 

茎ブロッコリーの土寄せ作業をしているところ。

この作付けラインは耕起した。

 

不耕起栽培では出来なかったが、野菜の生育を促す為に土寄せは欠かせないもの、とは思っていた。

例えば小松菜なんかが発芽して暫らくして込み合ってきた芽を間引く時、残った苗にすっと指で土を寄せると、その後の生育が明らかに違ってくる。それならやれた。そして効果を実感していた。

耕してあると土寄せが出来て有難い、というのが今の正直な気持ち。そして野菜も喜んでいるかな。

逆に野菜の生育条件が整いすぎかなぁ、なんていう変な違和感を覚えもするが・・・

いやいや、これでいいのだ。生育させたくて栽培しているのだ。しっかりするのら。

 

さて、こういう野菜生育の為の栽培技術に割く時間は、実際のところ、これまではあまり取れなかった。

この時期は特に、自然の旺盛な生命力としのぎを削っていた印象ばかり。

植え付け草刈り、植え付け草刈り、植えながら宿根草の根と格闘し、草刈り機は1日に8時間ぐらい回していた時も結構ある。作物が草に飲み込まれないように守ることだけで精一杯だった。

 

でも、耕した方が良い、楽だ、とそんなことをいうつもりではない。

耕すことは機械とセットであるように今はなっているけれど、人力で、鍬を使って耕すとしたらそれがどれほど大変か・・・そもそもが最小限のエネルギーで、という発想から不耕機栽培は生まれたのだと思う。そこに農業機械の発達に対する価値観の転換、という大きな意味も伴っていた。

元々大昔は不耕起だった、だろうが、わりと早い段階で、議論の余地なく耕す方にシフトしたという気がするので、不耕起は新しい取り組みという認識を僕は持っている。

拠ってその栽培技術の開拓を大事なものと思うし、追求する友を応援している。

 

僕の場合は先日カミングアウトしたように、心の奥底では、前職以上の収入は絶対条件と思って始めて、意地になってやってきたような人間だから、毎日機械駆使して、おかげで(自分で言うのもなんだが)神業レベルまで草刈り機扱えるようになったけど、あれに比べればずっと今の方がいいなぁ。

草刈り機、今日は1時間ほど使ったけど、まだ今シーズンに入って3回しか動かしていない。

 

で、やはり過酷だったよなぁ、去年の一昨年のその前・・・の、あいつら。頑張ったな。

支えがないどころか、幼少期から常に争っていた・・・。

 

そんなことを思い出しながら、すくすくと育つ為の支えを構築していく。

1つ気がかりは、収穫物の雰囲気は・・・どう違うか・・・ものすごく愛せるか・・・

 

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