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決めていたけど・・・ 他

 

 
お湿りがきた!
そして気温も高い。
俄然やる気が出てしまった・・・出てしまったというのもおかしいが、まあ、性格というか、がらっと気分が変わってしまう。
 
 
そして、まずは週間天気予報を改めてチェック。
遅霜の心配は・・・あるとすれば17日(金)朝の気温がやや低めだが、それでも6℃の予報。
うん、大丈夫、大丈夫だぁ 頼むよぉ
 
これまで何度となく騙されてきたのは記憶にあっても、イケイケの気分に乗ってしまおう。 
雨中の作業も暖かければなんてことはない。
本日、枝豆、モロッコインゲン植えました!
 
 
へへ、あれだけ堅く決めたつもりでいたこと(植えるのは5・15以降)も、いとも簡単に変えてしまうが問題なし。こういう点はきっと1人仕事の身軽さなんだろうなぁ。明日も明後日も夏野菜定植作業で決まりだ。
 
 
 
 
 
・・・・
 
ついでに、植えながら考えたことを少し・・・
連作障害はあるか、ということについてだが、僕の栽培法では有り得ないと、いや、いつも殊自然界の現象に関して”断言”は禁じ手のように思っているのだが、これに関しては断言してもいいんじゃないか、すべきじゃないかという思いがある。
 
 
連作障害自体は重い。
偉大な先人が、長い間の苦労の末発見し考察を深めてきた法則なのだと思う。
 
 
でも、僕にはぴんと来ない。
栽培作物は沢山の植生の1部。そこでの共生、競争の中で育っているのだから、連作???(何?)と感じてしまう。
”自然農”をされている方々が何故そのことを誰も大きくは言わず、むしろ”自然農界”の大御所でも連作は避けるべきというニュアンスなのか。少し疑問である。
そのために僕も暫らくの間それを”決め事”のように考えていた。
 
 
また、こういう話もある。
”自然農法”といわれるものに流派があるのだが、1つには敢えて連作に拘り、種は自家採取を徹底するという栽培に取り組まれる方々がいる。
圃場では、ものすごくいいものが採れるのだと、何度か人づてに、そして書籍を通して見聞したことがある。
 
こぼれ種で生命が更新されていく、自然界の原理を踏襲した”自然農法”。確かに理にかなっているように感じるし、興味深い話ではある。
 
 
 
だけど僕は、もっと自由にやってみようと思っている。
自然界の種はその場にこぼれるばかりではなく、風で舞ったり、鳥が運んだりするだろう。自然界=連作ということではない。
結局のところ連作でなくても、連作でもできているのだ。
 
 
 
身体をフルに使い、感性を尖らせて、苦労も多いこういう栽培をしているのだから、連作を避ける、とか連作に拘る、なんて一切考えないでやったらいいではないか。
 
 
・・・・
 
雨中の植え付け作業中、こういうことを考えていたのは何故か・・・ 実は、昨日、僕と同じような栽培を近くでやっている方がひょっこり見学にやってきて、少し悩んだ様子で、去年マメ科やった場所でまた豆はまずいかなぁ、と言っていたので、僕は、それほど気にしなくていいのではないか、と言ったけど、違ったかな、もっとはっきり断言してあげたかったな、と言う思いがずっと頭に残っていたのだ。
 
 
今日僕が枝豆を植えた場所は、去年も枝豆だった場所。でもそれよりも毎年毎年モジャモジャと、カラスノエンドウ(マメ科)が生い茂り、クローバー(マメ科)が所々群生し、葛(マメ科)の根が蔓延っている手強い場所である。
 
勿論、うまくいくと信じて植えた。
 
 
Uetsuke511
 

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