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1人で生きる訳ではないから・・・

 
難しいのはそこだ。
僕が足りると思うことが、家族は足りると言うか、社会は足りると言うか、というところ。
 
この感覚の共鳴は相当な難題であって・・・相手に合わせるか、我が道を行くか、その間に入り、いかに調和を取るか。
何処で自分は満たされるのか・・・。
 
社会の中で生きていくにあたって、”貪欲”であることが重宝されることを見聞する。
社会の発展や成長という言葉は拒否反応を起こしてしまうが、自尊心を育てる為、自己実現の為、自分自身の幸せな人生の為、それら一括して人間の本能の為、と言われれば、そういう要素もあると思う。
目的、目標の設定と、そこに向かっていくことの大切さを、先日語り合ったKちゃんは言っていた。 
なるほど、そこを追い求める貪欲さを持て、という論理には説得力があった。 
 
一方で、僕が大切に思う「足る知る」という言葉。凄く感覚的な言葉だと思う。 
同時に、そこには”快”(心地よさ)が存在していると感じる。
 
足りないと思えば不快になる。
不快だとしたら我慢になる。
我慢は良くない、と人は言う。
人は皆、もう充分!という”快”を求めて生きているのかもしれない。
改良、改善、もっともっとと。
 
文明といわれるものが、凄いスピードで進み、そこには大きな価値が見出されている。
時代は便利さを追求し、便利を覚えるほど、山積みになる不便は葬り去られる。
だから僕は今の身に持つ以上の便利は、なるべく手に入れずに生き”られる”ことを願う。
”られる”といったのは望まずに手に入ってしまう便利があるからだが、それよりも時代に葬られていく不便の中に、本当は宝がいくつもあるのだから。
 
例えば、1つ大きなものとして、身体能力とか反射神経、直感といったもの。
人間が地球上に誕生し、数え切れないほどの他生物と共に営む暮らしにおいて、そこから離れるという絶望を迎えない為に、何より失いたくないものなのではないか。
 
足るを知り、大切な感覚を失わずに生きていくこと。それが、個人的だが、僕の目標と言えば、けんちゃんどう思うかな。
対社会に関しては・・・そこで貪欲にならなくてはいけないのかな。 う~む書き出しに戻ります・・・。
 
 
さてと、雪かきに行ってこよう。
市の予算で、この冬は除雪車による除雪が縮小され、僕は良いやと思ったけれど、この山には高齢者や女性単身者も居て、そういう方は理不尽と思うはず・・・。
ともかく、身体一杯使って雪かきしよう。
大分身体がなまっている。 
 
Karennda
 
 
しかし、早いもんだ
もう2月中旬、1年の7分の1過ぎた
1月はいく、2月はにげる、3月はさる
だから早いんだって、
幼稚園の時、みずませんせいっていう
すごく美人だった先生が言っていたっけ
40年前か~およよ
さあ雪かき!   

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