さあご飯だ、テレビを消して!
こう言って促すが、最近素直に言うことを聞かなくなった。押し問答の末激昂し泣かせた。
その時、思いが自然と言葉になった。多分初めて・・・・
おい分かるか、この魚、人間の口に入ると分かって生きていたんじゃない。ただ一生懸命生きていたんだ。生きる為に必死でもっと小さい魚を捕らえて糧にした。あ、栄養にした。
人間はこの魚から栄養をいただく為に殺して、こうやって食べるんだぞ?ちゃんと集中して食べなきゃだめだろ。人間はあまりに偉そうじゃないか。当たり前のような顔してテーブルいっぱいに食べ物はべらせて、テレビ見ながらかぁ。そんなのオレは嫌だぜ。
この人参がどれだけ頑張ってここまで育ってくれたか・・・それはオレが見ていた。知ってるぞ。そんな食べ方されたら・・・どうなんだ・・・この辺りで不意に感極まってしまう。
いや、偉そうにいえる身分ではないことは重々承知している。こんなこと農業やるまで、7、8年前まで考えたこともなかった。実際テレビ見ながら育ったようなものだったし、食べるのに必死だった覚えもない。
だが、自分が今抱いている素直な思いを言うのに、それも自分の子に対して遠慮することはないはずだ。
「いただきます」
2人の涙乾ききらず、無言だが、雰囲気が変わった。
親子の感覚の中で、何かが伝わった、と感じたことが、妙に照れくさいが嬉しかった。