隣接した畑奥から我が畑に向かって撮影。
草1つ無い大きく育ったジャガイモ畑の向こうにうっすら見えるのがうちのジャガイモ畑。
良く見えない、間違いなく・・・というかよく見えないかもしれない、何を栽培しているのかさえ。
不耕起のこういう栽培を(それもなりわいとして)やっていきたい、と思い始めた時からもうすぐ8年になる。
この8年に向けられてきた好奇の、蔑みの、嘲りの、同情の眼差し。それらを感じながらも、気に病むということはなかった。ただ、言わせとけばいい、思わせとけばいい、そう心で思いながら、表面上折り合いをつけることには苦労してきたかもしれない。先方がたとえ村の長老だとしても、僕の方でも認めようとはしていなかったから・・・農薬、肥料ドバドバ使って誇らしげに収穫するのは、気味が悪いほどの大きなやさい。
変わり者に見られているとは思う。
だが、もしかしたら、ここにも先日話題になった作家のスピーチが当て嵌まるかもしれない。
非現実的な夢想家のレッテルには屈せず、誇りを持って生きなきゃいけない。前時代的な価値観につぶされず、そして媚びずに・・・ この堂々たるジャガイモのように・・・。
(不耕起だが芋のできる場所確保のため土を寄せている)
・・・・
大きくて形の良い素材に慣れてしまえば、小さくていびつなやさい、扱いづらく面倒かもしれない。自分で料理を担当しているわけではない後ろめたさもあり、手間のかかる素材で申し訳ないです・・・という気持ち、今まで全く無いわけではなかった。
でも、素材は生き物であり、それを「食べる」という行為をは生きる源である。「料理」はそこを演出する重要な役割を担っている。余分にかかるかもしれない時間の中には、その分だけ思いを込められるような気がする。
効率を優先すると弊害を生じる。
社会の中で新しい価値観がどんどん広がっていけばいい。
消費者が変わり声を上げることで、生産者は変わっていく。
そして時代は大きく変わらなくてはいけない。
大きな社会の小さな片隅で、黙々とマイペースに働けることを望み、始めた農業だが、そのイメージは今すこし変わりつつある。
“他所の畑良く見えない” への2件のフィードバック
パチ・パチ・パチ・パチ・・・
高橋さんはじめ、未来へのあたらしい意識、価値観をもって生活する若い人に
よく出会うようになってきました。とても嬉しくなります。
昨日、雨でしたが千葉県君津市で自然農を続けている仲間の田植えを手伝ってきたら
元気が出てきました。不思議。
リーダーの友人は70越えてますが。
いや、恐縮です。
えつおさん、田植えできるまでに回復されたのですか!良かったですね!これからまたエネルギッシュに動き回るのでしょうね。
40そこそこで泣きごと言ってる自分はほんと情けないです。
これからですね。
こちらはそろそろ桑の実の時期です。