うまくいったためしの無い春まきのほうれん草を、今年はかくれ一等地と考える窒素肥料分溢れたニセアカシア林伐採直後地に作付けした。伐根を避け、張り巡らされた根は、じゃまなものは地から切り抜いて溝を切り、種を降ろす。
例年大きくならずとう立ちしてしまうが、この肥えた地でどういう結果が出るのか、興味深く、勿論期待は大である。
半分本気で半分は実験、いつもそうなのかもしれない。
そして自然の答えを待ち、受け取り、対応する、そんな日常は厳しく楽しい。
定期的にやさいを買っていただいている方の言葉「たかはしさんのやさいは贅沢品なんですよ」を僕はあえてもったいないぐらいの褒め言葉として受け取った。
原始的ともいえるような方法で栽培し、収穫量も大きさもある程度以上にはならず、値段と量のバランスから確かにそういう意味で贅沢品なのかもしれない・・・
・味にも別段はっきりとした特徴があるわけではないと思う。
・安心、安全はこれからどうだろう。目に見えない放射線の問題から、どうもカップラーメンの方が安心なのではないか、なんて。
カップラーメンといえば、報道によれば被災者の命を数多く救っている。極寒の中、身も心も衰弱した状態で味わう1杯のあったかいカップラーメンはどんなにかおいしかったことだろう。
うちのやさい?無力、こんなとき全くの無力。
でも、そこは仕方がないのかな。
今はごく1部の人の「贅沢品」ならそれはすごく嬉しい。そう割り切って考えている。「値段と量のバランス」からではなく、僕が思うことは、やさいを通して「自然回帰」のような解放感をいっぱい感じてもらいたい。そこはカップラーメンでは絶対満たされないところ、そんな機会を少しでも提供できれば嬉しい。そんな贅沢を。
努力します。ありがとうございます。