ホウレンソウと雑草。
心地よさそうに見える瞬間は確かにあるけど、猛スピードであっという間に追いつき追い越してしまう雑草という名の僕の意識の中の部外者から、大事な作物守ってあげなきゃ、と思う。
雑草のように育った野菜が食べたくて探していました!
僕を探しあてた感動を伝えてくださった方がいた。僕の方が感動した・・・そんな、オレごときが。だけど応えたいな!
たしかに僕は栽培において雑草となるべく共存させようとしている。雑草のように強く!との願いを込めている。
だけど最近思うのは、雑草のように・・・にしてはやっぱり構いすぎてしまうんだなぁ、ということ。
雑草というのは名のごとく人に構われないで勝手に育つ。だからこそ、淘汰が当たり前に繰り返される自然界を生き延びようとするたくましさが、それぞれに備わっているような気がする。
そのことをひとことでいえば、せん相田みつおだ。にんげんだもの・・・だ。
やはり人間は人間。
人間より動物の方が好きだ!と本気でよく思うが、人が犬猫鶏みたいに生きなければいけないなんてことは当然なく、人間として持って生まれた能力をいかし、人間らしく楽しんで生きることで人生の意味は見いだせるものなのだと思う。人間らしさというのは難しいが、動物的な本能を満たす以上の喜びを感じられる特性・・・だろうか。
だけど、そんな特性に基づいて進む道は先細りで、結局土台がなければ進めないものだと気づく。
喜びは”健康”というものの上にのっているから感じられるものだと・・・。
この時代の”健康ブーム”は必然というか、きっと当然の成り行きなのだろう。
そして僕はその健康に携わりたい。そう的は絞れている。
なにも大それたことではない。自分、自分の家族、手の届く範囲の人、飼ってる鶏、栽培する野菜・・・それらの健康のサポートができるなら、それだけで僕のこの小さな農業にだって大きな意味がある。
にんげんだものといわないで、いかに構わぬふりで、強さたくましさあふれる作物を提供できるか。
にんげんだけど、にんげんだから、にんげんのやりかたで、健康を取り戻してみようじゃあーりませんか。
僕はその駒の1つでいたい。