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観劇で感激 311席で 312は・・・

昨日東京まで娘を連れて観劇に行った。

人形劇だ。

311だし、みいい席で観た。

主役を演じていているのが母なので娘は恥ずかしそうにしていたが、僕は(しげき)感激だった。

・・・ああ、身も心もオヤジ化が激しい。こんなことだとこのブログ誰も見なくなる日は近いが、ちょっと楽しいので書いてしまう。

 

 

感激したのは本当だ。

変わったねと言われ、またそれか、と思ったらまさかの「なんかちょっとかっこよくなった」といわれたからだ。それが1つと、おほん、「かっこいいかっこいいオーラが・・」と近くに座った女性がずっと言っていたその入魂の演技で、ほぼ全ての観客を魅了したであろうこの劇団の代表の方はあと数日で80歳を迎えるそうだが、僕が昔お世話になった頃から何も変わらないように見えて、エネルギーを燃やし続けるってことがなんて素敵かと・・・。 

 

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原作者の追悼公演だった。

1990年のこの劇の初演には僕も役に付いていたから、昔を思い出し涙がでたりもした。

そして驚きは主役の人がすごく良かったこと。

なぜ初演のころ、それから劇団員としてずっとやっていたころより格段にうまくなってるのか・・・移住してもう15年、その間はほんのたまに手伝ってる程度なのに。

 

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他のことをしている時間にも上達する、ものなのか・・・それは、あるのかも・・・植木の仕事でそう思うことがある。冬の間やってきれいさっぱり忘れてまた1年農業やっている。そしてまた冬がきて手入れをするときに去年よりコツがつかめている気がするのはなぜだろうと思う。

1つのことにコツコツと向き合って芸とは磨いていくものではないのか・・・?

疑問だが、ざっと推測すると人生の幅、人間の幅というその横幅がキーなのかなと思う。精神のゆとり、遊びの部分、それを持つことで思考や動作にも好影響を与えるのかと。

もしかすると度重なる夫婦げんかも芸の肥し・・・?

 

まあ・・・・・またなんだかわからなくなってきた・・・。

自分の脳のある部分が決定的に機能していない気がするのです。

管理とか詰めとかをつかさどる部分、そこが切れちゃってると最近わかったのです・・・。

・・・でもまあ、僕の本業(農業)では自然が主役だから、上達論もあまり当てはまらないだろう。夫婦げんかが畑の肥しになるなら豊作だが・・・。

  

さて、一夜明け早朝急ぎ帰宅。

早朝冷えたようで水は凍っていたが、陽は暖かく一段と春が近づいた感じがする1日だった。

鶏の遊び場の面積をまた拡張し、オオイヌノフグリ他青草がいち早く繁った場所に皆を案内し、その嬉しそうに啄む様子を僕は嬉しく眺めた。ああ落ち着く。 

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・・・・・

312はサイフは落とさなかったがケータイ落としたらしい。。

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