旬のセット

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「旬のといえないセット」が長かったですが、大分旬を感じられるセットになってきました。

昨日発送のセットに沢山入れられたのはコゴミ、それと原木椎茸でした。

 

椎茸は主に春と秋に発生しますが、どちらかというと春の方が沢山収穫できます。

 

旬のエネルギーは感動的です。

収穫にあたって、質も量も想像をはるかに超えてくれることがあります。

そんな時は、何個ずつとあまり決めずに、旬のものは旬らしく、ドサッと入れたいと思っています。

 

今シーズンもよろしくお願いします。 

 

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贅沢

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旬のヨモギを沢山摘んできた。

 

洗って、軽く粉ふって、ひとつかみづつ少量のオリーブオイルで焼き、塩ちょんで食べる・・・Tさんお勧めレシピで採りたてを堪能。

  

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こういう旬の野草の風味は、感性に直接働きかけてくる感じがして、とても贅沢な気持ちになる。

 

自分は人間社会の一員だけど、根っこは自然と一体なんだということを思い出すゆえの、安心感のようなものかなぁと思う。

 

運命が自然に委ねられているということ、それは恐怖かもしれないが、安心感がもっと大きい。

 

 

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栽培の行く末に願うもの

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17,8年前に林業で田舎暮らしを、と思い描いた時に移住先の第一候補だった熊本で起きた大地震。その災害が引き起こしている様々な状況を想像すると胸が痛みます。

この前の自然賛美のブログ記事に反するように、大きな自然災害が人を大変な困難に陥れていて、またいろいろ考えさせられます。

 

しかしながら、すべての基盤である自然を恨むのは筋違い。

いつどこでこのようなことが起こるかわかりませんが、自然を慈しむ心は常に持ち、享受して毎日を暮していけたらと、遠く離れた平和な場所で思ってます。

 

  

 

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外は雨がかなり降っているので、昨日畑で考えていたことをまとめて書いてみたいと思います。

 

 

・・・

 

昨日畑での作業はニンニク周りの除草。

こんな感じ…

 

 

 

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収穫まで2か月、ここから肥大期に入るこのタイミングは欠かせません。

さじ加減は試行錯誤の繰り返しを経て心得ているつもり、取りすぎず残しすぎず・・・。

 

 

この作業中をしている時、Tさんの言葉を思い出した。

ネギの土寄せすごくしっかりしてるんですね・・・私は植えるだけですけど

 

僕は、

そうです、ちゃんと売れるように育てなきゃいけないので…でもそれもいいですよねぇ きっとたくましく育ちますね

と返した。

栽培方法は僕と自然農のTさんでは違っている。もちろん良い悪いはない、方向性は共通点あって相違点もあり、栽培は違うということでいいと思う。

栽培に関して、ネギに限らずほとんどの野菜の生育を促すのに土寄せは有効な手段という認識を僕は持っている。そして不耕起自然農で土寄せをするのは難しい。

理想としての自然農のイメージは今も持っているが、例えば青々とした草の中に野菜の種を落としてほったらかしておいて育ってくれるものだろうか。その中を奇跡的に超たくましい野草の様な野菜が育つかもしれないが、その確率が限りなく低いことは確か。

そうして不耕起草生栽培の試行錯誤は始まっていく。 

栽培となれば、その主は誰もが作物に愛情を抱くはずだが、一番大事なのは、その栽培の行く末に何を願っているだろう、というところ。そこがそれぞれで異なっていたりする。 

 

僕はずっと長い間、野草のような、たくましい野菜を育てたい!と安直に言っていた気がする。

今考えると、実はたくましい野菜を育てたいというより、美味しい野菜、食べる人に有益となる野菜を育てたい、そのためにたくましく…という方が正しい表現ではないかと思う。

そして最近はストレスを与え乗り越えるさせること=たくましさを形成することとは必ずしも言えないと思っている。

幼少期には注意深く適切なサポートを施す。成長期になればまず充分な栄養分は必要であるし、同時に多様な自然界の厳しさの中で自立し、そうしたなかでたくましさを身に着けていく。その様子を過干渉過保護を避け見守っていく・・・

という栽培。それが僕がなすべきことではないかと思っている。ごくありきたり・・・まあ人間に置き換えても当たり前のこととも思うが。

 

 

・・・ 

 

農家として食べる人に有益となる野菜を、(たくさんの喜びと自分の現金収入のためにも)沢山作りたい。

農家の生活は大変だが、ただ(高く)売れる野菜を沢山作るということが、僕が望むことではない、ということ。そこは大きく違う。

ベースにあるキーワードは”健康”と”美味しさ”である。

 

Tさんの様な方に認められる野菜。そして台所に立つ自分、食べる家族にとって有益な野菜を育てたい・・・それが僕の願うこと。

様々ぶれまくるタイプの僕だけど、そこはぶれずにやり切ることで生活も成り立つのだと思っている。

・・・

晴れてきました。畑に出ます。

 

うまく書けたのかわかりませんが、

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

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春はやってきた2

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うっかりしていると感動の瞬間を見逃してしまう。

春の生命のエネルギーがターボエンジンのように加速する。

 

今日のセットは何にしようか・・・きっちり決めないでおく、見渡せば次々に旬が顔を出してくる季節だ。

 

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さてさて待ってました!こごみが顔を出した。とても人気のある、万人受けのする山菜といったらこれが随一。

群生スペースを年々拡大中なので楽しみ楽しみ乞うご期待。

  

・・・ 

いつも土曜に畑に来て下さるお客さんのTさんが、都合上今日来訪となったので慌ただしくも勇んで畑へ乗りつける。

Tさんはいつものように箱と袋持参&作業着スタイルに爽やかな笑顔。

作物はまだほとんどないが、草の生育の勢いが付き始めた圃場を「贅沢な畑」といって元気に歩き回っている。

僕が今週はあの辺りのあれとあれが旬ですよ、などと言うと、目を輝かせて収穫に向かう。そのほとんどは所謂草(野草)とよばれるもの。僕も一緒に収穫しながらおしゃべり。これが楽しい。

かなり長いこと、だがあっという間に時間は過ぎた。Tさんいわく「たくさんのお宝」を今日も大きな箱いっぱい詰めて、こちらが恐縮するほどお礼を言って帰って行った。

 

・・・

今は野菜の少ない時期である。

野菜セットはお休み中です、という農家も多い。

だが一般的に、春は高揚感というか生命の活気に満ちた時期なのに今は野菜が採れませんというのがピンとこない、という感覚を抱いている人が少なからずいると思う。非農家の人と接するとそういうニュアンスを感じることがある。

確かにそれはわかる。この地底に秘められたマグマが噴出すようにエネルギーの充満した春という季節なのに。「畑は寂しい時期です」とか聞くと失望を感じても無理もないこととは思う。

ちょっとした価値観の変革ひとつで、自然が「贅沢な畑」を形作ってくれるのではあるが・・・。

 

無論現代にTさんの持つ価値観が主流になるとは想像もつかないが、そんなことはどうでもいい。

Tさんは確実に健康で幸せだと 醸し出すものから感じられる。

そのTさんと同じ時間と空間を共有するひととき。それは僕にとっても「お宝」の時間となってる。

そんな畑の価値を保ち続けていたいと思う。 

  

 

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あ、うっかり!これもう出てた。

ウコギ。来週はこれを紹介しなくちゃ。

 

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ロマン発掘~

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ジャガイモを植える時に出た石を並べて思いを馳せる。石器時代に。

この畑、以前から思っていたが、出てくる石出てくる石”使えそう”なものばかり。

 

ああ太古の時代・・・優れた道具を探り当てたときの喜びの大きさや、その道具をどう工夫して使っていたことだろうか、という想像中・・・

 

 

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自分の道具愛してマスカ?自分の中で、そんな風にささやく声がする。

いい仕事したければそこからデスヨ

(やっぱりきたか!)

 

どっかいっちゃって探してばかりイマセンカ?

 

確かに!

しかし、このもう1人の自分て奴の存在は時々いい気分を邪魔するなぁ。

・・・どうも厳しすぎるのと緩すぎるのがいる気がするが・・・そんなものかな。

さ、仕事仕事。

 

 

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春はやってきた

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うちの周辺の桜もほぼ満開になっています。

今年はここ数年と比べて1週間から10日程早いでしょうか。

 

昨日一昨日は気温もかなり上がったなか、まず春1番の大仕事、種ジャガイモの植え付けをしました。

いつものように、男爵、レッドムーン、きたあかりの3品種。

きたあかりだけ僅か買い足しましたが、ほとんどの種イモは貯蔵していたもの。うまく種を残せたので今年の作付けは気分がかなり乗りました。

暖かいというより暑い中で良く動いたから汗かきましたよ。多すぎる芽は掻きましたよ。

 

さて、長い三寒四温を経て、春はやってきた のに、今日の風は冷たかった。

昨日一昨日との気温差は10℃以上。

 

まあこんなもんでした。暑かったり寒かったりしましたね、いつも。その平均を取って平年並みの気温というだけで。四季なんてうまいこと区切ったものだと思いますが、季節はは毎日ばらつきながら移ろっていきますね。

まだ咲かずにほんのわずかに残っている桜の花蕾はこんな日は当たり前のようにじっと待っていますが、毎日の変化に対応することが生きることなんて、人間はとても言えませんね。

そんな人間が快適を求めることで自然を壊してしまうことが多いのだと考えると、やはり心身とももっと強くなりたいと思います。

野菜ともども強くたくましく、自然と添えるように、頑張っていきたいです。

 

  

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道楽

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市内で希少な無農薬の農業をしているグループの会議での、1人の方の話し・・・

主人がわたしの仕事を道楽だと言った、言われた時はそれが悔しかったけど、道楽って書いてみると”楽しい道””道を楽しむ” これ、悪くないじゃない?

 

そうだ!そうだね、良い言葉だ。

 

農協の指導に基づいた慣行農業を避けて始めた、自分で考え試行錯誤する道を歩んでいく面々。それぞれ自由で独歩していて距離感はさほど近くない。

長いものに巻かれることを良しとしないところが共通項か。

 

独立独歩の辛さや苦しさは楽しみに他ならない。

そう発想できてこその道楽者仲間。

自然と勇気づけあっていられたらいい。

 

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冬越しの・・・

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木曽紫かぶ。

このところの「旬のセット」に入っています。

寒い冬の間畑で過ごしていました。

覆っていた藁をどけて今日も沢山収穫です。

ずっしりとたくましさを増した実ですが、春の訪れを感じると子孫を残す準備に入ります。

 

  

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とう立ちし、花蕾を持ち始めました。

まもなく実の養分はそちらに回りスカスカになっていきますが、今はまだ実も充実を保ち、そのうえ菜花の蕾も楽しめるという絶妙のタイミングです。

土室貯蔵の野菜の様でありつつ旬といえば旬でしょう。たくましくてフレッシュという・・・。

最近はうちでもほぼ毎日これ食べています。

出荷時に、箱に詰めながら思っています。こういう食材が僅かでも、食べて下さる方の健康のサポートになれば。

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ベースは体力

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畑の中にニセアカシアの群生林がある。

今日は畑を広げるためと2年後の薪材確保のため、8本ほど伐採した。

決めた方向に倒し、3~4メートルに間切り、とびを使い雪の上を滑らせて運び、所定の場所に集める。

雪の薄く積もった状態を見て、今日この作業をすれば効率がいい、と急遽思い立った。

とはいえ、行ったり来たり、ほぼ1日がかり、なかなか根気と体力のいる作業。

こんな時、ベースは体力 ベースは体力 と唱えながら働く。

 

百姓(?)始めてから10年以上が経っている。それは試行錯誤の毎日。

今は、仕事を軌道に乗せるため効率よく、時には機械に頼りながら・・・とも思う。

だがそのベースとなるのは相応の体力であることは間違いないと思っている。その体力に気力と脳の働きは付随する、とも。

短絡的にいうと、身体が何より大事。効率的な仕事は体調を整えることから。極めて簡素だがそれが真実・・・という考え。

だからいつも向き合っていなければと思う。酷使もしないが甘やかさない・・・

そこを日々見極めたい。

  

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そしてやっぱり食事が大事。毎日の料理に気と手を抜かないこと。その基の素材は生命力溢れたものであること。その栽培をしっかりやること。そのためにも何より体力が・・・ 循環だなぁ 

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春はやってくる

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昨夜から舞ってうっすら積もった雪が強い日差しに溶けたその下に、固く身を閉ざしたまま早春の象徴が顔を覗かせている。

気温はものすごく低い。暖かいというより暑いぐらいの日もすでに経験した身体に、この寒さが堪える。

まあしかし、春は必ずやってくるもの。

それを知っているから、この行きつ戻りつに煩うことはない。

心を添わせて楽しく、良い準備をして待とう。

 

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あけましておめでとうございます

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本年もよろしくお願いいたします。

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雪の全くない暖かい新年の始まりです。標高2千5百の浅間山に被る雪も少ないです。

この暖冬のお蔭もあって年末は大晦日まで、正月も2日からは露地で気持ちよく作業しています。

休むことも大事ですが、毎日何かしら働いていた方が気分良く過ごせます。

 

この冬は植木の剪定の仕事が新たに数件舞い込み、出荷日を除いてそれにかかりきりでした。

今になって白菜や根菜の収穫(取り込み)をしています。

ありがたいことにこの時期になっても土は凍っていません。

そのうち大雪が来るような予感もしますが、その前に新たな小屋も作ろうと思っています。

 

本職は?と聞かれたりします。

そんな時はさらりと「百姓です」と言えたら良いなと思います。

まだ僕はその域にないので言えません。

  

 

 

頂いた年賀状の~ご多幸をお祈り申し上げます~の「幸」に目が留まりました。

頭がごちごちゃ言い出し思考に入ります。

理由があります。最近こんなことがありました。

ちょっとした集いの折、50歳以上は若者と言えないよ、とどなたかが言ったとき、ああ確か以前80いくつの人が60いくつの人を評して、若いのになかなか筋の通った話をする大したものだ、と言っていたなぁと思い出し、それをきっかけに思いが巡って”あらゆるものは相対的なもの”だと。アインシュタインになったかのように、相対という言葉がくっきり浮かび上がりました。

 

一般的にいわれる幸(幸せ)という言葉はまさに相対性に満ちていると思います。

 

周囲に噛ませ犬のような何かネガティブなものがありそうな気配です。

 

なのでそこではない違う場所へいく。

そこはおぼろげながら、相対的な視点で捉えられたものでない幸せのイメージが、浮かぶ場所。

なるべくそこを離れず、そしてそれが得られるような毎日を積み重ねる(多幸)、そんな1年が過ごせるようにと、まあ実際はわかったようなわからんようなですが、そんな今年の目標です。

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