発芽
学校の新学期も始まった。
4月はスタートの月、コンディションの上昇もあってフレッシュな気持ちが湧いてくる。
好きなことに集中したい。
集中できる環境を築いていこう。
好きな人に好きともっと伝えたい。
望まぬことに近づかない強さを持ちたい。
もっと自分を出せたらいい。
出せると思う。
勇気と元気、自信の芽が育ち始めた気がする。
大事な野菜の芽も久々のまとまった雨で・・・!
さ、畑行こう。
小梅が満開
学校の新学期も始まった。
4月はスタートの月、コンディションの上昇もあってフレッシュな気持ちが湧いてくる。
好きなことに集中したい。
集中できる環境を築いていこう。
好きな人に好きともっと伝えたい。
望まぬことに近づかない強さを持ちたい。
もっと自分を出せたらいい。
出せると思う。
勇気と元気、自信の芽が育ち始めた気がする。
大事な野菜の芽も久々のまとまった雨で・・・!
さ、畑行こう。
小梅が満開
火事になりました。
ずっと晴天続き、異常なほどの乾燥、そして強風。
こんな日に火を焚くと危ないのは至極当然!
それは嘘です。
こんな日に火を焚いてはいけないのは本当だけど火事になったことが嘘でした。
エイプリルフールネタ。ははは、つまらないですかね・・・。
1反弱ほどの畑を慎重に焼き、一気に奇麗になりました。耕せるようになりました。
自然農で荒らしてしまったから元のような姿で返すように言われました。
これでやっと目処がついてきました。
確かに空気は非常に乾燥していて畑もからからです。
今日の雨予報もまた空振り。
先々週辺りからせっせと蒔いた種達は発芽に戸惑っています。
でも、野草はどんどんと顔を出してきますね。
蕗の薹やカンゾウ、ノビル、セリ、ヨモギ・・・ それに比べて野菜は人間のものだから、なんだかデリケートで頼りないんだよな、なんて思います。
改良された「野菜」というものの誕生以前の時代に思いを馳せたりもします。
貯蔵していた野菜はほぼ底をつきました。
収穫せずに置いた畑の冬越し人参覆いの藁を除けて堀り始めました。
袋詰めして小屋に貯蔵しておいたこれまでのものとの違いはあるのかな。
今月の「旬のセット」は、評価の分かれるところなのですが、個人的には結構気に入っています。
よろしければどうぞお試しを。
あと菜の花や原木椎茸等も加わってきます。
遠い記憶。
今さらここに書けるようなことではないが、16歳の頃大きな夢を描いた。
あるトラブルをきっかけに思わぬコンディション不良が生じ、その夢の入り口に立つことが夢になったのが18歳。
コンディションの良しあしはそのまま外見に現れ人に伝わるから、対人恐怖症になった。
でも会いたくなくてもその後たくさんの人と出会ってきた。
見下されてしまうことが多くても、致し方がないことと恨むことはしなかった。長い長い時間、諦念が心の中を占めてきた。
そんなかで内側のsomethingに触れようと敬意をもって接してくれた人、愛情を示してくれた人、
何をするのもつらい時支えてくれた、その人達のことは決して忘れない。
今、30年近い月日が経ち、絶望とも思えていた夢が叶いそうなところまで来ている。
でも昔抱いたその先の夢より今は、そんな人達への感謝の気持ちを形にして返していこうという目標を抱く。
そのうちの何人か、もう既にこの世を去ってしまっているのだけど・・・・・
・・・・・
こんな僕と付き合い、結婚してくれた妻、こんな僕の子として奇跡のように(doctor said”逆転満塁ホームラン”)誕生してくれた娘へ、自分が栽培した野菜を使い、一食たりとも手を抜かず気を抜かず夕飯を作っていると誓えるから、この長い冬の間も体調を崩すことなく、いつも元気に仕事や学校に通ってくれたこと、それがその結果であるだろうと秘かに僕は悦に入っている。
小さな恩返しを始めているんだ。
ツヅキハナイデース
昨日は各地で初夏の陽気だったというニュース。
当地でも23℃まで上がって、確かに暖かいというより暑いぐらいだった。
まあ、空気は乾燥しているからさほど苦にならなかったが。
ただ乾燥しているがために、近くで大きな火災が数件・・・それで思い出した。昨年の昨日(3月17日)は僕が火災を起こした日。いやぁ1年の経過が驚くほど早い。
そんな昨年を考えれば、ここ数日から満を持して作付けを始めた今年の状況はかなり進んでいて、心身ともに良好である。
とはいえまだまだ三寒四温、天気予報を参考にゆっくりと歩を進めていかなければならない。
さらに、標高の高い当地の特色といえば早朝と日中の気温差にある。
昨日の場合、最高23℃で最低気温は-1℃。その差24度。
自分の身体もきついが、それより育苗中の幼苗の管理には本当に神経を使う。
そんな気温差ゆえのデメリットはこの先定植後の霜害へと続くのだが、それが実は大きなメリットでもある。信州産の農作物の味は(評価も)その要素のおかげで高まっているのだから。
この要素は悔しいが栽培方法よりもデカい。
代々この地で、職人のように農作物を栽培してきたお百姓さんをそういう面で心から尊敬する。
たかだか10年の経験ではもの足りない。いかに気象との折り合いをつけながら美味しい野菜を作れるか。
そこは大きな腕の見せ所である。
小麦も青々と生育中
豆腐屋さんでいただいたおからとコイン精米所からかき集めたこぬかにストーブの木灰を使ってぼかし肥づくり。これは農業を始めてからずっと作っている→。
だが、これまでは1部の品目と保険のためで作る量はわずかだったが、今年はかなり多めに仕込んでみた。
野草のようにたくましい野菜を育てたい気持ちは変わらないけれど同時に収穫増が重要項目であるので。
昨年まで6枚あった畑のうち、まとまっている3枚を除いた3枚は手が回らない状況が続いた。宿根草がはびこり栽培は困難を伴う。そのうちの2枚は1番最初に借りた畑と2番目に借りた畑。10年以上不耕起栽培の圃場だった。
そのうち1枚を返すことになり、地主さん所有の耕耘機で”綺麗に”耕して返す。
もう1枚はかぼちゃ畑にしている圃場。少し離れているため、いつも植えてから数回草刈りする程度でほぼ放任のまま収穫を迎えることになっている。当然多くの成果とはいかず思案のしどころではあったのだが、元々そこを貸してくださった(就農時に農業のイロハを学んだ)農業法人の親方の「起こ(耕)してやろうか」という言葉に、今回は有難くお願いすることにした。今まで何度か声をかけてもらっても頑固に断り続けてきた。お、やっと真面目に農業する気になったか、と思ったかもしれない。
鎌1本で永続可能な、そしてだんだん土が豊かになる、という不耕起栽培そのもののメリットを否定するものでは全くないが、大型トラクターで耕し、肥料を充分に投入し・・・という、かつて嫌悪していた「投入型」農業が僕の1枚の畑では今年実践されようとしている。
まだ自然農に傾倒し始めた頃、手の行き届く僅かな農地を誰もが持ち、それぞれが自分の食べるものを作る為に環境に負荷の少ない農法で実践できたら・・・と夢想したこともあったが、それはとりあえず近い将来においては、あり得ないことだと思うようになった。イノセンスな夢は傍らに置いて現実を生きなければならない。現代の日本の社会の一員として生きるなら、何かしら矛盾の中を生きることになるは致し方ないのだろう。
次元が違うとは思うが、川口さんも、木村さんや赤嶺さんだってほろ苦いジレンマを抱えて生きているのは間違いないことだと思う。
であればジレンマの解消をと思い悩むより、吹き飛ばしてしまえばいいと、今僕はそう思っている。
抽象的な表現になってしまうが、生きている以上、いつもハッピーでいたい。生きる喜びを実感していたい。自分は何が幸せか。そこを希求しなければ。
・・・・
早春の陽だまりに芽を出したアサツキの緑色が、今日の強烈な陽射しに眩しく輝いた。
待ち焦がれた春を迎えて、生きる喜びがあふれだしているかのようだ。
生きる喜びは刹那の快楽とは違う、もっともっと深いものだろう。
こんな素晴らしい陽気のなかで、生きる喜びに触れながら、青い空を響き渡る山雀(やまがら)の声を聴いていると、弱い僕の心にも勇気が湧いてくる。
今日も雪のち曇りという1日。
3月の天気というのはまことに不安定だが、それはまあ承知のうえであり別にどうってこともない、むしろ楽しむぞ、と言いたいところ。
初回から飛ばすとは書いたものの・・・今日もゆっくりゆっくり畑の片づけ(整地)の続き。実は今年は特に”焦らない”ことを念頭に置いている。
いつも考えながら動くこと、そして早く動かないこと・・・頭(考え)が付いてこられるぐらいに。
かつて身の程を知らなかった頃もあったように思うが、その後自分の知力も体力も全く大したものではないと自覚するに充分過ぎるほどの経験をしてきたつもり。
であるならば、心と身体のどちらかが先走っていかないように、バランスを取ろう、大したことない頭と身体を調整して自分の上限近く出し切れたらと、そんな思いでいる。
これまでを振り返れば、無駄に動いていたし無駄に焦っていたかなぁ、そんなことが多々あったなぁ、と今は思う。
一昨年あたりからだが、度々ブログを通しても”自然農”という括り(ブランド?)から離れようとしてきた。自分の身の丈で、家族とか畑や地域等の現実の上で農業をしたいと思ったからだ。かといってトラクターを使った栽培をするわけではないのだが。
作業のベースは自分の経験と感性による。難しいとは思う。でもやりがいはものすごくある。よくよく吟味しながら農作業をしていきたいと思う。
春の日差しで雪があっさりとすっかり溶け去ったらごっそり姿を現した。白無垢バージンフィールド、そ、そうね、手つかずのままの年越しした去年使った支柱類の片づけからやろう。
片づけといえば、手が回らなくなり返すことになった1枚の畑の片づけが難航中。12年前に建てたボロ小屋の残骸が散乱、草だらけの圃場、木も生えてきた。
変なのに貸すからこうなる、という声が聞こえてきそうだ。
起こして(耕して)返してくれと言われてしまった。いやはや。
バージンでは知らぬ間に緑の草いたるところに、まだ小さいもののエネルギーに満ちていて急き立てられる。そうそう相手は手ごわいんだ、ともう1度気を引き締めなおす。今日は啓蟄(虫がはい出してくる)、さあさあ初回から飛ばしていかないと。
農閑期というのは2月まで、と区切って野菜の圃場としての畑に新たな一歩を踏み出す。
その矢先に雪が降った。目の前に映るのは真っ白く心洗われるような美しいフィールド。
良いスタートだと思った。
武者震いする感じだった。よし、思い切って力を出すぞ!
似ている感覚・・・よく整備された1回表のピッチャーマウンドに向かうところ。(そこに真新しいボールが置かれている。そのボールを手に取って第1球投じたところですべてが始まる。)
夜中に雪が舞ったようだ。朝外を見ると真っ白な世界に朝日が反射してきらきらと眩しかった。
おおっ と思わず声が出た。
陽の光がもう明らかに強くなっていて気分は春。
いや暦の上でも既に春である。
とはいえ、寒さは相変わらずで、今は真冬の真っただ中という、そんな現実・・・。
一番日照時間が短く陽の力の弱い冬至からは1月半が経つ。だが、その間陽射しと反比例して気温が下がってくるということが、改めて考えると不思議に思える。
不思議というか自然の雄大さに対する畏れのような感覚が湧く。
一番寒いのが冬至から1月半が過ぎた今頃。
逆に一番暑いのも夏至から1月半が過ぎた頃。
自然の流れの中で顕れる現象のこのリズムが、人間の(もしかしたら現代の文明社会を生きる人間の)それとは、かけ離れているのではと感じる。
自然に寄り添うのなら、結果をすぐに求めてはいけないのではないかなぁ。
でも縄文人でない我々は、避けがたいジレンマの中を生きているんだな。
この時期の畑仕事の1つ、薪作り。
畑は野菜だけ育てるものちゃいます
薪になるのもここで育つ大木
長い目でみて選抜 ♪ oh babe
この材が良い薪となるのは翌々シーズン。
2年後の寒い冬に、我が家しっかり暖が取れて健康で暮らしていられますように。
身体が整いつつある。
久しぶりに歯を食いしばることができて、氷点下でもぽかぽかと足の指先まで血が行き渡る感じがしていた。
「今日を生きる」というが、今日を生きるとき、人はやはり明日をみている。
今日の充実感、それは未来への希望や!
しんしんと降り積もってゆく雪を眺める。
今日も人生の特別な1日。
どこへも出ず、それでも充実した1日だったという実感と共に過ごしたい。
昨日は104歳の天寿を全うした祖母の葬儀だった。年始に元気に挨拶を交わして1週間しか経っていない。最後まで精一杯生きて、そして生き抜いた。
活動的というわけでなく、若いころから外に出かけることを好まなかったという祖母。印象に残っているのも炬燵に座ってテレビを見ている姿、傍でみれば単調な1日の繰り返しであったが、小さな身体の内側に計り知れない程強く大きなものが積み上げられていたことは、相対してみると疑いようがなかった。
その境地には到底届かないにせよ、自分があとどの位か生きるとして、無駄に過ごしたと思う1日がなくなるなら、人生の時間は充分に長いと思う。
了
自宅のちょっとしたスペースを貯蔵庫にして野菜を保管しています。
大根人参ジャガイモ蕪サトイモショウガニンニク白菜、ここで年越ししました。
これから2ヶ月ほどは畑で何かを収穫するということはありません。仕事始めとなった今日の出荷もここから選抜して行いました。
日の差さぬ冷暗所、温度変化が少なく野菜を寝かせておくには良い場所です。
畑の方はといえば、この地域の冬は雪が少ないので、根雪になるというよりガチガチに土が凍り付きます。
冬本番はこれからでしょうが、冬至から随分経っているので日がまた伸びてきました。畑に残した菜っ葉類はそれを察知するのか早くも花芽を形成しています。
春は約束されています。また1年が始まりました。
難しいこと考えず、ノビノビと、毎日ベストを尽くすこと、を目標にやっていきます。