終わりは始まり2
10年前に立てた小屋が傾いてしまったので解体しています。
そして明日は新しいのを作る予定。
これからの人生、すっかり染み付いた雑な(手抜き)作業を改めていこうと、最近強く思います。
写真から畑の雪解けの様子が伺えると思います。
昨日の雨で一気に溶けました。
さてさて、よしよし、これでよし。
春の陽射しに導かれ、せわしない日々始める覚悟は、とうに整っていたのです。
10年前に立てた小屋が傾いてしまったので解体しています。
そして明日は新しいのを作る予定。
これからの人生、すっかり染み付いた雑な(手抜き)作業を改めていこうと、最近強く思います。
写真から畑の雪解けの様子が伺えると思います。
昨日の雨で一気に溶けました。
さてさて、よしよし、これでよし。
春の陽射しに導かれ、せわしない日々始める覚悟は、とうに整っていたのです。
あなたはよくこう言っていた
終わりは始まり
おわーりははじまーり
30年ぐらい前によく聞いた佐野元春の歌でこんな歌詞があった。
先日の大雪で育苗用ハウス(2つあるうちのメインの方)が潰れ、
この中で毎年繰り返した育苗作業の歴史を終えた。
今年もまた踏み込み温床を用意していたところだった。
残念な気持ちと嬉しいような気持ちが交錯する。
ビリビリに裂けてしまったビニール、へにゃ~と曲がったパイプどもョ、あぁ、ただの大量のゴミとなってしまってなんともいえないイヤ~な気持ち・・・残念!
でも、あまりうまくいかない状態で停滞している気もしていたからちょうど良かった!
新しい”何か”を始めるきっかけになる。
農業を辞めるという話しじゃないです、育苗のことです・・・念のため^^
まだ十姓がいいとこでしょう。
このところ雪掻きに明け暮れ、昨日味噌作り、今日は木の伐採、庭木の剪定の仕事を時々こなし、大工仕事が楽しみの1つ。
会得したいのは、何1つ、スペシャリストでなくとも、暮らしに役立つあれこれが自分でそこそこに出来る、というところ。
百姓を親に持ち、ここで生まれ育った僕の同年代辺りは、都市に移り住んだかほとんどこの地を去っているようなのだが、逆パターンの僕は、東京から移住15年目、ここでの暮らしは学びに満ちている。
「うえだ平和映画祭」に行ってきた。
5時半に薪ストーブ点けるため、新聞丸めようとしたら紹介が載っていた。
少し前に載っていた記事を「行くか」と、取っておいてすっかり忘れていたのだ。
6時から目当ての映画のようだ。ちょうどいい。
有難い。道は良くなり隣町上田まで、また30分弱で行けるようになった。
「カンタ!ティモール」
隣国インドネシアからの殺戮地獄に晒され続けやがて独立を果たすまで、その間決して憎しみをぶつけることをしなかった東ティモールの人々の姿や言葉を通し、命の意味を深く考えさせられる映画、だった。
感銘と影響を受け、考える。
昨日考えたこととはまた方向が違う。
何が経済成長だ!発展だ! と思う。
ここの人々を絶望の淵に貶め続けたインドネシア軍の武器製造費は、日本が先頭に立って工面していたという話、大量の石油を必要とする日本とすれば、インドネシア様々ということで。
遠くの悲鳴は聞かぬふりして、自分たちの贅沢な暮らしを謳歌していたとは。自分もその1部だったとは。
なんか、ちょうど時期良く以前見た映画も思い出したけど、”夢の舞台”オリンピック施設を作るのに相応しい場所だとかいって、原住民が暮らす美しい山間部を切り開くため、迫害を加えようとした悪魔のようなIOCもまた・・・。オリンピックなんか見るかボケ!と思ってそうしているが・・・。
どうも昨日のブログに書いたことは少し偏ったところもあったかと思う。
で、また今日もそうかもしれない。
刹那の感受性から生じた極端な発想は、いずれにしても避けた方がよいかとも思う。
実際は僕自身が進もうとする方向はずっと前から変わっていない。
明確ではないが、どこか自信もある。
正しいとも思うし、望む社会の形もある。
でもそれが観念的と感じているから、昨日のように書く。
なるべく現実を、体験を通した物事だけを言いたい。
イメージとそれを元に構築した考えだけで「こうあるべき」・・・「こうでなくてはいけない」とは言いたくない。また、人のそういう言葉をあまり聞きたくない。
・・・・・
さあさあ、明日は年に1度の味噌作り。
考え事はほどほどで。
大事な薪が底をつき、ご近所からお借りした分も残り僅かとなって、いよいよ意を決して畑の薪置き場へ向う。
市道に車を止めるしかなく、そこから先の農道は腰までの雪が積もっている。
目的地は遠くに見える。気合が足りなければたどり着けそうもない。雪の農道をラッセルする。
まだ緊迫していた3日程前のこと、近くに住む80歳の女性が、通行可能な道まで約50メートルある雪の庭を、独力で掘り進んでいる姿を見た。それを思い起こして励みとした。
到着!
有難いもので、機械出してやろうか、と途中声をかけてくださる人がいたが丁重にお断りして、自分の肉体を使いこのライフラインを開通させることにこだわってみた。清清しさ、のようなものを味わう為。
しばらく続けているジョギングと縄跳びをこの1週間はできずにいるが、体調体重は変化なし。身体のコンディションは良い。
・・・・・
今度の災害でコンビニ弁当やコンビニおにぎりカップラーメンスナック菓子が大活躍だったことを伝える新聞記事を読んだ。今後これらを悪く言うつもりはないし、そんなこと出来るわけがない。
また、うちの辺りで、人力では途方もない苦労と思った道明けが、重機のおかげで数時間で開通するのを目の当たりにした・・・。
機械のおかげで、石油のおかげで、そしてカップラーメンのおかげで、コンビニのおかげで・・・電気のおかげで、化学調味料、防腐剤等添加物のおかげで、人の命が救われる実際を体験し見聞きする。
ただ、だからといって、機械がなきゃどうにもならない、とは言いたくない。
カップラーメンやコンビニ弁当がなければ生きていけない、とは言えないことと近いようにも思うが、これは感性の問題だろうか。
ほとんど機械を使わず僕のする農業は、大規模にはなりようがなく、何か社会のためになり得るという手応えもない。
鍬を振るい、腰をかがめ手で草を取り、蛭に噛まれて、かつて農村では米や野菜を作っていた。大変な苦労だったと思う。
そこにトラクターが登場し農薬、化学肥料を使ってする農業が主流となった。これらの誕生は農家を歓喜させたはず。
更に今や食品原料全般、輸入が主流となり、その上に則ってこの社会の歯車は回っている。
僕は昔を知らないが、今にして思えば、苦労ばかりではなかったんじゃないかと、そんな気がする。今では味わえない良さがあったんじゃないかと。
でもそれは懐古趣味といわれるかもしれない。僕のイノセンスなイメージかもしれない。
今はとにかく何に対しても、否定は出来る限りしないつもりでいる。
むしろ有難いものばかり・・・。
良い悪いじゃない。単純に僕は好きなことをやって好きなように生きたいと思っているんだな。
我がままの許される範囲で、頑張ろう!
まだ3分の1ほど手付かずだった我が家周辺の山道が、本日晴れて開通!
さすがのバックホー様、そして業者及び作業員様、手配してくださった区長副区長様・・・住民一同感謝感謝。
晴れて、といえば、雪予報がなくなって、この先1週間なんと全部晴れマークに!オーイエーース
よく溶けてけてくれることでしょう。
心も晴れ晴れ!でも気は緩めずに。
ご心配くださりありがとうございました。
雪はようやく上がったが、この大雪に閉ざされた山の上の数戸の中の1軒がうち。
眼下に古い集落があるが、そこから奥の細道は寸断されている。
ということで1日中必死に雪掻き。
胸の辺りまで積もった雪を掻き分け掻き分け、目指すのは50センチ程の幅の道を何とか通すこと。
人が歩ける連絡通路があれば何とか助け合える。
薪と食料は足りているか、が合言葉となった。
ただ、生きる為に働いている。
汗が噴出してくる。
感じたのは
なぜだか
疲れよりも、爽やかさだった。
雪深い森に居て木を運んでいる。
体力を使った単純作業で暮らしのベースを築くために働く。
働きながら、
まだ東京で暮らしていた頃、15年程前に描いたイメージが、凡そ実現しているのだとふと気がついた。
今の現実の姿は、それと比べればかなり中途半端な絵、とはいえ。
時々立ち止まって、確認すべし。
いつか憧れたイメージが目の前にあったりする。
その時、幸せを自覚しよう。
インフルエンザがかなり流行っていますね。
他人事だと思って油断していたら、うちの子も貰っていました。KОされています。
で、この3、4日看病の為、ウイルスが充満しているであろう部屋の中に缶詰めですが、僕は元気でいます。
こんな時、あれこれ防除に気を配ることなく、また薬剤なんぞに縋らなくとも、免疫力1つで健康に生き抜いていけることを、身をもって示したいものです。
野菜だってそうだし人間もそうなんだと。
まず自分に対して示したい。
圃場に立ち
季節ごと
場面を想定する
スポーツ選手みたいに
イメージトレーニングと称して
夢を描いてみる
農閑期の宅配セット。
火曜日分は昨日の発送が”年度末”、ありったけの気持ちを込めてみたつもりです。
貯蔵している野菜、沢庵、味噌・・・
あとは金曜日の発送をもって、一旦休止とさせていただくことになりました。
自分が汗水たらして栽培した野菜が、お客様に喜んでいただけることと、我が家の食卓に欠かさず載せられることは、どちらも無上の喜びを与えてくれます。
頭の中で思い描く、あの方やあの方々の笑顔に僕は幸せを感じていますが、皆さんの食卓にいつも載せて欲しいというつもりはありません。
それは我が家だけで良いのです。
今ある大根も人参もカブもジャガイモも葱も白菜もニンニクも次の収穫まで、食べ続けたいと思います。5月とか7月まで。
自宅付きの栄養士、調理師としての初めての冬です。やりがいを感じます。スーパーで美味くない野菜を買う羽目にならぬようやっていきます。我が子同然の野菜をいつも触れ、口に入れていたいと思います。どんな姿形をしていようと・・・。
今、残っている野菜というのは、もう極端に小さいものばかりになってきました。
我が家でない食卓で、笑顔を演出できるとは、能天気な僕でさえさすがに思えない代物ばかり・・・いや笑うかな、楽しげな笑いじゃなく、にっひっひ、ぶっふっふ・・・ あ~ダメだくだらんこと書いてるな。
いいえ、既に充分に理解してくださる方々がいて、こうしてお付き合いさせてもらっていることに、心から感謝しています。同時に休止の判断には納得してくださることと思います。
早春の陽射しが畑や野山を融かし、寒い信州に新しい旬が訪れ、そして再開をお伝えできる日を楽しみに待ちます。
昨日、主催の「信州ナズナの会」の方からお誘いうけて、赤嶺勝人氏「陰陽講座」、そして打ち上げの飲み会まで参加させていただいた。
以前聞いた同氏の「講演会」と比較するとテーマが絞られていて深い。
といっても下ネタが適度に(?)散りばめられ固苦しさはまるでなし。
男と女の関係を地球と宇宙空間に例え、だから奥さんに逆らうことを一切やめたのだ、という話。ご自身は玄米食普及の活動されているのに1番身近な奥様は白米食で、でも今は何も言わないのだ、言っても無駄だから、なんていうお話は個人的に興味深かった。
きっと、夫婦間のみならず、細かいところで引っかかって喧嘩とか、しない人だな。
大同小異と言う言葉が思い浮かんだ。とてもポジティブな言葉として。
僕の所謂「自然農」と赤嶺さんの「循環農法」、似て非なるものだが、その違いについていろいろ論じあったところで何の意味があるだろう・・・。
飲み会では、気さくに接していただき、エロ親父トークに花を咲かせ・・・ 楽しい楽しい、嬉しい夜となった。
厳寒期をむかえたが、陽射しは明るさを日に日に増して、キラキラと輝く。
驚くスピードで痛みが体内から消えていった。
湧き上がるパッションは季節と重なり、飛べそう。
きっと良い年に。
あけましておめでとうございます。
頂いた年賀状にもありました・・・「笑う門には福来る」、大概のことは笑い飛ばしていきたいものです。
が、新年早々いきなりの「40肩」、という笑うに笑えぬ話で、かなり顔が引きつった状態が続きます。シジューカタ、こんなに痛いものなんでしょうか・・・
でも考えてみれば、痛みと言うのは生き永らえる為になくてはならない身体と脳の発する”サイン”であって、これをどこかへ葬り去ってしまうわけにはいかないものなんでしょうね。
大切につきあっていくべき相手なんでしょう。
まあ、さて、今年の抱負・・・軽やかな発想と爽やかな態度をもって生きたい。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。