ブログ

  

久しぶりです。

2日前から書き始めたものです。

空いた時間に書き足して

今終えました。

ちょっと変なとこありそうですがそのまま更新します。

 

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朝の9時。

珍しくこんな時間にブログを書きはじめました。

今年早くも”ギックリ3号”、その通過待ちです。

 

今朝は随分早く目が覚めて、といって仕事も出来ず、そのうちに、ふと10年が過ぎた「自然農園」を振り返り、過去、今、これから、について考えはじめて・・・

ちょと書いてみます。いや長くなるか、腰が持つかな・・・。

 

転進 

林業を生業とする為あちらこちらと捜し歩いた末(まだインターネットなんて言葉も知らない頃だった)、雇用条件等を照らし合わせて今の地に移住した僕が、その4年後に諸々の理由から農業に転進する際、当然「家族をしっかり食わせていく」ことを誓ったものです。今以上の収入を得られるように頑張るよ!

そのことを、今更ながら思い出します。そして、それから年々夫婦関係が悪化していった背景として、そこに大きな要因があったのだと思い当たります。 

それを為し遂げられない日々、為し遂げられそうにない日々の繰り返しでした。

 

自然農 

就農するにあたって何軒か農家を見学させていただきましたが、よく覚えている言葉があります。

「絶対必要なもの1つといったらトラクターじゃないかな」

そこは小規模な有機農家でしたが、それでもやはりそう感じているのか・・・と思いました。

それでも目指す不耕起栽培への胸に秘めた思いは、そういう言葉を聞く毎に膨らんでいきました。

それは根っからへそ曲がりであることと、チャレンジ精神旺盛であることが大きな要因でした。

不耕起栽培の農業で食っていってやろうと考えただけでしたが、所謂「自然農」というカテゴリーに組み込まれる形になりました。そして便乗するように屋号を「自然農園たかはし」としました。

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中断しました。夜になって続きです・・・

 

反骨心支えに

この10年間の特に初期の頃には、畑で13~14時間働くことも珍しくなかったです。

とにかく必死でやりました。

作業自体もかなり過酷で、苗1つ植えるだけでも思ったように進んでいきません。有機農家を参考にノルマを決めても全く辿り着けなくて悲しくなります。耕した圃場、不耕起圃場、同じように手植えしたとして、多分植え付け時間は1株平均でざっと7,8倍はかかる筈です。そして時間以上に身体への負担は大きく、鋸釜を持つ手は、何度も腱鞘炎になりかけました。

でも耕そうと考えたことは3年ほど前まで1度もなかったと思います。

 

価値の転換

自然農への傾倒を続けてきたことに後悔の気持ちはありません。

価値感の転換を覚え、そのことで夫婦の乖離は進みましたが、大きな引き出しの中が充分に埋め尽くされるほどのものを得たとも思います。そしてそれはいつでも躊躇せず出し入れします。

そんな積み重ねで、今ではあらゆる物事に対して随分寛容になったように思います。

 

Tさん

4年ぐらい前、東京朝市に出店している時、話をしに何度も足を運んでくれた若い御夫婦がいました。ブログを隅々まで見て感銘を受けた、今のサラリーマン生活から離れて農業をしたい、自然農を、と。本気でした。翌年就農し、自然農に取り組んでいます。所謂半農半Xによる自給的な暮らし、とかではなく、収入を得て家族で「食っていく」道を選びました。

今では僕より多くの収穫を上げているかもしれない。年始に会いましたが自信に満ちた表情をしていました。 

頭脳明晰で学習能力が高く自立心も高いので、何1つ心配していませんが、僕が過去、前向きにとブログを綴ってきたなかには、誇張した表現もあったかもしれません。

その拙ブログを読んだことをきっかけに、今この厳しい道を歩んでいるという彼らの事実を思い、ちょっとまとめて書いてみたいと思ったのがこの記事です。

勿論それ以上、今後も一切干渉するつもりはないですが。

 

最低限の収穫量

野菜の作付けをするときに、例え家庭菜園であっても「収穫量は度外視で」なんて思う人はほとんどいないはずです。

「こんなんなったらいいなぁ」なんて豊かな実りを想像するでしょう。

その上で「最低限このぐらいは・・・」というイメージもある。その基準はそれぞれで違いますが、この自然農(不耕起栽培)はそのラインをを下回る確立が高い栽培方法だろうと思います。収穫量以外のメリットはいくつも並べることが出来るのですが、傍からみれば、そこにはやや虚しさが滲んでしまうものでしょう。昔ながらの農村地にいて僕自身が数え切れないぐらい同情憐憫嫌悪の眼差しを向けられてきたのでよく分かります。

まあ他人の目はいいんですが、収穫量を確保できなければ、なかなか自尊心を保てないものです。だから勿論、自分なりに最優先の課題として取り組んできたつもりです。

これからもそうです。農業をする限りその継続です。

大分長くやってるような気もしますが、季節ごと作物ごとにいえば作付けは1年に1回。失敗すれば次のチャンスは翌年です。

10年間(わずか10回)の経験(ですが)を通して、”耕す”ことへの人間の歴史の重みも感じられるようになってきました。

 

大きな出来事

もう7年ぐらい前になりますが、肺癌を患ったという中年女性から電話を受けました。

抗がん剤治療はせず、知り合いに薦められたあなたの人参を使ってゲルソン療法に取り組みたい、と。

聞けば毎日(365日)のジュースに1キロが最低必要とのことで、僕には難しいので他を当たって下さい、と断っても、今あなたと話していてイメージが浮かんだ、前向きなイメージ、やっていけそうです、なんとか出来る範囲でいいですからお願いします、と切実な言葉に熱い感情が伝わってきて・・・僕も一念発起、引き受けました。後にこの方は僕を親友、そしてソウルメイトと呼んでくれることになります。  

さて、他の個人宅配のお客さんにも好評でリクエストの多い人参は、大幅に収穫を増やさなければいけなくなり、そのことがスキルアップに繋がったのは確かでしたが、いかんせん栽培法上の限界があって”出来る範囲”は期待を大きく下回るものだったに違いありません。でも彼女は僕の説明(釈明)をとても熱心に、明るく聞いてくれました。体操教室の講師をされていたのですが、価値観にとても通じるところがあったのです。

そして癌が消えました。

「奇跡よね!本書くわ、人にも薦められたの」と無邪気にはしゃいで電話で知らせてくれました。

・・・・ 

その方が一昨年亡くなりました。僕が人参を届けられない時は、遠くの有機野菜コーナーのあるスーパーで購入されていたそうでしたが、「最近忙しくて・・・ たかはしさんのが出来てくるのを待ってるわ」と言っていた次の検査で”再発”という結果になってしまいました。

実際に僕が届けていた人参がどれほど効果を持っていたのかは分かりません。そして様々なことが彼女の運命だった、といえばそうでしょう。

僕も出来ることは精一杯やったつもりですが、違った状況を生み出せる要素はあったと思います。

そして現在、癌手術を経て再発防止のために人参ジュースの摂取を日課とされているSさんに言われています。 人参いっぱいよろしく・・・。

 

価値観に留まらず

いつも、ジュースにするのだから形や大きさにはこだわらない、と言ってもらえます。

前のあの方の時もやはりそうでした。それで僕は、その言葉をそのまま鵜呑みにして親指ほどの人参や三つ又四つ又何でも送ってしまいました。それしかなくて致し方なかったのです。

初め「まさに自然の人参ですね、こういうものを取り込んでいれば元気になるわけです!」と言ってくださった彼女も数回続いた後「ちょっときつくなってきました。何もせずにジュースにするわけではない、洗ったり取り除いたりの手間はかかる。こういうサイズではかえってストレスが身体を蝕みそう」と連絡してきたので、そうだよな、そりゃそうだ、申し訳なかった、と反省したのです。

 

昨年から、かみさんがパートを始めて僕が夕飯を作るようになりました。

小さな小さな自家用の野菜を使って料理をすることに僕は価値を感じているし、なにより楽しい。

親指どころか小指より細い人参も大根も愛しい食材です。

そんな気持ちを以前ブログにも書いたのですが、宅配のお客さんの中には理解して共鳴してくださる方がたくさんいました。

「たかはし規格」でいいじゃないですか、という言葉もいただいた。

でも・・・

僕ごときの小さな個人の価値観を、共有してもらいたいなんていうのは、おこがましいような気もする。

そして価値は認められつつも、それぞれ家庭の現実の中では有難くないものとして存在する四つ又人参、これでお金を頂くことは、やはりできないな。

 

耕す

百姓は基本的に、毎年新たな気持ちで春を迎えます。

昨年小さな管理機(カルチベータ)を購入しました(コチラ)

でも結果は良くありませんでした。

稀にみる旱魃の影響もあったかと思います。耕した場所は特に水分が(肥料分も)乏しく生育は芳しくありませんでした。

もっとも耕したとはいっても、小さな小馬力の機械では宿根草を掘り起こすこともできないし、おまけに直ぐに草が絡まるため5分と続けて稼動できないので、直ぐに全て不耕起での栽培に戻しました。

草刈機(刈り払い機)による作付け時の操作が大幅に時間と労力の削減に繋がることを発見し、夏秋の作付けはなかなかうまくいったのです。これは究極の不耕起栽培だ、と思わず自画自賛しつつこの春を迎えました。

 

こだわりと社会貢献

そんな矢先に小屋を焼いてしまいました。

小型管理機も刈り払い機も消失し、特に高出力の刈り払い機が無くなってしまったのはショックでした。

そんな折「管理機貸しますよ」といってくださる方。僕は大喜びで借りました。

初めての2輪管理機(耕運機)。

かつて勤めた農業法人ではトラクターの運転はしていたけど耕運機はなかった。はてさてカルッチの5倍のハイパワーはいかほどか・・・。

 

お~~すげ~~!!・・・始めて機械が登場して耕したときの昔の農家の感動ってこんな感じだろうな、と思いました。古い機械だし(1万円で購入らしい)快調とはとてもいえないものですが、心地の良い新鮮な気持ちを与えてくれたのでした。

ジャガイモ、サトイモ、葱の作付けに使用しました。

耕すことに罪悪感や嫌悪感を持っていたのは果たして何だったのか、との思いも浮かびました。

耕すという字すら好きではなかったですが、畑を耕すことで、きっと心も身体も耕されていく、とうまいこと(?)を考えて・・・

自然農園たかはし を

自然農園たがやし 

に改名する考えも浮かびましたが、完全に転向ではないのでやめときます。

全面積耕すつもりは全然ないです。それはしたくありません。従ってトラクターが必要だとも思いません。

故障していた古い刈り払い機を直し、作物によっては究極の不耕機栽培も引き続き実践中です。

 

僕は今、ぎっくり腰頻発で体力への自信(過信)をすっかり失っていますが、こういう管理機を使えばやれそうだ、と思います。

耕すことで水分や肥料分が抜けるのなら補填することを考えればいいと思う。

 

何事もそうだと思いますが、臨機応変が大事ではないでしょうか。少なくとも僕はそうでないと、こだわりだけで農業はやっていけません。

勿論、無農薬無化学肥料にはこだわりますよ。

でもそこから先は臨機応変にやりたい。

好きな人、大事な人、その要望にしょぼいこと言わずに提供できれば嬉しい。大きくいえばそれが社会貢献の入り口。

いつになってもonly masturbathionでは・・・

 

「とにかく無農薬でたかはしくんが育てた人参がほしいのよ」

ってSさん言っていたっけ。

腰大事に頑張ろう! 

 

 

” への3件のフィードバック

  1. 10年が過ぎた「自然農園」
    明日から南会津に籠ります。
    帰りに是非寄らせてください。
    6日〜8日、いつになるか未定なので、
    前日くらいに連絡します。[E:sun]

  2. 実は、耕すことに魅力を感じるのです。
    南会津の畑で、今年は、少し耕してジャガイモを育ててみようと考えています。

  3. えつおさんが鍬柄を手にして畑に立つ姿は絵になりそうです。
    どんな感触を得て、それをどんな表情でお話してくださるか楽しみにしています。
    では、お気をつけて。

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