この頃、多分巷でもそうだろう。
大体において多いのが、「暑くて参るねぇ」とか「堪らんなぁ」とか、そういう会話。
別にいいといえばいいことだし、あえてこんな事いうと不快に感じる人がいるのも分かるから躊躇するが・・・まあ言ってしまえば、それ嫌いなんだよなぁ。
簡単に参るな!少しは意地を見せろ!楽な方楽な方にいくな!走行してるほとんどの車のウインドウが閉まってやがってふざけんな!
そんなことを思ってしまう。
参らないで頑張れば、そのうち大概のことって慣れてくるもんじゃないか。我慢せずにクーラーを適切に使いましょう、なんて、軽トラで移動中何度もラジオで言っていたけど、もともと我慢しようなんて考える人は少数派だろう、その人間の性癖の為に他生物の命は簡単に葬られ、自然の生態系が壊れ、世界が殺伐としていくのだと、何故それぞれがもっと真剣に考えないのか、我慢しろっつんだよったく・・・人間はそんなに偉いのか!
こんなこと書いて、お前はそんなに偉いのか、と言われたら、何も言えず首を横に振ることになる。そりゃあそうだ。誰も偉くないし、優れてもいない。人間は常に謙虚じゃないといけないのだ。
ギリギリまで我慢することを皆で始める時代だと思う。「暑いですが冷房はなるべく使わず頑張りましょう。人間は強い生物です。そのうち慣れるものです。あ、そうですね、我慢というのがいけないかもしれません。つらいことを耐え続けるだけではありません。最初つらいと思うことも乗り越えられた時には喜びに変わるものでしょう。それはなにより尊いものです」とか、ラジオのジョッキーは言ってくれればいいんだ・・・。
畑で、旺盛な「雑草」と言われるものの生育を見ていて思うのは、これを苦くて嫌だと言いやがったんだなきっと昔に、ということ・・・「もう少し食べやすいと良いよねぇ」「よし改良しましょう、改良改良」「了解了解」「そうだそうなれば幸せだなぁ」・・・空腹を満たし栄養を満たすことから、食の喜びが変革し、”美食”なる文化の兆しが生まれたのがその時。そして、まもなく耕し始めたんだろう。
考え始めるとついついネガティブな方へ向かってしまいそうになるが、そっちに進むのは良くない。
人間はいろんな能力を持たされて創造されたのだから、致し方なかった点はある。・・・というか、ここまでの過程は良し、もうよし。チャラにして、新しく発想していけばいいのだ。やりすぎたけど過去は過去、さあ挽回していこう!って。
そういうタイミングなんだって、多くの人がうすうす感じているようにも思う。実際に行動に移す人も多くいると思う。
でも、がっちり構築された現代の社会が自衛手段として、そこに歯止めをかけるのだ。
人々の気の流れがそこへ向かわないように、鍵をかけようとしているとも感じられる。
この社会は「さあ、楽をしましょう」みたいな誘惑ばっかりだ。その上で歯車が回っている。
僕はこの頃、「夏が好き」「暑いのはつらくない」「全然平気」(むしろ)「嬉しい」とそればかり繰り返し繰り返し言っている気がする。
周りが、暑いねぇ・・・ばかりだからそうなる。
変な顔をされるが、それが口癖になる程言っていれば、本当にそうなるものだ。
あっ!遅い、いくらなんでももう寝ないと。
最後ベストショットを
「ご来光7月12日 畑にて」