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雨を喜ぶ

 

災害も出ている地域があると聞いたので、不謹慎?と思わぬではないが・・・ 雨がなんて有難いものかと、心底実感している。嬉しくてたまらない。
もしも、何が起きたとしても、あれだけ天を呪った以上、雨に不満を、そんな虫のいいことを、言うようなことは今後、少なくとも今年は、絶対しないと僕は誓っている。
 
 
 
夜中の雨は、今朝早くに上がって今日は曇り空だった。
こんな涼しい作業日和なのに、畑にでる人はいない。 
何故なら・・・下はぐちゃぐちゃで、こんな時作業をすればすべるし、土は固まってしまうし、畑は荒れてしまうし、機械も自分の靴も服も泥にまみれてしまう・・・ということらしい。
 
僕の畑ではそういうことがない。
大量の枯れ草の被膜があり、作業は非常にしやすい。水溜りなどは決して出来ない。
適度な湿り気を持った土に苗立てした大豆を植えていく。
 
Mameuetsuke620
 
 
不耕起草生栽培といわれるやり方に取り組んできて、長い間にはいろいろ考えることも多いのだけど、こんな時にこの栽培法の特性を知る。
そして思うのだ。「人間仕様」でない、という言い方も出来るかな、と・・・。
 
かつて、人間が「耕した」ことは大きな飛躍に繋がった=歴史を作ってきた、といえるかもしれない。
でも、そこから、人間界と自然界の対立の構図が形成されてきたのではないかと思ったりもする。
「人間仕様」の土地と、明確にしたところから。
 
耕した畑、今日のような日には、一斉に作業お休みとなり、何日も雨が続けば恨むしかない、あれだけ望んでいた雨なのに・・・
社会の中の我ら、さあ、皆で何とか対策を講じましょう・・・となる。
 
 
 
以前農業法人に勤めていた頃、不耕起栽培というものに取り付かれ始めていた頃だった僕は、何故耕さなきゃいけないのか、と聞いてみたことがある。
 
 耕すもんだから耕すんだよ
 
親方がそのとき、実に面倒くさそうに答えたのをよく覚えている。
当時は、意味がよく分からなかったのだが、今思えば・・・お前なぁ、この歴史ある人間社会の一員であり、先祖代々築き上げてきた農業に関わり貢献していこうというのなら、馬鹿げたことは考えなさんな・・・というニュアンスだったんだなぁ、と合点がいく。
 
そう、社会の歯車の中で誰もが生きているんだ。
そこに依存し、そして守られている。社会なしに自分はあり得ない。
 
でもその中に、ただどっぷりと漬かってしまうと、必要以上に自然と対立してしまって・・・ 
それがいやなんだ。  
 
 
Tsuyu620

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