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ラインコントロール

 

久し振りに素手では手の悴む朝。

それでも陽射しはクリアで輝かしい。畑に隣接するソメイヨシノが3部咲き。真っ青な空とコントラスト良く、とても映えた。

 

3buzaki48

 

今日の作業はニンニク株周りの除草作業から。これに半日を費やした。

あぁ、今年もまた草との長い付き合い(戦い!)が始まったなぁ、と思いながら。

 

草との共存とはいっても、密接したところの草は、ほとんどが当面の敵でもある。

この相手に勝ってもらわなければ収穫はおぼつかない。

勝負事のセオリーとして、相手の長所を消す、良い部分を出させない、その前に潰す、ことが大事とよくいわれるのだが、僕は、何度か書いたこともあるのだけど、競り合ってギリギリの勝負に勝ってもらうことを理想としている。

ギリギリ勝つって抽象的な表現だが、苦労して苦労して(収穫に)到達する、というイメージといえば解りやすいか。

 

何故そんなことを思うのかというと、苦労を重ねた人と、僕のように苦労が足りない人間では醸し出すもの、味わいというか・・・が、 まったく別次元のように違いを感じるから、それを思い浮かべている・・・自分で苦労を決して語らずともオーラが物語ってる、って人確かにいますからね。

苦労はチャンス、それがあなたの輝く為の道なのかもしれませんよ・・・へへへ、あ~胡散臭いな。

 

当てはまるのは、当然人間だけのことではない。

苦労、とか困難、とか人間が言葉を作ったが、元々生物は、どんな環境にも対応して生き抜こうとするもの。

その環境が困難極まった時には、命絶たれてしまうが、最後の一瞬まで、その命を生き抜こうとする。

潜り抜けた困難の値が大きいほど、その生命には、内容が詰まっていないだろうか。

分かりやすい例えで、平地の野菜と比べて高冷地の野菜が美味だと、一般にいわれていることだが、何故か?

それは、昼夜の温度差による。乗り越える困難の大きさによるのだと思う。

 

ここから先、自慢話のようで恐縮だけれど、今まで食べた野菜で1番美味しい、全然違ってます、なんていう、そういう連絡を受けたことがある。それは5件や6件ではない。ざっと数十回、いや、もっとかも。(できるだけ褒め言葉は真に受けて、活力源にさせてもらう主義なので・・・)

この美味しい、美味、ということ、実はこれ、舌で感じる以外の要素も加味されているのではないか、と勝手な想像をしてみる。

言葉にするのは難しいが、苦労人が醸し出す、ああいう”味”わい。目を、そして五感を、心を、満たす野菜。

ギリギリの勝負に大いなる意味がある、と、そう思うから、非効率でも続けている。続けられる。

多種多様な異生物に揉まれながら逞しく育って欲しい。困難を出来るだけ自分の力で乗り越えて欲しい。さてそこで、何処まで優位性を確保させるか、というラインコントロールが僕の日々の大きな仕事である。

作付け量により、品目により、成長段階により、季節により、天候により、場所により・・・、それはそれは、シビアな毎日が始まった。

 

Ninnniku48

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