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省エネの意識

 

今日用事があって"お役所”に出向き、ちょうど昼休みの時間だったからかと思うが、室内灯が消えていることに気がついた。外の陽射しだけで、やや薄暗い中で職員がお茶を飲んだり、書類を見たりしている。

ああ、いいなぁ、と思う。こういうことをちゃんとやっているんだな。

そして窓の外にゴーヤ(?)のグリーンカーテンが伸び始めている。ああ、素晴しい、素晴しいが、昼休み暗すぎて電気つけるようになるかもしれないな、なんて思ったりもした。よしずの方が開閉できて良くないか?とか・・・。

 

まあともかく、省エネに関しては自分自身もしっかり意識を持ち、膨らませなくてはいけない。

そのために何かをやめてしまうことや我慢することも必要かもしれないが、その小さなスケールで世の中の全ての人が満ち足りた心持ちになれるという、そういう社会を望むといったら、きれいごとだろうか。

 

原発反対の行進も大事だが、まず手放さなきゃいけないものがあるような気がする。

東京では、大規模なデモ行進、かたやスカイツリーに嬉々とする人々、オリンピック誘致に燃える知事・・・。原発に対する意識はもう間違いなく”許しがたい悪”で統一されたように感じるのだが、社会に向ける意識といったら皆がきっとそれぞれなんだろう。なんだよ、東京のやつら、勝手にやってろ・・・  もし、僕が柏崎市民だったら、そんな風に思いやしないか。

 

 

いや、僕が思う以上に省エネの意識はきっと進んでいるのだ。

メールだけチェックして早く寝ようとパソコン開いたはずが、どうしたわけか偉いところに足を突っ込みそう。

明日の仕事に備えて寝なくては・・・ 中途半端ですみません~。

 

 

Setsuden6.28

 

 

省エネの意識” への2件のフィードバック

  1.  東京は、人の矛盾、理不尽の「るつぼ」です。
    まともに考えていたら、頭がパンクどころか、爆発します。
    ただ、ただ、自分の日々を大事にしています。
     怒るときは怒り、悲しむ時はありのまま悲しみ、
    喜ぶ時は素直に喜び、感謝する時は、胸一杯になりながら感謝しています。
    先日の野田総理の「大飯」再稼働の発表の時、
    「未来の子どもたちのために・・・」のようなコメント?、をはさんだので、
    激怒し、「首相の秘書官につないでくれ。」と、直ぐ官邸に電話しました。
    わたしの名前と、身分と、大方の住所を伝え、
    受付の女性から、名は名乗れない、という若い男性にやっと代わったので、
    「核のゴミ処理の道筋も示さないまま、安全で、コストが安く、未来へも・・・」は、
    『首相としての国家に責任ある人の言葉ではないこと。』
    『今後50年、100年のせめて、核ゴミの道筋をきちんと示してから、
    “未来の子どもたち”という言葉を使うよう、きちんと伝えるように!』と、電話を切りました。
    (きっと、伝えはしないでしょうが。聞いていた男性は、しっかりと、神妙に聞いていました。)
    わたしが御大、賢治と違うことは、「怒り」が、「生きるエネルギー」にもなってしまうことがあることです。
    ● 修行が足りませんね ●

  2. ただただ自分の日々を大事に・・・そういう気持、大事ですね。
    変にかっこつけたりしないえつおさんを見習わなければ、と思います。
    怒りを生きるエネルギーに転化できることは素晴しいことではないですか。
    そして悲しみも、喜びも、感謝の気持も、皆生きるエネルギーとなるなら、なんて人間らしく素敵なことだろうと思います。

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