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足るを知るを学ぶ

 

4年程前に耕作放棄されていたニセアカシアの群生圃場の開拓を始め、そこが今では僕の百姓暮らしの中心的な畑となっている。借地ではあるが、農業を続けるならずっとここで、と思う畑。

 

ニセアカシア群生林が残っているのはあと1反部ほどだが、開拓はすでに終わっている。この1反部はこれから一生分のストーブ用燃料(薪)供給スペースである。

直径5~25センチぐらいの木が乱立する林内。ニセアカシアは成長が早く、10年もすれば結構大きな木になるので、太いものから間伐し、薪材にする。自分の一生がこの先どのくらいだか分からないが充分に賄えるだろう。

 

開拓以降これからのポイントは余分に伐採しないこと。

余分なエネルギーを使わない、余分に空気を汚さない。

 

一般にこれと同じような群生林というのは目の敵のように皆伐され、重機で整地され、トラクターで耕され、でも大抵は作付けされることもなく・・・自分の所有する土地が山のようになる(荒れてしまう?)のが堪らない(恥ずかしい、申し訳ない)という理由から行なうことだからだ。シフトしていくべき価値観と思うのだが。

 

余分なことはしない、というのはいろんなことに通じる原理だと僕は思う。畑での作業においても、日常の暮らしのなかでも。”しない”ために頭を使い、感性を働かせて、知恵を生かす。

 

自然と自分の暮らしの調和を心掛けることで、「足るを知る」ということを体得する、ここはそういう学びの空間にしたい。 

 

 

Niseakashia1.7

 

 

 

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