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郷に従いながら

 

信州に移り住み、終の棲家かな、と思える場所に暮らし、3年目だが隣組の組長に任命され、周りは大半は70~80歳台の長老ばかり。1人いる60歳代の方を指して「なかなか筋の通った話をする、若いのにたいしたもんだ」と80歳の方が言っているのを聞いてつい笑ってしまった。

そんなところで暮らす40代のひよっこ。

ここでは当然のように草1本ない田畑こそ素晴しく、草にしたら虫が出る、ヘビが出て困る、藪にすれば蜂の巣が危ない、何より草があっては良い作物はできない・・・そんな価値観をどっぷり背負いながら、自分の考えは持ち続けそこに沿って動いている。

批判が及びそうならそれは避けなければいけない。隣地との境界の草はマメに刈るようにしている。

今はそれを当然と思っている。自分だけでも信じるところを・・・という感じでいる。

長老を捕まえて新しい価値観の話をしたところでどうにもならない。生涯草取りを続けてきた人に草の効用を話しても・・・ 良かれと思って除草剤蒔いているところに「除草剤はいけません!」なんて新参者が、言ってもトラブルになるのがオチだろう。

まず初め、こちらが敬意を払って歩み寄り付き合うことが大切だなのだと思うようにしている。

郷に入らば郷に従えは当然だと思う。初めの姿勢として。

受け入れられたところでスタートだ。そこから徐々に自分の色を主張していけばいいのではないか。

 

よく思うことだが、人を変えることなんてできないことだ。変えたくても変わらない。

いつか自分で気付いて変わってもらうしかない。いつか気付くか、結局最後まで気付かないか、それは分からないにしても。

対立関係になってしまっては何も生み出せないと思う。

変わっていけばいいなぁ、とは思うが焦らずいく。

自分の足元さえしっかり保っていければ良いことと腹を据える。

 

植木屋をしているときも。

もともと綺麗に、几帳面に、庭の手入れをしてくれるのが植木屋なのに、草を生やしてはどうか、虫を敵視しないで下さい!・・・そんなことは言わないで、気に入るようにやらなければならない。御先祖代々の松の木が虫にやられているのにしょうがないですよ、枯れたら枯れたで・・・なんてその場で言わない。怒鳴られるかもしれない。

もちろん薬なんて撒かない。

「全うしたんですかね、いのちを・・・」なんて言ってみたい。少しは共鳴してくれるかもしれない。

「”自然風”というのが流行ってきているようです」荒れたといって庭の草を苦にする人に言ってみる。「そうだよね、あんまりきれいきれいでもかえって落ち着かないね^^」なんて言う人も中にはいる。先祖の風習や価値観を実はあまり踏襲しようとしていない人も多い。

 

各所小さな流れは自然に生み出せると思う。

気張らずとも、友好的な関係の中から。

まずは自分を認めてもらうこと。

 

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