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発見の喜びを

 

先日のアースデイマーケットでのあるシーンが頭に残っている。

 

60歳前後の男性のお客さんだった。うちの小松菜を取り上げて前から後ろから品定めする、そして”あら”発見する、それは無残に穴だらけ、変色の度合いも食欲を損ねるほどかもしれない、虫食い小松菜だった。

案の定棚に戻そうとするが、ここでそのシーンである。

「あ、いいんだいいんだ」ハッキリそう言い、もう1度小松菜じっと見つめて「これでいいんだ」・・・

それから顔を初めてこちらへ向けて「これください」と差し出した、その時の男性の優しい笑顔。忘れられない。

その後その小松菜を食べてみて、果たしてどのような気持ちになったか、「これでいいんだ」と言った思いが、確固たる信念にかわっていたなら、それはなんて素敵なことだろう。

そんな1人の小さな価値観の変化の中に、世の中の歯車が少しづつ正常な回転に戻っていく要素を見出してハッピーな僕、まあ能天気なところも多分にある。

 

以下関連して・・・ 

御近所のマダムにやさいを届けている。

「あれルッコラなのよね!この間いただいたあの花!もう感激しちゃったわ!!あんなのどこにもないでしょう?(あっちこっちの畑に採られずにいくらでもあるんです、すぐ漉き込まれちゃいますけどね)本当に食べられるの?と思ったけど、言われたとおりさっと湯がいてたべたらおいしいことおいしいこと、そのままばりばり食べちゃったわ ほんっとにおいしかった!」

ここにも小さな価値観の変化が生まれそうだ。

 

そして桑の実。

どんな果物よりも「おいしいおいしい」と口の周り真っ赤にして快調に採り食べる娘の姿。でも他の人が食べているのを見たことが無い。昔は子供がおやつに食べていたと聞くが・・・。

今、畑に大きな桑の木が3本ある。僕は以前から桑の実を宅配便でお届けし、朝市等に持っていく。たくさんの人に伝えたいという気持ち。素朴だがじんわりと身体に染み入ってくるような甘さである。 

 

虫食いの小松菜、ルッコラの花、桑の実、これら決して流通に乗ることはない。

「食」という普遍的なカテゴリーの中で効率重視の価値観に切り捨てられてきたものに、目を向け直す必要に迫られる時代を迎えたことは間違いない。

 

 

 

Kuwanomi6.28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※桑の実が入りました。今日からクール便でのお届けに変わりました。

 

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